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「割り箸でできた巨大な木の輪っか」に350億円 大阪関西万博は誰のためのイベントなのか 

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自見英子万博担当大臣の発言が物議を醸している。350億円の木造リングが問題視されているのだが「夏の日除けで大きな役割」と発言。じわじわと波紋を広げている。すぐに壊される日除けがなぜ350億円もかかるのだと評価する人が多いようだ。終わったら全て撤去してしまうということで「巨大な割り箸」にしか見えない。なのにそれが350億円もかかるというのだ。意味がわからない。

だが冷静になって考えると太陽の塔も「実用性のない」「意味がわからない」ムダな建造物だ。実は6億3千万円ほどかかっているという。一体何が違うのか。

これについて考えてゆくと結局「これが誰のためのイベントなのか」という問題に行き着く。1970年の大阪万博は頑張ってきた国民に対するご褒美の意味合いが強かった。つまり頑張った結果として多少の無駄が許され、それが「文化だ」と評価された。今の万博にはそれがない。むしろ国民生活に負担を与える悪いイベントだとの評価が定着しつつある。

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池田勇人の所得倍増計画が発表されたのは岸政権下の1960年だった。日本の高度経済成長は既に始まっていたがその成長を目に見える形で国民に伝えて動きを加速させるという意味があった。政治は状況を作り出すことはできないが今ある状況を見つけ出し応援することはできる。また「あなたの所得が上がる」とわかりやすい形で伝えたのも良かった。

いずれにせよ結果的に「あなたの所得」は上がり東京オリンピックの開催に成功する。所得倍増計画の柱の一つが科学技術の振興であった。その「総仕上げ」と言えるのが1970年の大阪万博だったが池田勇人総理はすでに1965年に亡くなっていた。

池田勇人の成功の原因は「月給二倍」などのわかりやすい言葉を使い人材育成にも力を入れたことだった。あなた、わたし、みんなが頑張った結果多少の贅沢も許されるようになった。だから太陽の塔は壮大な無駄でも良かったのだ。池田勇人から得られる教訓は簡単だ。国民が主役にしてメッセージを伝えれば全体が盛り上がり「無駄」は文化として昇華される。

では現在の万博は「あなた、わたし、みんなが主役」なのだろうか。経費は膨らみ続けているが国民からはもうやめてはどうか?との声が聞かれる。「誰のための万博なのか」がわからないまでもどうやら「わたしのためのものでない」ことだけは確かなようである。

それにしても自見英子担当大臣の発言はひどいものだった。あの輪っかは巨大な日除けでおもてなしに役立つというのだ。あまり万博に興味がないのだろう。この人も「この万博はわたしのもの」とは考えていないということなのかもしれない。

そもそも自見大臣の起用も国民視点とは言えない。岸田総理が政権を維持するための心配りといってよい。

現在、診療報酬などの改定が予定されている。財務省は診療報酬を下げて医療費を圧縮したいのだが医師会は抵抗している。自見英子氏は医師会からの支援を受けて21万票の票を獲得して再選された。武見敬三厚生労働大臣と共に岸田総理にとっては医師会への配慮を示すための「適材適所」だ。さらに麻生太郎副総裁と近いと言われており麻生氏への配慮もにじむ。岸田総理のための人選なのだ。


もともと木造のリングを建てる構想はなかったそうだが、2022年7月に突然パース図が公開された。貫工法を使った世界最大級の木造建築物になると宣伝されている。リングは藤本壮介氏が構想したものであり清水寺などでも使われている。

藤本氏によるとそもそも「解体のしやすさ」がポイントだったようだ。会場はIRに使われることが予想されており更地に戻す必要がある。シンボルとなる大きな建物を建てたいが更地に戻す必要があるということから「割り箸」が選ばれたのだろう。間伐材が割り箸になるように国産の木材を使うとその後に新しい木を植えることができるので林業の維持に役立つそうだ。国産の木材は輸入品と比べると価格が高い。つまりそもそも無駄遣いがコンセプトであり持ち味だったということだ。日本の林業維持という目的じたいはもう少し強調されてもいいかもしれない。

「更地」にするのはIRのための用地が必要だからだ。だが、IR事業そのものが本当に継続できるかどうかは不透明な状況である。既にアジアのIRブームは終わっておりアメリカの事業者の撤退などが噂されており実現するかどうかはよくわからない。

そもそも「国民が頑張ってきた成果を国内外に示す」という意味合いが最初からない上に、コンセプトそのものも万博運営の杜撰さの象徴として扱われるようになる。日経新聞は「大屋根を整備したいから会場建設費を値上げさせてくれ」というような書き方をしている。無計画な工費の拡大と結びつけて捉えられるようになってしまった。

2025年国際博覧会(大阪・関西万博)の会場建設費が当初想定から5割増加するとの試算を巡り、運営主体の「日本国際博覧会協会」は18日、最大1850億円を見込む会場建設費のうち新たに整備することを決めた環状の大屋根(空中リング)が約350億円を占めると明らかにした。

そもそも「誰のための万博なのかよくわからない」という事情があり、さらに事務局の計画の杜撰さも加わったことで、循環型社会にふさわしいすぐ解体できる建物というコンセプトが逆に「350億円もかけたのにすぐに壊されてしまう無駄な構造物」という批判につながってゆく。さらにおそらく万博にさほど興味がないが党内事情で大臣になった自見英子大臣の「日除け」発言が重なり「すぐ壊される単なる日除けに350億円もかかるのか」という空気が造られていったということになる。

岸田総理は経済・経済・経済と連呼し賃上げはすぐ目の前だという。仮にそれが事実なのであれば、所得倍増を待ってからお祝いのお祭りをやっても良かった。おそらくそれが無駄遣いだったとしてもこれほどの反発はうまなかったはずだ。太陽の塔も建てられた当時はおそらく同じような「訳のわからないもの」扱いされていたはずだが今では文化的遺産になっている。

結局のところ「誰のためのイベントなのかよくわからない」という問題が根幹にあることがわかる。すくなくとも「私のためのイベントではないことだけは確か」という人が多いため「もう中止にした方がいいのではないか」という意見につながっているのだろう。

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