高齢者のひがみとは恐ろしいものだと思う。安倍派指導部から外された下村博文元文部科学大臣は森喜朗元総理大臣に土下座をしたが許されなかったという報道がある。その理由をいくつかの週刊誌が書いているのだが根幹にあるのはどうやら森喜朗氏の「恨み」のようだ。政党というよりはご近所の自治会の争いのような「コップの中の嵐」について状況を整理したい。
例えば、デイリー新潮は経緯を次のように書いている。一体何年前の話なんだと思ってしまう。
「第2次安倍政権で文科相を務めた下村さんは、新国立競技場の建設を巡り、イラク出身の建築家であるザハ・ハディド氏の案を白紙撤回。一転して、隈研吾氏の案を採用したんです」
ザハ・ハディド案は斬新なデザインだった。しかし日本のゼネコンにはこのアイディアを実現するための技術力はない。そこで見直しが図られ「無難な」隈研吾氏のデザインで建築することが決まった。
ここで森喜朗氏は「自分の扱いが悪い」とすねてしまう。一度機嫌を損ねると全てが気に入らなくなる。産経新聞に「あいつは途中退席した、無礼だ」と怒り出したと言う記事が残っている。
「極めて非礼、不愉快だ」「僕から言っておく」森氏が激怒 下村文科相が五輪会合を途中退(2015/7)
ただ、もう当時のことはよく覚えていないので記事を探して読んでみた。
- ザハは悪者にされ、僕は友だちを失った(Xtech日経)
- 日本は、ザハ・ハディドへの「支払い」を拒否した(WIRED)
- 【新国立競技場】白紙撤回に至った、3つのポイント(ハフィントンポスト)
そもそもザハ案にはいくつかのブレークスルー(挑戦)が必要だった。ザハ案はスパンと呼ばれる大きな橋梁で全体を支える構造になっている。橋梁は土木分野では珍しくないが建築に採用される例は少ない。つまり土木部と建築部が協力してプロジェクトに取り組む必要がある。さらに技術革新を支えるための費用的な問題もあった。
「国家プロジェクトなのだからチーム一丸となってがんばろう」という気持ちがないままでプロジェクトが進んでゆくのだが、最終的に議論は世論に振り回されてゆく。結局ザハ案は「贅沢だ」ということになるのだが、最終的に撤回を決定したのは下村博文氏ではなく安倍総理だった。政権批判に広がるのを防ぎたかったのではないかと指摘する記事がある。つまり政治的な思惑による決断だったのだ。
総工費が2520億円に膨れた要因の現デザインと決別しなければ、安保関連法案の衆院強行採決で強まる国民の怒りが拡大すると判断。国際公約や森氏の「悲願」をほごにして「保身」を優先したが、国際社会の批判はじわじわ広がっている。
この問題では第三者委員会まで作られている。予算については曖昧なままで話が進んでいたが、下村博文文部科学大臣は「何も報告がないからうまくいっていたと思っていた」と言っている。
「とりあえずこの形で会議を通ったから」として決まった決定事項を誰も変更できなくなる。そのためにザハ・ハディド事務所や日建設計の警告は無視されたそうだ。ザハ・ハディド事務所はきちんとコンペをやってくれれば対応可能な会社はあったかもしれないと語っている。政治的な思惑による場当たり的な決定が繰り返され結局は政治的に潰された。そんなプロジェクトだった。
- 五輪=ザハ氏事務所、「コスト増大の警告を無視された」(Reuter)
偉い人に納得してもらったのだからこのまま進めるしかないと言うのは日本ではよく起こる問題なのだが、その「偉い人たち」頂点にいたのが森喜朗組織委員会会長である。下村博文氏の当事者意識のなさも問題だが、森喜朗氏が恨んでいるとするならばそれも逆恨みの類だろう。
下村博文氏が今回執行部を外されたのは「派閥内部で人気がなく味方になってくれる人がいなかったから」だと言われている。文部科学大臣時代の当事者意識を欠く様子からみても特に今回執行部を外されたことに関して同情したいとは思わない。だが、森喜朗氏が2015年の「恨み」をいまだに抱えており「あいつだけは許せん」といって執行部を外したとすれば、高齢者の恨みの深さの深さにただただ驚嘆してしまう。
フォーサイトの2021年の記事は森喜朗氏を総括し「政治は政策で語られるべきであり、個人の好き嫌いや人間関係で語られる時代は終わった」と高らかに宣言している。だが現実はどうもそうではなかったようだ。
いずれにせよ、政策立案の能力で語られるべき政治の世界を、人間関係の良し悪しと貸し借りだけで乗り切ってきた森元首相の時代は終わった。日本の政治に与えた負の部分がどれほどなのか、忖度なきマイナス査定がこれから始まる。
- わきまえない人・森喜朗の晩節に政界が捧げる「忖度なきマイナス査定」(新潮社フォーサイト・2021年4月)
今回森喜朗氏は「気に入らない人」を排除することができた。そして橋本聖子氏などの「オキニ」もメンバーに入っている。決め方がなんとなくジャニーズっぽいという気がする。
総会では、新設の常任幹事会に入る15人(衆院9人、参院6人)も発表された。不定期で開き、初会合は9月上旬を見込む。塩谷氏のほか、松野官房長官、西村経済産業相、萩生田政調会長、高木毅国会対策委員長、世耕弘成参院幹事長の「5人衆」が名を連ねた。西村環境相や岡田地方創生相に加え、松島みどり・元法相や橋本聖子・元五輪相らもメンバーとなった。
だが森氏が国民から支持されているわけではないのでこれと入った後継者を森氏が作り出すのは難しそうだ。安倍派は少なくともしばらくの間は数の力を背景に自民党の中ではそれなりのプレゼンスを維持することができるのだろう。あとは国民に訴えかけることができるリーダーがここから出てくるかどうかである。
今のところ、将来の総理候補というような人は安倍派の中には見つからない。週刊誌報道で「小泉進次郎氏を持ってきてはどうか」という話を読んだが、意外と実現してしまうのかもしれない。やはり将来の総理候補を育て応援するのが「派閥である」という考え方は根強い。内部で「神輿」が作れないなら外から招聘してくるしかない。