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文系・理系というリスク

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先日暴露されたパナマ文書のデータ総量は2テラバイトを超えていたらしい。これほどの量となると目視で確認するのは不可能だ。そこで、記者たちはデータをグラフ(関係性を点と線で結んだもの)に置き換えたのだそうだ。手作業では無理なのでサーバーを借りたらしい。つまり、経済記者たちが「真実に迫る」ためにはグラフ理論とコンピュータサイエンスを知っていなければならなかったことになる。
だが、日本の普通のジャーナリストたちはこの作業には参加できないだろう。日本のジャーナリストはまず地方に飛ばされて「足で稼ぐ」手法を覚えてゆく。大学時代の専門はあまり考慮されない。会社にはそれぞれの流儀があり「一から基礎を叩き込まれる」のだ。彼らの頂点に立つのは政治家とお寿司が食べられる人たちである。つまり、日本のジャーナリズムは構造的に癒着が運命づけられている。だから、日本のジャーナリストは西洋流の批判的態度は身につけられない。彼らは専門知識を持っていないのだから仕方がない。誰かに取り入って情報を分けてもらうしかないのだ。だからこそ、日本のジャーナリストは同じような人たちを再生産しようとする。
別の事例がある。富士通に入ったコンピュータサイエンス選考の学生が富士通を辞めたという匿名記事が話題になった。彼はレガシーシステムのエンジニアポジションを押し付けられた。富士通は20万人月プロジェクトを請け負ったらしい。はっきりはしないが、みずほ銀行のシステム改修だという噂がある。
彼がレガシーに殺されそうになったのは、先輩エンジニアたちがもっと効率的なシステムに移行しなかったからだ。その意味ではジャーナリストの人材再生産と同じ構図だ。
みずほ銀行はシステム統合に失敗した過去があり、もう失敗はできないのだろう。新しいアーキテクチャに移行できないのは当然だ。しかし、古いアーキテクチャにしがみつくのも危険だ。効率化がはかれないので、人海戦術で対応するしかない。レガシーに慣れた頃には最新のシステムに関する知識はなくなり、潰しがきかなくなってしまう。だから、優秀な学生は寄り付かなくなるだろう。
こうして多くの新卒エンジニアたちが不幸率なシステムにつなぎ止められてしまう。家畜をつなぐ「絆」の完成だ。人が足りないのだから、文字通り会社に殺されるかもしれない。残業時間は長いものになるだろう。かつては終身雇用で人生を保証していたのだろうが、今は途中で放り出されてしまうかもしれない。
そこで考えるのは「もし、この人が英語ができていたら」ということだ。日本人でコンピュータが得意な人は理系と見なされる。だから、自動的に英語はやらないはずだ。英語は文系だからだ。でも、コンピュータサイエンス専攻の学生が最低限度の英語さえできていれば、選択肢は広がっていたはずである。
この2つの事例からわかることは「理系・文系」という分け方が、もはや意味を失っているばかりか有害だということだ。ジャーナリストは文系分野だが、コンピュータサイエンスやグラフ理論の基礎がわかっていないと「真実を見つけ出す」ことはできない。すると、記者クラブに入って、利害関係者と「ずぶずぶの関係」を構築することが、キャリアのゴールになってしまう。
では、理系に進むと良いのかというとそうでもなさそうだ。ドメスティック企業というのは総じてレガシー化が進行している。文系だと考えられている英語さえできれば、キャリアは広がるが、できないとレガシーに殺されてしまうのだ。
キャリアを「理系・文系」に分けて考えることは、意味がないばかりではなく、有害であるとも言える。それはキャリアの重大なリスクを生み出すのである。


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