共同通信が「主婦ら年金、将来見直しも 厚労相、働く人増えれば」と報道している。共同通信の記事では漠然と見直しと書かれているが主婦特権とみなされることもある国民年金の第3号保険者制度の廃止の可能性について言及している。このため、日経新聞は「第3号被保険者制度、見直しに言及 武見厚労相」というタイトルで問題の本質をわかりやすく示している。
厚生労働省は「106万円の壁」の議論を入口にして本丸であるサラリーマンの主婦パート特権そのものを打破したいと考えているのだろう。これは救済策ではないということだ。議論そのものについては読者の立ち場により意見が異なるだろう。ここでは制度の評価には踏み込まない。
むしろ問題になりそうなのが武見厚生労働大臣の人柄である。厚生労働大臣になるとこれまでのおじさん中心の社会から一歩踏み出して国民と直接触れることになるが、おそらく問題を起こすのだろうと感じた。
詳しい内容はフジテレビのウェブサイトにある。現在の制度は複雑すぎるのでこれを廃止して政府の支援パッケージや賃金に置き換えた方が良いと言っている。
厚生労働省はおそらく106万円の壁の議論を入口にして主婦特権(国民年金の第3号被保険者制度見直し)の見直しを行いたい。そのためには対象者はできるだけ少ない方がいい。この時に企業の配偶者手当は邪魔になる。だからその廃止を企業に求めてゆくと言っている。
武見大臣は、配偶者の年収基準のある「配偶者手当」制度を設けている一般企業に対し、手当の廃止を求めていく考えも表明した。
厚生労働大臣から直々に「手当を廃止しろ」と求められたら企業も身構えるだろうなあとは思うのだが、まず説明の論理構成に問題がある。
第一にこうした議論が起きるのは国民年金の受給者をできるだけ厚生年金に移動させたいからだ。厚生年金は企業が半分支出するために国の負担は軽くなる。さらに、多くの人たちを労働力として稼働しなければ医療・年金・介護のシステムが破綻しかねない。大臣はこれについてきちんと説明していないし、おそらく説明するつもりもないのだろう。
その上で、武見厚生労働大臣は因果関係を逆転させている。これが共同通信の見出しに反映している。つまり働く人が「自然に」増えれば本来主婦を考慮しなくて良くなると言っている。しかしそのためには邪魔な制度である配偶者手当の廃止を企業に「働きかける」と言っている。自然に動かせないのなら無理矢理働きかけようということだ。
武見大臣は企業に職場の処遇改善を求めてはいるが「独立して単独で家計を維持できる程度の収入を」とまでは言っていない。単に処遇改善につながるといいなあと「期待を示している」だけである。処遇改善は「期待してみている」だけだが、配偶者手当は廃止しろと企業に迫るという内容だ。
仮に今まで主婦(ハウスキーピングが主の仕事でパートが従の仕事である人)に十分な稼ぎが得られるのであればこれも悪い話ではないのかもしれない。だが現在課題になっているのはおそらく最低賃金近辺で働いてくれる補助労働者の不足だ。結局、社会保障費を支払いつつ低い賃金で働いてくれる労働者を確保したいというだけの話になっている。
ここまでの議論を読んで「なんだか難しくてよくわからない」とか「政府にケチをつけたいだけでは」考える人も多いのではないかと思う。それはそれで構わない。
おそらく多くの労働者や有権者は「理屈」ではなく直感で判断している。つまり今後のことを考えてよくわからなければ「判断ができないから話に乗らない」ことで対応するのではないかと思われる。結局、説明がよくわからないのが問題で、説明がよくわからないのは本来の意図を厚生労働省が隠しているからなのである。
今後2年間でどの程度のパート労働者が実際にこの制度に乗って厚生年金に移行するのかあるいはほとんど効果がなかったのかということが重要になる。その意味では国民が理屈はわからないなりに「武見さんのいうことなら聞いてみてもいい」と考えることこそが重要である。「空気と印象」で判断することが多い日本では、結局は武見さんの人柄こそが問題になるのかもしれない。
フジテレビの記事の最後にこういう一節がある。日曜日の朝の番組だったのでおっさん目線でしかチェックされていないのだろう。明らかに炎上しそうな一節をよく残したものだとは思うが男性読者が読んでも特に違和感は感じないかもしれないが「どうして誰もこれを止めなかったのだろう」と思った。
かつて専業主婦の国民年金加入は任意だった。しかし、憲法に定められた権利で年金受給権というのがあるのだということで、こうした制度、仕組みになった。給料として現金収入はないけれども、主婦としての働き方をきちんと評価しようということで、こういう形になった。橋下さんくらいの世代の人だと、割り切った考え方になるが、我々の世代ぐらいだとまだダメだ。卑近な話、私が「今度何とか俺は閣僚になりそうだぞ」と女房に言った時に、女房から返ってきた言葉は「皿洗いは引き続きやってもらいますからね」と。要は、そういう価値観なんだ。そういう人たちは、50代半ばから60代、70代、まだドオーッといる。この、いわば人生の第四コーナーにいる世代がだんだんあちらの世界に行く過程で、第三号被保険者の大体7、8割ぐらいが働くようになれば、橋下さんの考え方でも議論がやりやすくなってくるだろう。
最初の文章は「現金収入のない主婦の働きも評価しようということになった」で問題はない。
ただその後で比較をし優劣を仄めかしている。
- 家事労働の(たかが)皿洗いと大臣の仕事を比較している。
- 橋下さん世代の人と「そういう人たち」(50代半ばから60代、70代、まだドオーッといる。)を比較している
その上で「そういう人たちがあちらの世界に行く前に(つまり死ぬ前に)気持ちを入れ替えて」厚生年金を通じて社会保障制度を支えなければならないと結論づけている。「死ぬ前に気持ちを入れ替えてくれるかどうか」という皮肉がユーモアだと思っている。さらに悲惨なことに「俺は皿洗いをやっている」というのが家事に協力的な夫アピールになるとも考えているようだ。
救い難い。
おそらくおじさんたちはこのフレーズを読んでもなんとも思わないのだろうが、その無感覚さこそがおっさんのおっさんによるおっさんのための政治の問題だ。
将来の抜本的改革のために国会でこうした見解を被歴し続けるのは極めて危険である。おそらくなんらかの失言につながるはずだしなぜそれが家事労働を主に担っている女性たちの反発を受けるのかにも気がつけないはずである。
武見厚生労働大臣は医療報酬の改定を前にして「岸田政権は財務省の言いなりではなくきちんと医師会のことも考えていますよ」というジェスチャーとして内閣に配置されたという経緯がある。
支持母体維持で頭がいっぱいの岸田総理が「また味のある大臣を任命したなあ」と感じた。国会での活躍が楽しみだ。
武見氏はかつて日医の政治団体、日本医師連盟(日医連)の組織内候補だった。13日の内閣改造では、日医連の現在の組織内候補である自見地方創生相も初入閣した。日医は声明で両氏の入閣を「誠に喜ばしい限りだ」と歓迎した。
武見さんの頭の中は現在の医療・年金・介護のシステムを維持することで頭がいっぱいなのだろう。メディアでのさらなる「活躍」に期待したい。.
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