ラッパーのZeebraさんが「保守」の人たちに絡まれている。日付を見たら呟かれたのは2011年だ。保守速報に載って再発見されたようである。Zeebraさんは4年以上前の投稿への反応に驚いているのではないだろうか。
@kenokabe 仰る通りそこまで知識はありませんが、戦争をする事こそ思考停止ではないんでしょうか?互いを尊重しあう対話をする事が大切だと思いますが。
— Zeebra (@zeebrathedaddy) 2010, 11月 23
当たり前のことを言っているだけだと思うのだが、これで左翼扱いされてしまうのだろうかと考えるとちょっと恐ろしくなった。
当たり前のことだが、戦争は良くない。真っ先に被害を受けるのは一般庶民だが、戦争反対に反対している人たちが特権階級に属するとは思えない。保守速報に載っているコメント(絡まれると怖いのでリンクは貼らない)を読むと「戦争になっても自分たちには関係がない」と思っている節がある。戦地になるのは遠く離れた地で、職業軍人(自衛官)が戦うという認識があるのだろう。確かにニュースでみる戦地は中東やアフリカだ。この認識は実際に第二次世界大戦を経験した人たちとは異なっている。たいていどこの都市も空爆された経験があるからだ。
「戦争する相手とは対話ができない」という人が多かった。近年の戦争の質が変わってきていることも反発の原因になっているらしい。冷戦時代の戦争は東西対戦で敵が明確だった。しかし、対テロ戦争は敵が見えにくい。東西冷戦時代のアメリカとソ連の介入に怨嗟の根があり、これが連鎖的に広がって収拾が付かなくなったのが現在のテロ戦争だ。もともとの原因が何だったかということが分かりにくくなっているので「対話」なんかできないという認識は間違っていない。前の世代が「冷静に対話しなかった」せいで戦争が広がっているのだ。
一昔前の若者といえば「戦争反対」と相場が決まっていた。戦争という不合理な現実を身近に見ており、若者こそが状況を変えられるという自信があったのだろう。戦争反対派の対極にいたのは無関心層だった。しかし、現代では事情が違っている「理想を持ち現実を変えられる」という見込みが憎悪の対象になっているのだ。裏側には「現状は変えられない」という見込みがあることになる。反発がなければ、昔のように無関心層になっていただろう。
この話のもっとも恐ろしいのは、政治や外交への不信感が広がっている点だと思う。話し合いや民主的な手続きよりも軍事力など強い力による問題解決を狙ってしまう。先進国的な態度とはいえず、中進国的だ。
確かに「戦争より対話」というのはお花畑かもしれない。しかし「戦争や軍事力がすべてを解決する」というのもお花畑だ。もし、戦力がすべてを決めるならベトナム戦争はアメリカの圧勝だったはずだし、シリアの内戦もとっくに終わっているだろう。アメリカの戦力は圧倒的なのにもかかわらず、戦争は終わらないのだ。その上対話ルートも途絶えてしまう(そもそも誰と話し合ってよいかすらわからない)のだから、撤退ができなくなる。こうした現実を受け入れるのが、本物のリアリズムだろう。
アメリカの一般誌には戦争負傷者の記事がよく載っている。これが日常になっているのである。戦争被害者だけではなく、軍でレイプされた(男性が男性にレイプされることもある)被害者もいる。こうした現実を日常的に見ているアメリカ人は「戦争こそ対話だ」とはとても言えないだろう。これを見ると、自分には関係ないと思いつつも「不快な」気分になる。人間には共感能力があるからだ。しかし、日本のマスコミでこういう人たちの映像が流れることはない。多分「食事時に不快なものを見せるな」というクレームが来るだろう。現実の戦争は不快なものだ。
もっとも「今の人たちは好戦的だ」と考えると分析を間違えるかもしれない。戦前、大衆は軍部の台頭を願った。日清戦争の成功体験があり、日露戦争で賠償金が得られなかったときには「もっと賠償金を」などという声が上がった。政党政治が行き詰まったこともあり、中国進出を支持する人も多かった。日本が世界恐慌から抜け出せたのは満州に進出したからだという説もある。ただし、それは持続不可能な成長戦略だった。アメリカと衝突することになり、後の敗戦につながって行ったからだ。