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民主党バッシングが止まらない – TV政治の終わりとインターネット政治の萌芽

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長島昭久衆議院議員がツイッターで熱心に子育てと保育園問題について語っている。これをみて大変しらけた気分がした。そこで「選挙目当だろう」とツイートしたところ少なからずリツイートを頂いた。どうやら民主党叩きの風潮は収まっていないようだ。
このところ何回か保育園について書いたのだ閲覧者は集らない。多くの人が興味を持っているのは誰かを叩く事だけなのだ。ある人たちは熱心に安倍政権を打倒したいと思っているのだが、民主党嫌いも多い。だからタイトルをこうした憎しみに関連づけると閲覧数が稼げるのだ。だが、いくら憎しみを募らせたところで、建設的な議論は生まれない。
前回は日本人の公共圏について「意思決定に関与できる所」と「影響を受ける所」の二つに分けたのだが、どうやら「意思決定はできないが、数を頼んで破壊することができるところ」というのが加わったようだ。近年登場したばかりのインターネットが関与していることは間違いがない。半匿名で安全圏から攻撃が加えられるようになったからかもしれない。
だが、ネットには全く別の側面がある。例えば山田太郎参議院議員はネットで何千人単位のサポータを集めた。専門性が高く、一貫性がある。ネットの人たちは興味のある(つまりは意思決定権のある)分野の情報を細かくモニターしている。ネットで成功している政治家たちは表現の自由や新しいタイプの経営などの専門性を持っている。この中からリーディング・フォロワーのような層が生まれている。
企業の成功要因は金融資本蓄積から知的資本蓄積にシフトしたと言われる。知的資本のネットワークには顧客情報が含まれている。だからアップルのように顧客接点を大切にする会社は伸び、日本の家電メーカのように顧客接点をコストとしか考えない企業は個人家電市場から撤退せざるを得なくなる訳である。
同じことが政党にも言えるらしい。例えば自民党の政治家は対面ネットワークに依存している。例えば、磯崎陽輔衆議院議員の憲法論は脆弱で思想と呼べるようなものはない。泥棒が居酒屋で理想の国家論を夢想しているといった態である。だが、旧来の対面ネットワークではこの程度の認識さえ持っていれば「立派な国歌論だ」と言って貰えたのだろう。確かに実際に会ってみるといい人なのかもしれない。
民主党はどちらかといえばTV政治の中から生まれた政党だといえるだろう。ここではカメラに映っている間だけいい人を演じていればよい。TVは放送時間が限られているので短く分かりやすい言葉で問題を斬ってみせればよかったのだ。総合商社的なナショナルブランドの時代ともいえるだろう。
このフレームワークで見ると「ネット政治」に移行しつつあるのではないかということが考えられる。希望観測込みで考えると(少なくとも技術的にはオンデマンドでカスタマイズされた知的ネットワークが構築できるようになったわけだ。だから、一歩先に行こうと考えるなら「こうした知的資産をどのように体系化して蓄積できるか」と言ったことを考えればよいことになる。
そう考えて行くと「二大政党制」というものの意味が分かってくる。地上波TV型の政治では細かい差違は埋没してしまうので、2つ程度の大きい政党しか生き残れなかったということになる。だが、オンデマンドチャンネル時代にチャンネルが2つしかなかったら、人々は飽きてしまうだろう。
当面自民党の優位が揺らぐ事はないだろうが、5年単位で見るとその先行きは厳しいのではないだろうか。新人議員たちはロボットのような投票マシーンとして扱われている。一期目で専門性が育たなければ、そのあと専門家になる機会はないはずだ。彼らは例えていえばマニュアル通りに仕事をするカスタマーセンターの非正規雇用のオペレータのようなもので、決してエンジニアにはなれない。専門性のある社会人を集めてくればまだチャンスはあるだろうが、多くは政治家の親を持ち、議員秘書などを経て政治家になるのだ。その代表が憲法改正が宿願なのだが、憲法については何もしらない安倍晋三首相だ。
政党が生き残りたいと考えるなら、政治の知的資本蓄積について考えてみればよいのではないだろうか。


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