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国民の分断を図る日本の政府

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「共産党は、破防法の調査対象である危ない団体だ」との答弁書を政府が閣議決定したそうだ。このニュースを聞いて「国民の分断」について考えた。安倍政権の選択は2つの意味で危険だ。この内閣は中長期的な視野や国家運営についての見識に欠けている。自分たちの政権維持にしか興味がなさそうなのだが、これはきわめて危険である。
1つ目の危険は「破防法調査対象」の持つ意味合いだ。よく知られているように、かつて共産主義者にはいくつかの潮流があった。政府に迎合せずに暴力革命を目指す一派がいる一方で、国民の信頼を得るためには暴力主義を捨て去って民主的な政治に参加すべきだという勢力もいた。結局、生き残ったのは民主主義的な政治に参加することを選んだ勢力だった。つまり、体制は共産主義者たちを「抱きこむこと」に成功したのである。
国会の質疑を聞いていると、政府が社民党や共産党の質問にうんざりしているのがよくわかる。最初から世界観が違っていて、交わりがない。しかし、これはまだマシなほうなのだ。なぜならば、国会という管理可能な社会の中の出来事だからである。これは戦争ではなくスポーツなのだ。
確かに短期的には共産党をテロリスト扱いすることで、一般国民の支持を削ぐことはできるだろう。ところが、これは彼らを追い込むことになる。多くの人たちは共産党からは距離を置くだろうが、そうでない人たちが一定数以上出てくるのは間違いがない。
格差が拡大しつづけることを考え合わせると、共産主義者は地下化するかもしれない。社会的レッテルは認知を作り、認知はやがて現実化するのである。安倍政権は短期的な効果と引き換えに大きなリスクをもたらそうとしている。政府から弾圧された共産党の幹部たちは過激な人たちに「平和路線を貫くべきだ」といい続けることができるだろうか。
このリスクを背負うのは誰か。それは、安倍政権ではなく国民である。
しかし、これは物語のほんの片側の姿に過ぎない。安倍政権は、リベラルな自由主義者と対抗するために神道原理主義者(このブログではよく国体原理主義者と呼んでいる)に近づいた。今は過激な思想に酔っている彼らだが、やがて挫折することは目に見えている。アメリカとの関係上、国体原理主義者たちの要望をすべて聞いてやることはできないからだ。彼らが政治的に「無関心だ」と考えている一般の国民(憲法改正より経済対策を優先させて欲しいと考える一般の人々のことだ)も国体原理主義者の行き過ぎた主張(日本人に人権があることがおかしい)を決して受け入れないだろう。
これはトルコのエルドアン大統領がイスラム教指導者に接近したのに似ている。国体原理主義者は自分たちこそ安倍政権を教導すべきだと考えているだろうが、安倍政権はいずれこうした勢力を疎ましく思うようになるだろう。すると、国体原理主義者たちは、もっと過激化し、政権を批判することになるのではないだろうか。
今、安倍政権は国体原理主義者たちは一体に見える。それは「敵」とされる人たちがいるからに過ぎない。敵を殲滅してしまえば、この人たちは内部分裂を始めるはずだ。この内部分裂が自民党を壊すくらいですめばむしろ幸いなのかもしれない。安倍政権の動きは国内に極端な勢力を複数生み出す危険性がある。
一度追い込まれた人たちは日本人の社会や安全に対する意識を根底から変えてしまうかもしれない。我々は、社会が民主的なプロセスで統合されていることのありがたみを、アメリカやヨーロッパの事例から学ぶ必要がある。