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【おさらい】ガザ地区がハマスに占拠されるまでの経緯

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REHACQでイスラエルとパレスチナ代表の「言い分」を聞いた。最も食い違っているのがガザ地区がハマスに占領されてしまった当時の経緯だった。パレスチナ側は「ハマスはPLOに加盟していないから選挙に参加すべきではない」と主張したが、西側が聞き入れなかったと言っている。結果的にハマスが勝ってしまうと西側は援助を引き上げてしまいイスラエルも和平交渉もしないという姿勢に転じたと主張する。さらにパレスチナ自治政府はガザから追い出されてしまう。封鎖され孤立した結果「ガザはテロリストの巣窟になった」のだという。一方でイスラエル側は「有効な選挙など行われていない」という立場のようだ。この双方の言い分を聞くと、なぜ今ガザがこのような状態に置かれているのかがわかる。と同時に今回のイスラエルの作戦の意図も見えてくる。長くなるのでイスラエルの作戦の意図については別のエントリーで紹介する。

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とにかく双方の言い分が絶望的に違っていることはわかった。REHACQも独自に整理企画を出すかもしれないが「調べられる所までは調べてみよう」と考えた。

意外と当時のWeb記事は残っていない。残っていたとしてもかなり旧式のサイトが多い。2005年ごろから2009年ごろまでの話なのでそれほど昔のことでもない。記録として経緯をまとめておかないと資料としては散逸してしまうのだなあと感じた。

実はイスラエルは2008年から2009年ごろにかけてガザに侵攻している。BBCがタイムラインを残している。ガザ地区の中で「戦車で犠牲」というような記述が見られる。この時にも国際的に非難されたのだろう。ガザの完全掃討はできなかった。

一方どさくさで戦争犯罪の捜査も行われなかったようだ。イスラエルの戦争犯罪についての記録がない、イスラエル軍は侵攻による犠牲者が出たことは認めつつもハマスが市民を盾にしているので仕方なかったと申し開きをしている。

この時の侵攻でイスラエルはハマスを壊滅させることができなかった。それどころかハマスはガザ地区全体に地下トンネルをどこかから掘り運び込まれた武器や弾薬を溜め込んでいったようだ。イランが援助していたものとみられている。今回CNNが記事にしている。

なぜこんなことになったのか。理由は大まかに2つある。イスラエルはガザ地区の統治に失敗した。ユダヤ人の入植地としてしかガザを見ていなかった。そして欧米は「民主主義さえ持ち込めば何とかなるだろう」と考えていたようだ。つまり選挙をやれば解決するだろうと言う見通しを持っていた。

欧米はイスラエル・パレスチナ共存を掲げている。だが、イスラエルは入植地を増やし既成事実を積み上げつつパレスチナ全土に浸潤しようとした。この統治は西岸ではそれなりに成功したようだがガザ地区では行き詰まった。このため、ガザ地区は2005年6月30日に閉鎖された。この時には「治安維持ができないため一時撤退した」と説明されていた。衝突を防ぐため、21のイスラエル人入植地は立ち入りが禁止された。これが2005年のことである。だが、この「一時撤退」はその後恒久化してしまう。

西側各国は「民主的な選挙さえ行えばなんとかなる」と考えたようだ。今回のREHACQのパレスチナ側の証言をもとにすればブッシュ大統領が熱心に推進したことになっている。

結果的に2006年1月25日にハマスを交えた総選挙に総選挙が行われた。パレスチナ側の言い分では「自分達は反対したが」「西側からハマスも参加させるように言われた」ということになっている。当時の大統領は共和党のブッシュだが「ハマスを政権に参加させることで抱き込もうとした」のではないかと思う。それを直接示す証拠となる記事や証言は残っていないが選挙結果が確定した後ブッシュ大統領が「ハマスの入った政権とも何とかやって行ける」と主張していたという記事がいくつか残っている。

アルジャジーラCNNによると総選挙の内容は次のようなものだった。現在ガザ地区だけで220万人の人口があるとされているので「135万人」という数字は少なすぎるのではないかと思うのだがとにかくそう言う説明だ。最新(2023年)の外務省の情報では両地区の人口は548万人になっている。ちなみにイスラエルの人口は950万人程度だ。

  • 登録有権者数は135万人でパレスチナに住むパレスチナ人だけが投票できる。これは全有権者の80%である。
  • 選挙区と比例代表による選挙
    • 小選挙区は西岸が11地区、ガザが5地区
    • 比例代表はパレスチナ全国区
  • 66議席のうち6議席はキリスト教徒に割り当て

ハマスの大勝に慌てた西側は今にして思えば最悪の決断を下す。西側と対決姿勢を維持するハマスが入った政権は承認できないと言い出した。イスラエルもハマスが政権に入れば交渉を打ち切ると宣言した。このため、ハマスとガザ地区は孤立してゆくことになる。パレスチナ自治政府の「穏健な」人たちはガザ地区から追い出された。

西側はハマスが優勢になることは予想していたがまさか政権まで取るとは思っていなかった。ハマスが躍進した背景はファタハの汚職疑惑だった。ハマスは腐敗がない「清廉潔白な」政党だとみなされた。つまりパレスチナ代表にも語っていない側面があることになる。

つまりファタハは協調姿勢に転じるにつれてイスラエルや西側からの恩恵を自分達に引き込み始めていたということになる。それを嫌ったパレスチナの住民たちは西側の援助に頼ろうとしないハマスに共感した。だがそれは「援助に頼ろうとしない」どころか全面対決を目指す危険な選択だった。結果的にガザ地区は封鎖されハマスを支持した人たちは域内に閉じ込められた。一方で西側の誤算は援助さえ仄めして選挙をやれば自分達に都合がいい政権ができるだろうというものだったのだろう。彼らは民主主義と自分達の経済力を過信していたのだ。これが今回の直接の原因ということになるだろう。人災の色合いが極めて強い。

選挙の後アメリカとEUはパレスチナ政府に対する援助を打ち切った。イスラエルにとってハマスの勝利は交渉を打ち切る良い口実になった。アッバス氏大統領が権威を失っているとして和平交渉を中断した。ハマスはこれに反発しイスラエルにミサイル攻撃を始めた。

これが2006年に起きたことである。次第に攻撃がエスカレートし2008年のイスラエル軍のガザ侵攻につながってゆく。全面対決は2009年ごろまで続いた。

そう考えると「今回イスラエル軍がガザに入ってもハマスを殲滅できないだろう」と多くの専門家が考える理由がよくわかる。実際に一度失敗している。最も簡単な方法は220万人もろとも全て更地にしてしまうことだがこれは集団的懲罰でありエスニッククレンジングとなるため許されない。イスラエル側は「ガザ地区はエジプトが管理すべきである」と言い出している。

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