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ローマ帝国はなぜ崩壊したのか

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このところ、声高に民主主義の崩壊を危惧する人がいる。確かに嘆かわしいことのように思えるのだが、頭の片隅で「では、どうして民主主義が崩壊すべきではないのか」という疑問も湧く。為政者にとって都合がいいのなら、割高で面倒な民主主義など維持する必要はないからである。
一方で、民衆が力を失う事は領域の衰退につながるのではないかという可能性も考えられる。そんなことを考えていたら、ローマ帝国はなぜ崩壊したのかという疑問が湧いた。
ノーマン・デイヴィスのヨーロッパには次のような理由が列挙されている。こうした変化は急激に起こったわけではなく、徐々に進行した。

  • 支配階層の腐敗と社会階層の固定化
  • インフレーション(膨らみ続ける軍事費を賄うために、通貨の改鋳が繰り返された)
  • 度重なる蛮族の侵入
  • 域内の農業の衰退

もちろん、ローマには民主主義はなかった。かといって絶対王政のようなものがあったわけではない。つまり、ローマ帝国は独裁者の天国でもなかった。むしろ地域の軍人たちに都合のよい皇帝が擁立され、都合が悪くなると殺された。こうした混乱を嫌った皇帝は都を今のトルコにあるコンスタンティノープルに移し、公用語はギリシャ語に変わってしまった。ローマ帝国の西側は「崩壊した」というより捨てられたのだ。
なお、軍事費が拡大したから農業が破壊されたわけではないし、農業が破壊されたから軍事費を支えきれなかったという因果関係が示されたわけでもなさそうだ。システムの機能不全は同時進行した。
ただし、ノーマン・デイヴィスのヨーロッパはローマ帝国の崩壊をたいした出来事だとは見ていないようだ。つまり、ローマ帝国は一夜にして崩壊したわけではなかった。では、なぜローマ帝国がなくなっても西ヨーロッパは大混乱に陥らなかったのだろうか。
その理由はキリスト教だ。いわゆる蛮族と呼ばれた人たちはローマ皇帝に服属する代わりにキリスト教を受容し、領域を治めるようになった。やがてこうした領域が「民族」という概念を作り出すのだがそれはずっと後のことである。そもそも、ヨーロッパにおける民族とはゲルマン・ケルト・ローマ・スラブの混血の度合いの違いに過ぎない。
いずれにせよヨーロッパは共通の精神的基盤であるキリスト教を受け入れたことで、言語や国家などの統一をすることなしに、相互交流が可能になってゆく。そしてこうしたキリスト教世界のことをヨーロッパと呼ぶようになってゆくのである。
ノーマン・デイヴィスはなぜ域内の農業が衰退したのかについては解説していないのだが、これを気候の面から解説する人もいる。寒冷化の為に耕作可能な土地が南に下がった。このためアジアから蛮族が流入するようになる。その蛮族に押し出される形でゲルマン人が南下しローマ帝国に侵入することになる。ローマ帝国の西側はこうした変化に対応することができなかった。社会階層が固定されており、被支配層の人たちに帝国を守ろうなどという気概はなかったし、どうにか工夫して生産性を上げようなどという気持ちも持ちようがなかったからだ。
つまり、環境の変化についてゆけなかったことがローマ帝国の崩壊の原因になっているのではないかと考えられるのではないかと思う。

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