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岸田総理の経済政策のわかりにくさの根底にある「今はインフレなのかデフレなのか」問題

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前回のエントリーにおいて、岸田総理の国会答弁において定額減税と賃金上昇の関係について検証した。政府が思い切って可処分所得を上げる対策を打ち出せば産業界・労働界がこぞって感謝し賃上げが起こり景気の好循環が起爆するであろうという見込みに基づいているということがわかった。その論理構成は謎だがとにかく岸田総理はそうなるであろうと思っているようだ。

今回はこの議論を少し広げて「一体何が正解なのか」を考える。キーワードは「今はインフレなのかデフレなのか」問題だ。つまり議論の土台について考える。

インフレとデフレでは打つべき政策が違っている。国会の短い議論を検証すると岸田総理の経済対策にはインフレ対策とデフレ対策が混じっているようだ。これを無理矢理に整合させようとしたことで結果的に破綻してしまった。だから、説明がわかりにくくなっているのである。

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まず、インフレとデフレを定義する。この定義は文章の途中でひっくり返ってしまうのだが、便宜上定義する必要がある。インフレでは供給力が不足しデフレでは需給が不足する。インフレの時には供給力を援助し需要を沈静化させなければならない。デフレではこれが逆になる。政府が財政出動して需要を喚起する政策がとられることが多い。伝統的なケインズ経済学に基づく経済政策の基本である。大学の経済学で「需給グラフ」というものを見たことがある人も多いだろう。単純なグラフだ。

実は4-6月期の統計で需給ギャップが僅かにプラスになったというニュースがある。こうなると人々はものを欲しがるようになるので供給力を増強しなければならなくなる。だから岸田総理は供給力強化が大切だと訴える。

だが、日経新聞は既に

日本経済新聞社が1日に民間エコノミスト10人に聞いたところ、7〜9月期の実質成長率の予測平均は前期比年率0.8%減だった。マイナス成長となれば、需給ギャップは需要不足に逆戻りする可能性がある。

と書いている。

一時的だとすると、岸田総理の「経済・経済・経済」演説の中に出てきた「供給力強化策」の根拠がなくなる。需要不足に陥っているのに供給力を強化しても仕方がない。

ではこの「一時的」の根拠はどこにあるのか。日経新聞が間違っているだけではないか。

NRIが次のような記事を出している。輸入の大幅な減少(その理由は説明されていない)による一時的な減少であるという見方になっている。

第1に、4-6月期の需給ギャップが前期の-0.9%から一気にプラスに転じたのは、同期の実質GDP成長率(一次速報)が前期比年率+6.0%と予想外に高い成長率となったからである。しかしこれは、輸入の大幅減少による一時的な現象によるところが大きく、7-9月期はその反動でマイナス成長となる可能性が高いだろう。その場合、需給ギャップは再びマイナスとなる。

需給ギャップのプラス化と満たされたデフレ脱却4条件:政府はデフレ脱却宣言に慎重、日銀金融政策には影響せず(野村総合研究所)

では岸田総理はなぜ供給力強化を訴えたのか。

同じ筆者は別の記事で供給力強化策は「企業補助を正当化するための寄せ集め」と評価している。補助策が先にありそれを説明するために統計を使うということがよく行われる。今回の議論もそういう組み合わせになっているようだ。

確かに供給力強化に関する岸田総理の演説を聞いていても一体何を供給力強化策と考えているのかはよくわからない。とにかく「企業に対して経済支援をする時には供給力強化策だといっておけばいい」と丸暗記しているような印象だ。これが「経済・経済・経済」の中身なのである。

となると今までやってきた政策でも同じようなことが行われていたのではないかということになる。だから需要喚起策も入っている。既存の企業対策があり減税提案が加わった。

エコノミストと呼ばれる人たちは頭を抱えているのではないか。そもそも政府が今の状態をインフレと考えているのかデフレと考えているのかがわからなくなっているからだ。その当惑が伝わってくる記事を見つけた。第一生命経済研究所の記事である。サブタイトルが「~遅れるデフレ脱却宣言の弊害~」となっている。

岸田総理の答弁を聞いていると「デフレからは脱却したがまだ完全に脱却しきれていない」との説明が多用されている。これは需要喚起策を正当化するための理屈である。政府の大規模な財政出動で企業を助けるための理屈と言って良い。今回はここに個人に対する需要喚起としての定額所得減税と補助金の支出が加わった。また「供給力強化対策もやります」と言っている。需要は既に喚起されているのであればこれまでの財政出動は正当化されなくなる。

「どっちかはっきりさせろ」と書きたいのだろうがそうもゆかないので「脱却宣言が遅れると色々弊害がありますよね」と仄めかす言い方になっている。いずれにせよさまざまな対策を正当化するために異なった経済認識が使われているのだ。

ここまで一生懸命「インフレ・デフレ」について議論してきた。だがここで大前提がひっくり返ってしまう。

NRIと第一生命経済研究所のレポートに共通する認識がある。「デフレ」という言葉は内閣が勝手に作り出したものであるという認識だ。日銀はこのような言葉の使い方はしていないのだそうだ。よくわからない指標を使って説明をしているのだからエコノミストたちは政策を評価することができないということになる。

ただ野党側にも政権を批判できない理由がある。最も顕著なのが国民民主党である。

企業労働組合を背景にした国民民主党は企業支出を批判したくない。「岸田総理のいう供給力とは何か?」とは質問していたがそれ以上の追求はせずなんとなく納得して質疑を終わっていた。結果として企業への補助が確約してもらえればそれでいいということなのかもしれないが、本気で説明を求めていたら「総理は何を言っているのかよくわからない」で終わらざるを得なかったはずだ。

立憲民主党は「とにかく減税より給付だ」といっている。つまり今はデフレであるという認識なのだろう。すると、需給ギャップが反転したことが整合しなくなるのだが、それがおかしいのではないかという質問はしていなかった。質問した人たちがまるで興味を持っていないような印象がある。

総合経済対策は総理大臣の思い込みに支配され減税と給付が複雑に組み合わされたものとなった。加えて減税の後には景気が良くなるという見込みになっている。その後の増税とは矛盾しないという説明まで入りますます意味がよくわからないものになっている。

時事通信は「定額減税、効果限定的 ばらまき批判も不可避―経済対策」と書いているのだが、そもそも現在の状況がどうなっていてそれをどうしたいのかというビジョンは全く見えてこないのだから効果を測定しようがない。おそらく国民は状況が良くなったと実感せず漠然とした不安を持ちながら「政府の政策には効果はないんだ」と感じ続けることになる。国民が求める政策もまた矛盾している。「無償化」というのは税負担の増加につながる。これに「減税要求」が加わっている。国民は負担を減らす提案を選好するので相矛盾する政策を要求してしまうのだ。

よく砂上の楼閣という言葉がある。不安定な土台の上にお城を作るという意味だ。だが実際にはそもそも現状認識がない中で経済政策が完成しようとしている。つまりなぜか空中にお城が立っているのだ。

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