民進党の政治家さんたちはよく「共産党は革命を指向しているから、共産党とは組めない」説明する。確かに共産党は天皇制を打倒して国体を変えてしまおうという党是を持っており、危険思想と受け止められている。
さて、共産党の対極に位置すると考えられるのが自民党だ。一般に、自民党は中道もしくは右の保守政党だと考えられている。
ところが、自民党の憲法改正案を読むと、これがよく分からなくなる。自民党は民主主義を複雑で不完全なものと考えており、必要なときには強力な意思決定ができるようにしたいとみなしているらしい。また「公」というものを全面に押し出している。自民党の「公」が何を意味するのかはよく分からない(多分、国会議員の中にもコンセンサスはないのではないかと思われる)ものの、おおむね国家主義を意味しているものと考えられる。公共事業や緊急事態に財産権を制限して国家事業を優先させようと言うのは、国家社会主義的発想で、自由主義的発想とは言えない。自由主義はどちらかと言えば小さな政府を指向するはずだからだ。
支持者たちは「自民党は保守だから天皇を中心とした国家制度を再整備しようとしているのだ」と考えているのではないかと思う。ところが、憲法案を読んでみても天皇親政を目指すような項目は出てこない。「元首」だと位置づけられているのだが、元首に国会議論の拒否権などは与えられていないのである。象徴的意味合いの強い(つまり首相の権限の強い)元首にすぎない。いわば「お飾り」である。
だから、自民党の憲法案は復古的とも言い切れない。立憲主義(つまり人民が国家を縛る)という旧来の伝統からも逸脱しているのだから、これは革命指向とも言える。
故に2つの政党とも「革命」を指向していることになる。そこで、表面的にはなぜ2つの政党とも革命を指向するようになったのかという疑問が生じる。何か強烈な行き詰まりがあれば革命指向が出てくるのは当然なのだが、今のところそこまでの行き詰まりはない。どちらかというとじわじわと縮小してゆく感じだ。
もちろん、両党にも大きな差異がある。共産党は革命を指向しているというが、実際にはかなり保守的な政党だ。現在の憲法と立憲主義は守られなければならないと考えているようだ。これは、共産党が暴力革命を捨てた人たちの系統だからだろう。過去の経緯から考えると、議会民主主義がなくなっては困る人たちなのである。
一方で自民党は、民主主義や国民の権利が彼らの国家運営の邪魔になってきたという経験が蓄積しているのだろう。日本は国家主権を制限されており、アメリカの無理難題につきあう必要があるが、法律は杓子定規でアメリカの都合に合わせて変わってはくれない。自らが意思決定できないのだから、必要にあわせて法律の解釈を変えたいと考えるのは当然のことであろう。国民の要望とアメリカの要望はぶつかるのだから、国民主権が制限されるべきと考えるわけだ。
本来なら共産党の人たちは立憲民主党を立ち上げて現状の擁護を訴えるべきで、自民党の人たちは革命党を立ち上げて開発独裁制を国民に訴えるべきなのである。
ところが、共産党は共産革命という大義を捨てられない。それがもともとのアイデンティティだからだ。と同時に自民党も民主主義を捨て去ることはできない。そもそもの立党理由はアメリカがもたらした自由主義や民主主義を擁護し推進するのが役割だからである。
つまり、自民党と共産党の共通点は過去に縛られて現実に即した変革できないという点にあると言える。それはそのまま「変われない日本」の映し鏡なのである。