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マイナ健康保険証プロジェクトの「失敗」をそれほど深刻に考えない方がいい理由

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このブログではよくマイナンバー健康保険証の問題を取り上げる。批判的に書くことが多いのでおそらく「日本を卑下する発言だ」と考えて反発する人もいるのだろうなあと思う。そこで今回はそれほど深刻に考えなくてもいいのではないかという意見を書く。キーワードは「事前審査制」である。

つまり特に「日本が没落してITプロジェクトをまともに扱えなくなった」というような深刻な問題ではないのではないかと思う。

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何か新しいことを始めようとすると思わぬ問題の直面することがある。ただ、問題が起きた時にその都度対応すれば解決はさほど難しくない。あらかじめ計画を立てて、解決可能な問題しか起きないように小分けにしてから行動すればなおいい。新しい課題に対する新しい問題をコンティンジェンシー(偶発事項)と呼ぶことにしたい。コンティンジェンシーさえ管理できればいいのだ。

だが、現在の日本の政治はこれに対処できない。「あらかじめ全部決めないといけない」という思い込みがあるからだ。

元々の政治のやり方はよく官僚主導などと言われる。まず官僚がアイディアを出し、それを族議員に相談し、全ての利害調整を済ませた上で、党議拘束をかけて、法制化するというやり方がとられる。事前審査制という名前がついている。

事前審査性はあらかじめ関係者全てに「はんこ」をもらう制度なので意思決定に時間がかかる。そこで考え出されたのが限られた人たちで方針を決めるという官僚主導だ。橋本政権に萌芽があり、森政権で制度化され、小泉政権で活用され、安倍政権で変質した。もともとは意思決定を早めるという目的があった。

ところがこの官邸主導は意思決定から排除された多数の「部外者」を生み出した。部外者は意思決定に興味がなくなり自分達の都合や理屈を押し付けるようになってしまった。

同時に省庁再編も行われたが縦割りはなくせなかった。省庁横断型のプロジェクトを管理するために作られたのが「なんとか庁」である。デジタル庁やこども家庭庁というように新しい何かが生まれるたびに担当大臣が増えてゆくという構図で却って責任の所在は不明確になっている。例えばこども家庭庁は文部科学省と厚生労働省の抵抗にあった。国全体のことを考えればいいはずなのだが、なぜか省庁の間に「利害」が存在する。つまり省庁には「こども権益」が存在する。

今回は、こども家庭庁が、幅広い子ども政策を担うことから、「幼保一元化」の議論だけに時間を割けなかったことに加えて、幼稚園や保育所を所管する文部科学省と厚生労働省の利害調整などに時間がかかることが予想されたこともあり、まずは「こども家庭庁」を早く設置することを優先させようと見送られた。

「こども家庭庁」って何? 子どもの権利は?財源は?(NHK)

政調会長時代にこの弊害に直面した岸田総理はおそらくこれではいけないと考えたのだろう。「聞く力」ということを言い出した。

この「聞く力」は事前によく話を聞いたうえで最も最適と思われるパターンを選択しようという考え方に基づいている。だが部外者が増えた環境で聞く力を発揮するとどうなるか。それぞれが好き勝手なことを言うだけになり、却ってまとまらなくなってしまうのである。

結局決めきれなくなった岸田総理は「えいや」で方針を決め、自分ならこの難局を突破できますと主張する人にプロジェクトを一任することになる。今回の場合は「健康保険証を一律で廃止します」と決めてしまいそれに党議拘束をかけた。

結局現在の問題はマイナ健康保険証の問題ではなくなっている。一度党議拘束までかけて決めた法律を撤回するかしないかという話である。撤回すれば野党に「ポイント」が入るというあまり意味のない試合だ。

つまり今の政治体制では「えいや」で決めた後に不測の事態が起きても対応できない。極めて当たり前のことが起きている。新しいことをやる時には想像もつかないことが起きる可能性があるので常にバックアッププランを持っておけばいいのに「それをやらなかった」ことが問題なだけなので、特に「日本人がITプロジェクトを扱えなくなった」というような能力の問題ではないのである。

さらにデジタル庁の場合はデジタル庁、厚生労働省、総務省が「責任の所在」を押し付けあっている。権限は渡したくないが責任も取りたくないという人たちが多くいることがわかる。

日本の「改革できない病」はダイエットができない人に似ている。理想が高すぎる上にちょっと誘惑に負けて食べてしまうと「もう自分にはダイエットは無理なのだ」と諦めてしまう。「自分はダイエットができないダメな人なのだ」などと考える必要はない。そもそもそんなことを考えてもダイエットには成功しない。そのうち鏡を見るのも嫌になるというのでは本末転倒だ。

日本人は政権交代や変革に高すぎる期待を持っている。これが却って変革を難しくしているように思える。本当に変わりたいのならばもう少し気軽に構えるべきなのではないかと思う。

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