乙武洋匡さんがバッシングを受けている。5人もの女性と不倫したのだという。池に石を投げ込んだように様々なことが分かった。
第一に自民党の人気のなさが分かった。自民党はいまだに高い支持率を誇っていて、次の選挙では憲法改正に手が届くだろうと言われている。だが、自民党から立候補が決まった有名候補者は決まって叩かれる。乙武洋匡さんにしても「自民党から出るとは思わなかった」「失望した」という声が聞かれた。考えてみるとこれは実に不思議なことだ。もし、自民党が国民から支持されているのなら、乙武洋匡さんの立候補は拍手で迎えられたはずである。このことから類推すると、自民党への支持はそれほど高くなさそうだ。そればかりか、ちょっとしたことで地盤沈下を起こす程度には脆弱なものなのかもしれない。
次に乙武洋匡さんは「障害者」のイメージをくつがえすことに成功したていたことが証明された。今回のバッシングで「イメージを裏切られた」と考える人はそれほど多くなさそうだ。バッシングの核になっているのは「謝る必要のない奥さんがかわいそう」というものである。社会学者の古市さんという人が「介護みたいなものだったのでは」とTwitterで弁護しているが、これは「障害者なんだから大目にみてやれ」というような意味合いになる。却って本人の意に沿わないのではないだろうか。
最後に自民党の変質振りが浮き彫りになった。今回の自民党は「障害者(や、その親族)はかわいそうだけど一生懸命生きている」というイメージを選挙に利用しようとしているようだ。彼らは障害者を弱くてかわいそうなものとしか捉えておらず、そのイメージを選挙に利用しようとしているのだ。推薦を取り消すとも言われているようだが、これは「障害者としての利用価値がなくなった」ということを意味している。
かつての自民党は芸能人出身でも障害者でも出世できる政党だった。例えば、八代英太氏はテレビ司会者だったが事故で車椅子生活となった。その後政治家に転身し参議院と衆議院の議員を務め、郵政大臣にまで上り詰めた。
もし乙武洋匡さんがニュースの出ない状態で出馬していたら、世間一般の人たちの「障害者なのに健気にがんばっている。だからあの人は立派だ」というイメージに縛られることになったかもしれない。乙武洋匡さんの人生にとってそれは良いことだったのかを考える必要がある。乙武洋匡さんはなかなかの野心家のようなので、イメージの乖離に苦しめられることになったのではなったかもしれない。と、同時に自民党の変質も感じられる。個性を活かす健全な政党から選挙のためには何でも利用する政党に変質しつつあるのではないかのかもしれない。万人に活躍ができる組織から、弱者が駒にされる政党に変わっているのである。