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TVの国会中継はバラエティ化すべきなのか

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松田公太参議院議員がNHKに対して怒っている。最初は「言っているだけ」なのかなあと思ったのだが、どうやら本気みたいだ。日曜討論に呼ばれず、パターン(フリップとでもいうのか)を大写しにしてもらえなかった。
これについていくつか思うところを述べたい。
第一にパターンにはたいした意味はない。もし、TV的にしたいなら学校で習った通りにブレットは3つまでにすべきだろうが、実際にTVを見る側からすると議論すら聞いていない事が多いので、パターンにまで気持ちが入っていない可能性が高い。
日本人はデザイナーの仕事を軽視している。お役所が作るパワポ資料は、俗に「ポンチ絵」と呼ばれる矢印だらけの図柄(パワポのイラストをそのまま使ったりしている)になりがちだ。プレゼンテーションの限られた紙面に言いたい事を全て詰めるというのはかなり専門的な知識が必要だ。役所の作るプレゼン資料は、演歌をがなる素人みたいなものである。これがまかり通るのはデザイナーが難しい事をシンプルに表現しているからだ。これは、演歌歌手が「誰でも唱えるかのように唱ってみせる」のと同じ事なのだ。素人がリサイタルに出ればみんなに笑われるのだが、日本ではそれがまかり通ってしまう。
TVの入る国会中継は実質的に無料広告放送化している。自民党の議員たちは自分がいかに利益誘導しているかを喧伝したがるし、野党からもヘッドライン狙いの質問が多い。だから聞いている方も正座して聞いたりはしない。家事や他の仕事をしながら「話半分に」聞いているのだ。
もし、本当にパターンが大切なら、法律を変えてNHKにタイムコードを付けて事前に納入するように仕組みを変えるべきだろう。そして、質疑のリアクションをワイプで抜くのだ。これは、バラエティ番組でよく取られる手法だ。「分かりやすさ」を求めているのだと思うが、却って分かりにくくなる。これは「なんとなく分かったような気になる」位の効果しかない。
代わりにTVで重要視されるのは生の表情だ。今回の質疑では籾井会長が始終にやにやしていたのが印象的だった。全く反省していないばかりか、弱小政治団体を下に見ている様子があからさまに分かる。TVって恐ろしいなあと思った。
とはいえ、会長が直々に現場に命令を下し「あいつのパターンだけは大写しにするな」と言ったとは考えにくい。大物意識の強い人は細かいことまで指示しないで、下々に忖度させるものだ。意に添わない人は人事で報復するのである。それよりも、現場レベルにある種の蔑視感情があるのではないかと思う。では、蔑視感情はどこから来ているのだろうか。
考えられる原因はいくつかある。一つは英語がぺらぺらでさっそうとした人に対するコンプレックスの裏返しだ。海外でMBAを学んだ優秀な社員が出世競争で潰されるといった時に見られるおなじみの光景だ。日本人の男性は相手にコンプレックスを感じると何か卑下できる点を探す。男の嫉妬ほど怖いものはない。このために海外経験のある人や優秀な女性が潰されたりするのである。性的なことを仄めかして怒るところを眺めたり、ちょっとした意地悪をすして喜ぶ人もいる。
次の原因は元気会が全体的に政治家っぽく見えないからだろう。なんとなく「型」のようなものを求めており、型から外れるのを嫌うだ。これは日本人だけに限ったことではないようだ。アメリカでも「非政治家型」のトランプ候補とサンダース候補が躍進しているが、専門家たちは彼らがここまで躍進するとは考えていなかったようだ。つまり、政治家は言動そのものではなく、どの程度政治家らしく振る舞えるかによって実力を推し量られてしまうのである。
このように考えると「政治家らしい振舞を身につけた方がよい」とも思えるのだが、アメリカの事例はこうした「政治家らしさ」そのものが古びてきていることを示唆しているように思う。