先日小渕優子自民党選挙対策委員長に新しい政治資金疑惑が出た。親戚の企業に優先的に仕事を発注しているという疑惑だった。それに続いて、ゲンダイが加藤鮎子こども政策担当大臣の疑惑を報じている。いわば政治資金を使ったお母さんへの「仕送り」である。
昭和的な感覚を持っている人から見れば「母親孝行の美談」と言えるかもしれない。ゲンダイが指摘する総額は900万円だが加藤鮎子氏の事務所は「問題がない」としている。
加藤鮎子新大臣は宏池会の会長だった加藤紘一氏の娘である。加藤紘一氏は「加藤の乱」の後不遇な状況に置かれた。最終的に選挙区では分裂選挙が行われて加藤紘一氏は議席を失う。三女を後継指名しその後しばらくして亡くなっている。加藤家は一度地盤を失っているため厳密には「世襲」とは言えないのかもしれない。
今回ゲンダイが「加藤鮎子こども政策相が実母に政治資金900万円を還流…新閣僚に早くも“政治とカネ”が噴出」として出している記事を要約すると次のとおりだ。
一つ目の疑惑は250万円のパーティー券の受領である。こちらについては修正を済ませている。外形的な問題のためこれを報道している媒体は多い。実は告発されているのだが読売新聞も時事通信も告発には触れていない。政治家に対して極めて温情的に振る舞っている。
もう一つの疑惑は900万円程度の支出である。加藤精三(元鶴岡市長・元衆議院議員)氏が建てた精三会館を加藤紘一氏が引き継ぎそれを加藤紘一氏の妻の愛子さんが引き継いでいる。この建物には愛子さんも住んでいるのだが加藤鮎子さんも事務所として利用している。
加藤鮎子新大臣は事務所の使用料として月に15万円を母親に支払っているが付近の家賃相場はそれよりもずっと低い。つまり相場との差額が「寄付」にあたるのではないかというのが告発側の意見である。庶民的な言い方をすれば「政治資金から相場より高い家賃を払ってお母さんに仕送りをしている」ということになる。
今回この問題を「発掘」した上脇博之教授は二つの指摘をしている。
- 家賃が適正な水準だったとしても、家族への政治資金拠出は公私混同と捉えられかねず、市民感覚から大きくズレている。
- 家賃を支払うのではなく、母親から事務所の無償提供を受けた形で処理すべきでしょう。
父親が亡くなり未亡人となった母親に自由になるお金を渡したいと考えるなら昭和的な感覚では母親孝行の美談ではないかという人もいるかもしれない。ただその原資は「給与」にあたる歳費ではなく政治資金だ。
その一方で母親がこの900万円をあまり使わずにとっておいたとなると政治資金から将来加藤鮎子さんも相続するであろう「加藤家」に資金を還流させていると見ることもできる。
給料と政治経費がごっちゃになっている上に、昭和的な「政治は家業である」という価値観と政治家は独立した一人の人格でなければならないという現代的な価値観の対立も見られる。
霞ヶ関の記者クラブはパーティー券の問題を形式的な間違いとして報道しているがアジアプレスは上脇博之教授の告発を報道し「どうしても選挙前にまとまった資金が必要だったのであろう」と指摘している。上脇教授は「遵法精神がない人が大臣になった」と立腹しているようだ。
だが記事を読むと「あとで簡単に露見するような無理な資金操作をしてまで手元資金を確保しなければならない」という加藤鮎子事務所の苦しい資金状況も伺える。支援団体が「パーティー券」という名目で事実上の選挙資金を移動させた理由がわからない。最初から単に「支援者から寄付を募った」と言えばいいからだ。つまり支援団体のパーティー券の原資が何だったのかが気になるところだ。
こうなると「加藤家」への政治資金の蓄積も「いざとなった時に取り崩せる資金」をプールしておくという狙いがあったのかもしれないと思える。「世襲」とはいえ加藤紘一氏の支援者たちが落選時に加藤氏を離れている可能性は極めて高い。選挙の時に積極的に支援してくれる人が多くないということなのかもしれない。
これまでの「政治と金の問題」のゴールは閣僚の辞任だった。しかしながら、今回の内閣改造ではそのゴールが少し変わってきている。在任のままで説明責任を求めるという手法である。まるで火にあぶるような形で「グリル」することによって政治家は自分達と違った常識を持っているのだから「世襲政治家に庶民感覚など理解できるはずはない」ということを証明しようとしているようである。
メディアと政治家の関係はジャニーズ問題に似た構図になっている。ジャニーズ問題ではジャニ担と呼ばれるテレビ局の担当者がジャニーズ事務所と調整を行いメディアコントロールをしていた。政治問題では霞ヶ関の記者クラブと政治家が結びついており政治家に温情的な報道が行われる。上脇教授らのチームは記者クラブが取り上げない問題を調べ上げたうえで刑事告発をおこなっておりそれを霞ヶ関の記者クラブに入れない報道機関が追うという構図になっている。
これまでの流れでは非主流メディアの報道がそれほど広がることはなく政権交代に結びつくようなインパクトはなかった。ただし有権者が不機嫌になるとニーズが出てくる。
加藤鮎子氏も小渕優子氏も現役子育て世代の代表者として選挙対策の目玉になるはずだった。それぞれ子育て政策と選挙対策の象徴的な存在である。つまり、二人とも恵まれた階層の出身者であり昭和的なお金の感覚を引きずっているという印象が生まれると選挙対策上は極めて不利になる。つまり「グリルされ続けること」にも一定の価値が生まれつつある。
内閣改造後の世論調査の結果が出揃ったが人事は支持率にはほとんど影響を与えなかったようだ。松野官房長官は記者団にこのことを聞かれ「真摯に受け止める」と答えている。また副大臣クラスに女性の登用もなかった。女性はお飾りとして「表紙」に利用されているだけで、本心は女性を活躍させるつもりなどないのだと野党から批判されることになりそうだ。
有権者はとにかく現状維持を望んでいる。政権を積極的に支援するつもりはなさそうだが、現状を変えさえしなければ政権交代までは望まない。政権が積極的に支持されなければ思い切った改革は実行できないのだから、あるいは有権者側は過剰な変革が起こらないように政治を牽制しているのかもしれない。
これら一連の動きが政権転覆・政権交代につながることはないだろうが、今後の政権運営には大きな影響を与えるだろうと予想できる。