地位の高い政治家ほど平気で嘘をつく。この数十年日本人が貰う給与総額は下がっているのに「日本は貧しくなっていない」という。格差は広がっているというのに「そのような統計的事実はない」と言ってはばからない。
これは政治家が悪いのだろうか。もしくは、日本特有の現象なのだろうか。
アメリカの心理学者Paul Piff(ポール・ピフ)が社会的階層が人間の真理にどのような影響を与えるかということを調査している。この一連の調査によると、社会的階層が高いほど、他人に対して不誠実になることが分かっている。Piffの研究成果はTEDなどで見ることができる。
Piffの研究はアメリカ人を対象にしている。故にこれは日本独自の現象ではなさそうである。
Piffによると、モノポリーで「格差」を与えると、勝ち組の側は徐々に尊大な態度を取るようになる。そして、明らかに格差を認識しているにも関わらず「実力で勝ったのだ」と認識する。その間に必要な時間はわずか15分だそうだ。
お金持ちという自覚がある人は「取ってはいけない」と言われているお菓子を多く取る。
高級な車に乗っている人は歩行者に道を譲らなくなる。プリウスが最も「非倫理的な車種」だという。
Piffは解決策も示している。社会的地位の高い人に困窮者の実態を見せるとよいと言っている。一定の修正効果があるそうである。
日本の政治に当てはめるといろいろなことが分かる。
多分、安倍首相は「嘘をついている」わけではない。ただしその認知は間違っている可能性が高い。実力で現在の地位を築いたと思っており、貧乏人は努力が足りないからいけないのだと考えているかもしれない。認知に反する統計は「なかったもの」として処理されるだろうから、格差が広がっているという認識は「見なかった」ことにされるだろう。
森元首相がオリンピック関連で妄言を繰り返すのも仕方のないことだ。実力で資金集めをしたのだと考えているのではないだろうか。自分に決定権があるのも当然だと考えている事だろう。
もっとも厄介なのが「もともとお金持ちではなかった」が「地位を得てしまった」人たちである。例えば有力政治家の秘書になった人や有名作家や識者たちのおかげで地位を得た編集者などである。彼らは自分の実力で地位を築いたと思うだろうし、地位の低い一般の人たちに対していわれのない特権意識を持つ事になるだろう。
地位にある人はそれでも「自分の評価は他人から評価に支えられている」という意識がありそうだが、他人の地位で食べている人にはその自覚もない。偉い人にさえ気に入られればそれでいいからだ。
政権を取っている政党の政治家が「天賦人権論など良くない」と考えるのはある意味当然だろう。自分は特権的な地位にあり、法律さえ好き勝手に変えられる存在であるという意識と、それが貧乏人からの一票一票に支えられているに過ぎないのだという意識の間に葛藤が生まれるからだ。
心理学的に、政治家たちが「勘違い」しないようにする策はいくつかあるだろう。常に困窮者たちを視察することで、認知的なバイアスをいくぶんか取り去ることができる。いくら忙しいといっても、新聞社やテレビ局の偉い人と食事をする時間があるのだから、福祉的な活動への視察時間を義務化するとよいかもしれない。