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保育園問題と生活保護

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保育園問題を見ていると、世代間で見方が根本的に違っていることがわかる。
年配層は、間違いなく保育園に子供を預ける母親を「かわいそうな人」と見ている。だから「保育園に入れないから日本死ね」という言動が許容できない。福祉の対象者が国を恨むことなどあり得ない。障害者が福祉年金を減らされたからといって国を恨んではいけないのと同じことだ。彼らは「社会のおこぼれ」で生きている訳だから、片隅でお情けを受けながら生きているべきなのである。
だが、現在の母親たちはそうは思わない。子供を預けて働くことは当たり前であり、保育園はむしろ義務教育に近い。だから、なぜ小学校にはみんな入れるのに、保育園には入れないのかという疑問が出てくる。前提になっているのは終身雇用体制の崩壊だ。彼らは権利意識を持っているわけだ。
この問題の底流に流れているのは、労働者が福祉なしに暮らしてゆけなくなっているという点だ。社会は何らかの形で再生産のコストを負担しなければならない。これはもはや、社会が余力でまかなう「福祉」ドメインの問題とは言えない。だが、現在の税制ではこれを義務教育のドメインに移すことはできない。もともと余力の範疇なのでこれ以上拡張しようがない。
この問題はなかなか理解しにくいのだが、賃金について考えるとわかりやすくなる。「非正規雇用が広がり」企業が賃金を負担できなくなったらどうなるのだろうかと考えてみればいいのだ。日本経済は長いトレンドでは衰退しつつある。これは労働者がまともな生活をする賃金を企業が賄えなくなる(あるいは賄わなくなる)ことを意味している。
すると、社会は、非正規雇用を見殺しにするか、何らかの形で一般労働者の賃金を補填せざるを得なくなる。それはベーシックインカムとか生活保護のような形になるだろう。つまり、普通の労働者は賃金を受け取りながら、生活保護も受給するようになるだろう。
「何を馬鹿な」という人もいそうだが、これは笑えない話である。もともと福祉の一環だった保育園が一般化したのだから、それが生活全般に広がらないとは言えないだろう。というより、もはやこれは既定路線だろう。
だが、これが実現するとおかしなことが起る。生活保護を受けた人が税金や各種保険料を負担して社会を支えることができるだろうか。その答えは自明で「否」だろう。で、あれば誰が社会を支えるのか。企業は租税逃れに熱心なのだから、中流階層が社会を支えることになる。わかりやすくいうと、終身雇用制の元で、子供を幼稚園に通わせることができる層の人たちである。
そう考えると、保育園の問題はこの社会がすでに持続可能性を欠いているということを意味していることがわかるのだ。
民進党は保育所の問題を「共生社会」というドメインで捉えようとしているが、根本的に間違っている。弱者も等しく社会に参加できるようにしようという意味なのだと思うが、もはや弱者の問題ではなく、社会の持続性に関する基礎的な問題なのだ。その意味では、防衛外交などの「大きな問題」を扱っていた民進党の議員たちが、やたらと「共生社会より」の発言を繰り返すのを見ていると不快な気分になる。保育園問題の方が外交より「大きな問題」なのだ。
自民党に至ってはこれを問題とは捉えていない。どちらかといえば、選挙前のスキャンダルと同じように扱っている。彼らには国家観というものがないのだろう。だから、この人たちのいう「旧来の家族中心の愛国主義」というものには全く同意できないのだ。