CNNが「ガザ地区の子供の足に番号が書かれている」と伝えている。子供が犠牲になった時のことを想定し特定できるようにしているそうだがこれがなんの番号なのかはよく分からない。この理由を調べると「犠牲者の非人間化」という現実に突き当たる。単なる統計として処理されるだけでなく「そんな統計は本当に正しいのか」と言われてしまうこともあるようだ。イスラエル側は情報を遮断し「現場」の状況が外に流出しないようにしてからガザを無力化するのではないかと考えられている。その時に犠牲になった人たちが名前を持っている人間として扱われるかあるいは単なる非人間化された統計情報として扱われるかということになる。その後の印象は大きく変わるだろう。
バイデン大統領がこんな発言をした。戦争なんだから無実の人が死んでも仕方ないと受け取れる。
大統領はホワイトハウスの記者会見で、パレスチナ側の死者数は民間人犠牲者を出さないよう求める米国の要請をイスラエルが無視していることを意味するのかとの質問に、「彼ら(イスラエル側)は、パレスチナ人が本当の死者数を伝えているとは思えないと言っている。無実の人々が殺されているのは確かで、それが戦争の代償なのだ」と回答。
この発言はアラブ系アメリカ人の離反を招いている。選挙戦略として多様化推進を謳ってきたバイデン大統領だが実は多様化も選挙戦略の一環でしかなく、その優先順位はあまり高くないということがわかってしまった。一方でイスラエル政府と同一視されたくないユダヤ系の中にも一時停戦を支持する人たちが出てきている。中には「軍事支援をやめるべきだ」という人たちもいるそうだ。
敵と味方をわけることによって味方の分裂を防ぐという手法は議会戦略としては有効なものだったのだろう。だがそのやり方も沸点(ティッピングポイント)を過ぎると逆に作用し始める。分断は止められなくなり内部から社会を大きく蝕む。
だがバイデン大統領のように「目の前の犠牲は止むを得ないことだ」と考える人はSNSでも増えている。BBCは変わった切り口からこの違和感を伝える。「オメルとオマル、イスラエルとガザ地区で殺された2人の4歳児……SNSはその死を否定」というタイトルだ。実際に亡くなった子供たちを「あれはフェイクニュースだ」などと主張する投稿が後を絶たないのだそうだ。BBCは似たような名前の二人の子供を出すことによってSNSの異常な状況を浮かび上がらせようとしている。オメルとオマルは数千人の犠牲者のたった2人ではない。たった4歳だが彼らにも人生がありその死を悲しむ人がいる。そして彼らには記憶されるべき名前がある。
敵味方思考に取り憑かれてしまうと相手の犠牲を「あれは仕方のないことだった」と考える人が増える。そして相手側の犠牲に関心を持たなくなってしまう。ヒトが生き残るために本能的に身につけた行動様式だ。こうしたメンタリティから完全に自由になるのは難しい。
バイデン大統領の「あれは代償であり仕方のないことだ」という発言はアラブ世界では猛反発されている。アラブ系メディアのアルジャジーラはこれを「dehumanise」と表現する。直訳すると「非人間化」である。
だがこのアルジャジーラの反論にもどこか哀しいものがある。The Palestinian Health Ministry in Gaza(ガザのパレスチナ健康省)の死者のリストでは名前と識別番号がペアになっているそうだ。「透明化の手段だ」という。ガザの当局も「統計は捏造だ」と指摘されることを見越しているのだ。
Each name is paired with a government identification number — a step meant to indicate transparency.
もちろんBBCが示すように犠牲者は双方に出ている。パレスチナ側だけが犠牲になっているというわけではない。さらに病院の空爆のように当初イスラエルの仕業と思われていたものが「実はそうではなかった」とわかったものもある。既に情報は錯綜している。その上、ついにインターネットと電話が切断され中の状況が分からなくなった。外に情報が出ないだけでなくガザの領域でも通信ができなくなっているそうだ。
中にいる人たちは既に生きてここを出られる保証があるとは思っていないのかもしれない。だから子供の足に番号を書き「いざという時に」識別されるように願っている。さらに当局はその番号を名前と一緒に公表し「これは単なる統計ではなく名前を持った一人の人間なんですよ」と示そうとしている。日本で言う「マイナンバー」を子供の足に書いておき、亡くなったらそれを名前と一緒に公表するのだ。
彼らの願いはただ一つ。「統計」ではなく名前を持ちかつて生きていた一人の人間として扱われ記録されることだけだ。
ニュースでは犠牲者の数が数字として日々更新されている。この戦争だけでなくどの戦争や災害でも言えることなのだが一人ひとりには名前がある。
イスラエル側は通信を遮断しガザを徹底的に無力化したあとで逃げていた人たちの帰還を認めるということになるのではないかと識者は見ているそうだ。この時に「数千人が殺されたが何人亡くなったのかはよく分からない」と「この人たちの一人ひとりには名前があった」では全く印象が異なる。