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今、政府が財政出動すべきではないのはなぜか

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唐突だが、なぜ政府が財政出動するのかを考えてみたい。経済は循環している。この循環を管理している人は誰もいないので、ときどき滞る。そこで政府が財政出動することで「ちょっと回す」手伝いをしてやるのだ。すると経済は「自ずから」回り始める。すると結果として国民貯蓄が増える。これを備えておいて、次に滞ったときに「ちょっと政府が借りる」。これが持続的な経済モデルだ。
circulation経済は回っているので、資金の奪い合いは起こらない。つまり、リニアモーターカーを作ったからといって保育園の補助ができなくなるということは起こらないはずなのだ。リニアモーターカーを作れば、作業員が所得税を払い事業者も事業税を払う。これが原資になり保育園の補助に回る。母親はまた働いて所得税を納めるのだ。
なぜ、こんな当たり前のことを書くかというと、この図式は少なくとも15年程度は成り立っていないからである。だから、この15年の間に社会人デビューした人はこの図式を知らないのだ。考えてみるとこれは驚くべきことである。また、政府債務は膨らみつづけている。長い間、政府が支出をして経済が縮小するのを防いでいるのである。
結果的に、経済循環はしょっちゅう滞るようになった。すると「財政出動せよ」という声が働く。その原資は国民貯蓄である。お金を入れるのだが勢いは強まらない。その繰り返しだ。「何かがおかしい」のだが、その状態に慣れてしまった。
それではなぜこのようなことが起こるのか。直感的にはこの循環のどこかに漏れが生じているのではないかと考えられる。だからいつまで経っても勢いがつかないのだ。それどころかこの機会はポンプの役割を果たしていることになる。国民貯蓄を吸い上げてどこか別のところに水を汲み上げている。もしこの仮説が正しければ財政出動すればするほど国民貯蓄は吸い上げられることになる。故に、その機械は動かさない方が良いということになる。
ところが、実際にはこの機械が正常に動作しているのかそうでないのかということは容易に検証できない。国民貯蓄と富裕層の資産(企業内の留保を含む)を区別する方法がないのだ。どちらも貯蓄や金融資産という形で蓄積されており、使われて始めて「良い蓄積」だったか「悪い蓄積」だったかが分かる。
「格差」が広がっているというのは、実はこの経済循環からの資金の流出のことを言っているのだが、普段の議論の中では問題がすり替えられがちだ。どうしても「公平・不公平」の話になる。だが、実際には「公平・不公平」というのはどうでもよい話だ。実際に問題になのは機械が持続可能かそうでないのかということなのである。
マイナス金利政策はこうして過剰投与されて死蔵されている「信用」を経済循環の中に戻すという意味がある。その意味では「良い政策」なのだが、実際には国民貯蓄も影響を受ける。銀行もまた資産の質を区分できない。それどころか弱い人が負担する事になりかねない。富裕層は資産を逃避させることができるからである。
悪い事に、現在の自民党政権にはこれが問題だという認識がないようだ。支持母体が企業(外資を含む)だからかもしれない。民主主義国家の政権運営の肝が国民の富を最大化するという点にあるという意味では大問題なのだが、フィリピンのように格差の大きな民主主義国家はいくらでも存在する。フィリピンは成長できない社会だが、日本は縮小してゆく世界だ。その痛みに耐えられないので、インバランスが起こる。そこで持続性が損なわれるわけだ。
概念の理解には難しい理論は必要ない。だが、これを実際のシステムに当てはめて分析しようとすると、なかなかの難題になってしまうのだろう。だが、少なくとも問題意識を持たない限り、ここからは一歩も前にすすむ事ができない。つまり、我々はうまく機能している経済がどのようなものなのかを思い出す必要がある。