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若者が政治に参加しないわけ(仮説)

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孫崎享先生が「アメリカの若者に比べて日本の若者の政治参加率が低いのはなぜか」とつぶやいていたので、仮説をいくつか並べてみた。逆に #私が投票に行ったワケ というのもあるようなので仮説を立てる参考にした。

現状

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そもそもこの文章を書いたのは孫崎享先生が「若者が変革を起こさないのはなぜかなあ」と言ったことがきっかけになっている。しかし、数日たって、閲覧者の1/3は65歳以上だということがわかったのでこの節を追加した。[2016/2/22:追記]
いくつかの仮説が立てられる。そもそも若者は政治に興味がないのだが、興味がないどころか目にも入ってない可能性がある。
次に高齢者は若者がさわやかな改革を起こしてくれることを期待しているのだが、当事者にはその気がないのかもしれない。
さらに、若者は「~離れ」とか「意識が低い」と呼ばれることにうんざりしていることも考えられる。公民館の寄り合い所に行っておじいちゃんたちからえらそうに説教されるようなイメージだ。意欲があったとしてもしぼんでしまうだろう。
以降書いたのだが、強制するのではなく尊敬されて影響力を行使する必要がある。選挙に行くようになった人の中には「周りの人が政治参加していた」という人も多いからだ。若者は選挙に行かないと考える人は、周囲から尊敬されているだろうか。

仮説1:意見を言うのが面倒だ・怖い

このブログでは、読みに来る人は多いが、自分の意見を書き込む人はほとんどいない。意見を言うのが怖い・面倒だと思っている人がほとんどのようだ。ここから類推すると政治的な意見の表明をする人も少ないだろうと予想できる。最初の一人として目立つのを避ける傾向にあるのかもしれない。逆に個人の意見を呟いたり、知らない他人にTwitterで攻撃的なことを言う人は多い。意見を言うのに慣れなければ適切な態度が学習できないのだ。

仮説2:自己肯定感が低い

選挙にいくワケの中に「私なんかが参加しても変わらないと思うが」と言っている人がいた。全般的に自己肯定感は低そうだ。内閣府の調査によると若者の自己肯定感は低く将来への希望もないのだが「自国に誇りを持つ」という人は多い。昨今の「愛国心ブーム(または右傾化)」が説明できそうな調査結果だ。ここから出る仮説は2つ。

  • よくわからないことには口を挟んではいけないと思っている。古い形のポリティカルアパシー。「政治のニュースは難しすぎて、私なんかにはよくわからない」
  • 小さい時から嫌というほど周りの空気に合わせることを学んでおり、自分が行動したとしても変化を起こすことができないと知っている。「私一人が行動したところで何も変わらない」「高齢者の方が人口が多いから、数で勝てっこない」

仮説3:受身の理解 – 消費型

自己肯定感が低いのでどうしても態度が受身になりがちだ。この受動的な態度は2つに結実する。ひとつは消費型の政治理解、もうひとつは臣民型の政治参加だ。消費型の理解とは政治というのはプロ(政治家)が作るもので、私たちはただ買うだけという意識があるのではないかという仮説だ。

  • 政治は消費と同じようなものと捉えられており、ぴったりの政党(商品)がないと感じている。こういう意見は実際の商品開発の現場ではよく聞かれるらしい。NHKの討論番組で高校生のマーケティングコンサルタント(椎木里佳氏)が「政治は若者(女性)に近づいて欲しい」と言っていた。普段、企業にそのようなアドバイスをしているのだろう。
  • 選挙に行くことを「費用」だと考えているから。利権追求型の大人にも言える。「私にトクがあるかわからないのに、わざわざ選挙にでかける意味がわからない」
  • まさか、政治がここまでめちゃくちゃになっているとは思っていないから。電気やインターネットみたいに動いているのが当たり前なので、わざわざ関心なんか持たない。生活に窮してないから政治を持たないと指摘した人もいる。「私が行かなくても、別に問題ないでしょう」という考えだ。選挙に行ったワケによると「安部政権をみて不安になった」とか「戦争をするかもしれない」いう人もいる。

危機感を持つことは重要なようだが、後述するように影響力のある人(尊敬できる先生や親など)と意識を共有するのが大切なのかもしれない。

仮説4:受身型 – 臣民型教育

もうひとつの側面は臣民型教育だ。こうした態度は後に自治会やPTAなどの役員のなり手がないという現象に結びつきそうだ。地域の世話役になるということは面倒を押し付けられるということとほどんど同義なのだ。受身の態度は学習意欲にも悪い影響を与えているようだ。高校を卒業するころにはすっかり疲れきっているという統計もある。

  • 大人のいうことには従うべきだとしつけられてきた。ルールや校則は最初っから決まっていることで、自分たちで変えられるとは微塵も思っていない。
  • 生徒会などの学内政治が先生の下請け仕事だということを知っているから。予算やルールなどを自分たちでコントロールできず、先生の指導・監督が入る。
  • 「将来世代にツケを負わせないために政治に参加しろ」と大人から命令されて、責任を押し付けられているように感じているから。
  • ディスカッションの授業がなく、自分の意見を持てるとは思っていないから。与えられた知識を覚えるのが勉強だと信じ込まされているから。選挙に行くワケには「調べ始めたら意外と面白かった」というのがあった。新しいことを学ぶのは楽しいと思えれば状況は変わるかもしれないが、日本人の20歳の知的好奇心はスウェーデンのお年寄りレベルらしいという研究もある。

例えば震災地域など、地域の問題が国政に直結していて場合には政治参加意識が芽生えるようだ。逆に大都市圏では政治問題が意識されないのかもしれない。予算配分を巡って翼賛会化している政令指定都市は多いように思える。こうした状況を打破するためには、地域に主権を移し、大人自身が自分の街のことは自分で決められるという実感を持つとが重要なのではないかと思われる。

仮説5:政治に魅力がない・正解がわからない

  • 選挙に行くワケを読むと家族・尊敬する人・他の国などに影響を受けて選挙に行くようになった人が多い。裏返せば、よい影響を与えられる大人がいないと政治に参加しないということになる。尊敬できる政治家がいたから選挙に行くという人もいる。政治家を尊敬できないことで政治への魅力が感じられず、政治参加を妨げているのかもしれない。
  • 自己肯定感が低く、受身の姿勢を持っている人は(若者に限らず)正解が提示されないと行動に移さないだろう。逆に提示された答えに飛びつく人も多い。こうした傾向は小泉ブームや民主党の改革ブームなどに結実するように思える。正解に飛びついた人はあとで失望しますます政治から離れることになる。

政治家はポジションや所属政党に従って意見をころころ変える。TPPに反対だったはずの人が賛成に回る。憲法改正しようと言っていた人が「自民党案には反対だ」という。野党にいた人がいつのまにか自民党に参加している。このため、政治を合理的に説明できる情報源が欲しいという話をよく聞く。
最近、民主党はTwitterや週刊誌で見た情報を元に国会質問をしている。これは最悪な態度だろう。有権者は受身で提案を待っているのだが、その国会議員が受身教育の影響を受けていて、待ちの状態が生まれているようだ。安倍政権は少なくとも提案はしているので、一部の層から頼もしく見えるのだろう。自己肯定感は低いが自国への肯定感が高いという態度も、近年見られるようなった「排他的な愛国主義」をはぐくんでいるのかもしれない。受身さはポピュリズムの温床になると考えられ、好ましい傾向とは言えない。
いずれにせよ、現状を嘆いているだけでは状況は変わらない。すぐに打開策が生まれるとは思えないのだが、まずは自分の意見(仮説でもかまわないので)を言葉にして情報交換するところからはじめなければ有権者の態度は変わらないだろう。後に続く人たちは、今の主権者をよく見ているのではないだろうか。


Comments

“若者が政治に参加しないわけ(仮説)” への1件のコメント

  1. […] 「若者が政治に参加しないわけ」はたくさんの人に読んでいただいた。しかしながら、その多くは高齢者だった。これはこのブログの標準的な年齢分布とは異なる。皮肉なことにシルバーデモクラシーが証明される結果になってしまった。当事者の「若者」は全く関心を示さなかったのだ。 […]

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