プーチン大統領が沈黙を破りプリゴジン氏の事故と死について言及した。「惜しい男をなくした」と評価したそうだ。このニュースを見ていて通常の人間は社会病質に脆弱なのだなと感じた。
なぜ脆弱なのかを説明するがおそらく普通の感覚を持っている人は何回か読まなければ理解できないはずである。メカニズムが理解できないのだから対策はもっと難しいということになる。
分断が進んだ私たちの新しい世界はプーチン大統領のような人をを排除できなくなりつつある。そればかりか我々はプーチン大統領に慣れ始めている。ここから脱却するためには受け手が「論理性」を鍛えることが必要だ。
仮に「プーチン氏がやっていない」のであれば彼が統治する偉大なロシアで何者かが公然と殺人を犯した可能性がある。撃墜なら犯人探しをやるべきだし事故なら事故と主張すべきだ。
ちなみにプリゴジン氏は死んでいないと言う可能性は払拭できていない。つまり死んだことにしてSNSには絶対、に出てこないようにどこかに閉じ込め黙らせている可能性はある。もっと確実な形で始末してから最後にショーを演出した可能性もある。プーチン大統領はDNAテストには時間がかかると言っている。常に複数の飛行機に搭乗記録を残していたと言う話もあるので地上でこっそり始末したほうが確実ではある。つまり今回の件はプリゴジン氏が亡くなったと言うことが重要なのではない。誰もがわかる形で派手に爆破して見せたことこそが重要なのだ。
自分に邪魔な人物を確実に消すことを優先したために「プーチンはひどい男だ」と見られ社会的に非難される可能性が残った。通常の神経をしていればおそらく彼は評判を気にしただろう。
誰も違和感を感じないのはこれを見ているほとんどの人が「プーチン大統領ならこれくらいのことをやるだろうな」と当然のように受け止めて情報を自動的に補正しているからだろう。つまり普通の人が普通に持っている共感能力によって認知が歪められているのだ。
我々はプーチンという男に慣れ始めている。言い方を変えるとプーチンという存在をありのままで受け入れ始めている。ヒトの共感能力の優秀さに根ざすものとはいえ実は受け入れている我々こそが異常なのである。
おそらく、プーチン大統領はビデオメッセージを通じて自分に逆らった人物は公開処刑されても当然だと示したことになる。アメリカでは政権が関与したのだろうという見方が浮上しているがこれを公然と否定している。つまり誰もがわかっていることを否定して見せていることになる。集団としてのプーチン政権が「見えすいた嘘をついても構わない」と考えそれを周囲に示していることになる。
こうした性格は一般的に「サイコパス・ソシオパス」として知られる。社会的共感能力を持たない人という意味だが先天的にそうなのかあるいは後天的にそうなったのかによって用語を使い分けることがあるそうだ。
さらに、プーチン氏は他人に対する評価も行っている。自分の依頼に従って何かをやってくれる人は「いい人」だが自分に逆らうものは「悪い人」という二元的な判断である。他人は共感の対象ではなく利用できるか利用できないかで価値が決まる。こうした人たちがよく口にする言葉に「愛」がある。一般の定義ではお互いに共感を通わせることができる存在を指すが、こうした人たちの言う「愛」は役に立つか立たないかで決まる。同じ言葉を使っていてもわたしたちとは意味が全く違っている。
さらにプーチン氏はもう一つ「ナルシスティックさ」も見せている。誰の目にも彼の残虐な行為は明らかだが周りからどう見られているかに全く気がついておらずむしろ無関心でさえある。むしろ「家族に同情」してみせている。つまり、自分は逆らう人間を始末してもいい特権を持っているのみならず、いかに寛大で優しい人物なのかを誇示しており、無条件にそれが理解されるものと信じているのである。
共感能力を持たず倫理観に乏しく人を役に立つか役に立たないかで評価する人間は古くからマキャベリストと呼ばれてきた。サイコパス・ソシオパスとはまた別の概念だがナルシシズムも加えて一人の人がセットで持っていることが多いとされる。表現型は実にさまざまで一般の診断は難しい。普通の社会はこうした人たちを許さない。だからこうした特性を持っている人はこれを隠そうとする。逆にこうした性格が表に出てきてしまうと社会生活に何らかの支障をきたすため「社会病質」と表現される。
これを防ぐためにヒトは2つの武器を手に入れた。相手の行動の背景にある意図を正確に類推する社会性と「損をしてでも逸脱者を許さない」という逸脱排除の協調行動だ。一方で病質を持っている人はこれに対抗しようとする。協調行動を見るとマキャベリストの脳は活性化しそれを破ろうとするという。
それでは世界はこうした社会病質を持つ人とどう関わればいいのか。通常の世界では法的執行力を持ってこうした人たちの行動を抑止する必要がある。また逸脱行為を防ぐためには「自分がゲームに勝つこと」を諦めて協力した上で相手を勝たせないという協調戦略が有効とされる。法的執行もこの社会的協調の1つのやり方と言えるし「国際法」もその一つだ。
ソ連崩壊で混乱したロシアでは社会病質を持っている人間がトップに立ちやすい条件が整っていたことになる。プーチン大統領は安倍総理大臣のように「自分に期待し取引を求めるお人好し」を利用し社会的に生き延びてきた。「北方領土の奪還」という社会的名誉にとらわれていた安倍元総理はおそらくいいカモだったことだろう。こうしてさまざまなリーダーたちの功名心を利用して生き延び最終的にはウクライナ侵攻という問題行動を引き起こした。ただこれもプラスに働いていると言えるかもしれない。プーチン大統領は異常性を隠す必要がなくなり、我々はその性格を受け入れ始めている。さらに国際社会に彼を許す枠組みもでき始めている。こうなると国際法によって彼を追い詰めることも難しい。
ただこうした傾向が見られるのはロシアだけではない。アメリカのトランプ前大統領も自分の負けを決して認めず自らを心の大統領と呼ぶナルシシズムとそれを守るためには自分は何をやってもいいという逸脱性を持っている。逸脱性を持っているだけではなく相手が今何を欲しているのかを瞬時に判断しスピーチをするという「才能」にも恵まれている。そしてアメリカもまたトランプ氏に慣れ始めている。刑務所に出頭しマグショットを取られても彼はまだ共和党の筆頭候補者である。
分断された今の社会はプーチン大統領やトランプ前大統領を止めることができない。
日本人は不安耐性が低いため「対マキャベリスト」戦略に傾倒しがちであると言われる。日本が固定的な村社会であった時にはこれがうまく動作していた。この強すぎる逸脱行動排除の傾向を「スパイト」と呼ぶ人がいる。
しかしながら社会が不安定化するとこのスパイト戦略はうまく機能しなくなる。社会的なバッシングで問題が解決することはなく、次から次へと新しいやっかいごとが起きると社会的な囲い込みがうまくいかなかくなる。SNS上でスパイト気質が暴走しており過度なバッシングに繋がっていると指摘する人もいる。協調戦略が疲弊しするとこちらも病的な変性を起こし昨日不全に落ちいる。
おそらくこの文章は「このように社会病質的なリーダーを国際社会は許してはいけない」と書けばきれいにまとまるだろう。日本人が大好きな結論だ。
だが実際の国際社会はもうそういう段階にはない。「気持ち」でなんとかなるような社会ではないのだが戦略的なアプローチを苦手としてきた古いタイプの日本人にはなかなか理解が難しいのかもしれない。
アメリカはもっと厄介な状況にある。アメリカ人は多数派がルールを決めて逸脱者を排除するというやり方で社会秩序を保っていた。これを民主主義という。アメリカはヨーロッパ系の白人が多数派を占める社会でありこれが白人優位な仕組みとして作用してきた。しかし人口動態が変わりつつあるためこの白人優位の社会を維持できなくなりつつある。
この動揺に付け入る形でルールを撹乱したのがトランプ氏である。アメリカ憲法という社会的ルールを無視し選挙は盗まれたと主張し暴力による選挙妨害を先導したという疑いが持たれている。起訴されても自己正当化がやめられず「1月6日は愛に満ちてた」と言っている。これは極めてナルシスティックな世界観だが、これに同調する人は多い。トランプ氏は強すぎる自己愛を満たすためにどのように取引をすればいいのかをよく知っているのである。
日本やアメリカの報道を見ていると、どうにかしてこれをプーチン大統領の仕業だと証明した上で、国際社会の総意でプーチン大統領を追い詰めて、翻意をはかろうとしている。あるいは周辺国にプーチン大統領の異常さを認めさせた上で「プーチン包囲網」に引き入れようとしている。
だが分断された世界ではこのやり方はなかなか難しいだろう。それどころか我々が相手の気持ちを類推して理解するという共感性のせいで論理的な思考が失われ「プーチン大統領の流儀」に慣れ始めている。ただし心理的な抵抗があるためSNSは興奮しやがて摩耗してゆく。
共感能力が強い人ほど今何が起きているのか理解しにくいと思う。仮に「プーチン大統領が本当に何も知らなければどう行動したであろうか」を想像した上で、今の言動との差異を検証してみるといいと思う。モスクワ近郊で飛行機が原因不明で墜落したのだ。ウクライナからのドローン攻撃がモスクワを狙っていると言う報道が盛んに出ている。おそらくプーチン大統領はかなり取り乱していなければおかしい。
つまり協調行動の前に必要なのは「事実を目の前にした時に何かをひっくり返して検証してみる」と言う論理性だろう。感覚的に慣れてはいけないのだ。