池田大作氏の死去に伴い岸田総理が創価学会本部を弔問した。官邸は個人的な弔問だと強調するがSNSではかなり問題視されたようだ。
もともと政教分離原則は国家が国権を使って特定の宗教を国民に押し付けることを問題視している。だから、公費を使って弔意を示すというようなことさえしなければ個人的な弔問が問題視されるべきではない。また創価学会・公明党は過去の経緯から故人がカリスマ的な宗教的指導者として扱われることをかなり気にしているようだ。
ではなぜ岸田総理の弔問が問題視されたのかについて考えてみたい。
政教分離原則はたとえばフランスではカトリックと政治の分離という意味合いを持っている。一方で宗教的に迫害を受けた人たちの逃避先となってきたアメリカ合衆国では諸宗教の信教の自由が全面に打ち出されている。日本の場合は国家神道との分離という文脈で語られることが多い。つまり国によって政教分離原則の意味合いは異なる。
日本の政教分離原則は憲法20条などで定義されている。GHQは日本の封建的体制が戦争を引き起こしたと考えておりその中核にあるのが国家神道だった。このため政教分離は国際社会に復帰するための重要な前提条件の一つだった。
岸田総理の弔問は問題視されたのか。政教分離の原則から弔問は控えるべきだったのだろうか。時事通信が「岸田首相弔意、政教分離で波紋 政府「前ローマ教皇にも」―池田氏死去」という記事を出しているようにSNSではかなり反発が大きかったようだが議論には混乱も見られる。
理由はいくつかある。
まず、日本人にとって現行憲法は外来概念だ。このため国家神道と旧体制からの脱却という理念が前提条件として理解されていない。統計によって異なるが日本人の少なくとも過半数は宗教団体とは無縁に生活している。このため宗教団体に対して明確な理解がないという人も多いだろう。このためそもそも何から何を分離するのかが理解されていない。
次に歴史的経緯としての言論出版妨害事件がある。創立当時の公明党は創価学会の政治部門のような位置づけで「日蓮正宗の国教化」が目標として掲げられていたそうだ。これがマルクス主義を浸透させようとする日本共産党の反発を生む。日本共産党はゆくゆくはマルクス主義を国の基本理念として広めたいという目標があり同族嫌悪的な色彩があったのではないかと思う。創価学会・公明党が出版社に圧力をかけたことが問題視され最終的には池田大作会長(当時)の謝罪と政教分離宣言につながった。Wikipediaによると分離宣言は1970年に行われたが「初期値」としての印象は現在まで完全には払拭できていない。
日本共産党も過去には暴力的にマルクス主義を広めようとしていた時代があるが創価学会も折伏大行進というかなり強引な布教活動を行なっていた時代がある。強引に考え方を変えさせられることを嫌う日本人の多くはいまだに日本共産党と公明党になんとなくネガティブなイメージを持っている。どちらも広い意味では「特定宗教の一般化と強制を狙う政党」と見做されているのだろうし、説明抜きで「蔑視してもいい対象だ」と考える人も多いのかもしれない。
第三の理由は国民の一部にうっすらと広がる戦前回帰志向も無視できない。このため靖国神社にも参拝しないのに池田大作氏を参拝するとは何事かというような批判も見られた。今の時点では
現在の日本はバラバラだと考える人たちがいて国家を背景にした強いまとまりが復活することを望んでいる。これはMake America Great Againというメッセージングが福音派という宗教的背景伝統に結びついたのに似ている。またポーランドにもEU化に乗り遅れた東部などにカトリックの伝統に回帰すべきだという人たちがいる。サイレントマジョリティと呼ばれる人たちが引き起こす進歩に対する抵抗運動は日本でも時々「伝統的家族観」が女性の選択肢を奪うことで問題視されたりする。
こうしたさまざまな背景があり「どの宗教はよくてどの宗教はダメだ」というその人なりのラベリングができている。
たとえば、松野官房長官は「カトリック教皇にも弔意を示したことがある」と説明している。これはカトリックが「ヨーロッパで一般的に受け入れられている立派ないい宗教だ」という含みがあるからだろう。イスラム教の宗教指導者に同じことが言えたかは甚だ疑問だが一般的にはこのようになんとなく「いい宗教」と「そうでない宗教」の色分けがある。
宗教団体が政治部門を作っているのは創価学会だけではないそうだ。たとえば霊友会も政治部門を持っており自民党を支援している。朝日新聞によると全部で4つの宗教団体(創価学会、日蓮宗、旧統一教会、霊友会)が政治部門を持っているそうだ。献金額ではワールドメイトという団体が異彩を放っている。
自民党・公明党政権は宗教団体の支持なしには成り立たなくなっている。このため、教義には興味がないが宗教団体の票が欲しいという議員が大勢いる。たとえば統一教会は政界にかなり深く浸透していたことが知られており被害拡大の要因となった。
このため、自民党と公明党は国の権限が宗教団体の財産を差し押さえる法案に反対している。支援者保護という含みがあるのだろう。憲法違反だという理由で被害者弁護団が求める財産保全に抵抗し独自法案を提出した。政権の宗教団体への依存が感じられるがさすがにそれでは見た目が悪いと考えたのだろう。宗教色が薄い国民民主党と共同の法案提出ということになった。
興味深いことにこれらの宗教団体の主張はお互いに衝突することがある。たとえば創価学会は平和主義で知られるが、国家神道の流れを汲む日本会議は戦前回帰志向が強い。こうした睨み合いは政権与党の中でなんとなく処理され「明確な勝ち組」が出ない構造が作られている。憲法20条の制約もあり表立って国教化を語れないためにこうしたやりとりは主に水面化で行われることが多い。
今後、岸田総理に対する批判が広がるかどうかは23日の創価学会葬が一つの決め手になるのではないかと思う。今のところ創価学会側は家族による葬儀をうちうちに済ませている。つまり故人が宗教的権威となることを避けたいようだ。だがここで教義拡大のために池田大作氏の神格化が進めばSNSが心配したような「池田氏の参拝」という印象がつきかねない。
過去の批判から創価学会と公明党は表向きの政教分離をかなり厳格に守っており、できればカリスマ指導者の元でカルト的な結びつきのある教団だという印象は持たれたくないのではないかと思う。創価学会は宗教団体であるとは言え教祖をいただく教団でなく信徒団体であるという位置付けになっている。一方で宗門である日蓮正宗からは破門されている。
日蓮正宗側は今でのウェブサイトで「創価学会は波紋した」と強調しており自分達は無関係だとの立場だ。