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200円の大台も視野に ガソリン価格の急騰は新しい産業の萌芽になるか?

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コナンドラムという言葉がある。複雑に絡み合った謎という意味である。現在ガソリン価格がこの「コナンドラム状態」に陥っている。さて、これを日本人はどうするのだろう?というのが今回のテーマだ。

税金さえ取らなければ価格は55%(約半分)まで下落するという指摘がある。問題が複雑になると人々は理解をやめて簡単なソリューションにしがみつき「なぜそれをやらないんだ?」ということになる。この場合は「税金をとって補助金で補填するのはややこしいからいっそのこと税金を取るのをやめてはどうか?」という議論になっている。

単純な議論なのだが実際にQuoraでぶつけてみたところあまり人気はなかった。「極端すぎて何が起きるかわからない」と感じるのだろう。代わりに支持を集めた声が二つある。「補助金の現状維持」と「贅沢を言わないで我慢する」という対応だ。日本人の現状維持欲求の強さとその内容がよくわかる。

ただこの「我慢」はもしかしたら新しい産業を生み出すかもしれないと感じた。かなり複雑で理解するのに疲れる議論なのだが、順番に精査してゆきたい。

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ガソリン価格がじわじわと値上がりしている。原因は3つある。原油価格そのものの値上がり、円安、政府の補助金だ。今のままでは10月以降の補助金はゼロになる予定なので180円台は確実とみられている。円安が進行すれば190円から200円になる可能性もあるという。

これでは生活が成り立たない、政府はどうするのだ?という議論が出始めている。政府は補助金の再検討を始めた。予備費を活用するというとなので補助は限定的になりそうだが8月末までに結論が出ることになっている。

ではこれは抜本的な解決策になるのか。

まず原油価格だが高騰は止まっている。現在はコロナ禍の回復過程で値上がりした石油価格を維持するために産油国が協調減産している状態だ。産油国が自分達の商品を高く売りたいのは当然である。だがインフレ抑制の効果が出ている上にアメリカも石油を増産しているためこれ以上の価格上昇はなさそうだ。

このため今回のガソリン価格上昇の主な理由は「補助金廃止」と「円安」ということになっている。

補助金だが当然ながら税金なのでタダではない。2023年1月の段階で「すでに6.2兆円が投入されている」と報道されていた。この時点で「あと3兆円を計上」し9月まで延長することになっていた。さらに3.1兆円を使って電気とガスの料金の負担軽減策も行われていた。この時のターゲットは地方選挙対策と言われている。G7サミットも近く政権支持率は持ち直していた。今回は予備費活用ということなので大盤振る舞いは難しい。おそらく効果はさらに限定的なものになるだろう。

日銀がYCCの修正に乗り出している。これはもう日本は国債依存での財政運営をやらないという宣言だ。日銀がYCC修正を勝手にやっているとは考えにくくおそらく財務省とは連携が取れているものと思われる。政府税調や令和臨調が増税を岸田総理に迫っているのもこの流れだ。このような財政状況と政治状況も「半年で3兆円」という大盤振る舞いの実現にはネガティブな要素となりそうだ。

円安も「大盤振る舞い」の結果である。政府財政が国際依存になっているためアメリカが金利を上げても日本の金融政策は追随できない。経済専門紙からは「そろそろ介入期限目前」だからなんとかすべきだという声が出ている。ここで政府が何も手を打たなければ「現在の円安を追認している」ということになり投機目的の円安が進む可能性がある。安い円を借りドルを借りて投資をして円を返済すればそれだけで儲けることができてしまうのである。濡れ手で粟というボロ儲けができる状態だ。

ただしアメリカの国債の需給バランスが崩れ始めている。民主党と共和党の折り合いがつかないせいである。日本が大量に国債を放流すれば長期金利上昇のトリガーを日本政府がひくという最悪の結果を招きかねない。

このようにガソリンをめぐる議論は「コナンドラム状態」に陥っている。あちらを立てればとこらが立たずという状態である。するとより単純な理屈が浸透することになる。それが「税金の二重取りはやめろ」という議論だ。そもそも税金の価格のうち45%は税金なのだからこれを取るのをやめればガソリンの価格は半分になる。

ではこのアイディアにはどれくらいの支持があるのだろうか?と考えてQuoraで聞いてみることにした。

確かに「税金の二重取りは止めるべきだ」という意見はついた。だがそれほど高評価は集まらなかった。思い切った効果が出るので警戒心も強くなるのだろう。

代わりに二つの意見が目をひいた。一つは「政府が補助金の延長を検討しているからきっとなんとかしてくれるだろう」という意見だ。今までうまくいっているのだから何も変えずに現状維持でいけばいいじゃないかということになる。もう一つは「これまでの車の使い方は贅沢すぎた」との指摘だ。実は今回最も高評価を取ったのはこの指摘だった。確かに現在の車通勤の状況を見ていると1人1台という人がほとんどだ。これは非常に効率が悪い。

車社会のカリフォルニア州では早くからライドシェアの動きがあった。掲示板などでライドシェアを募り乗合で通勤するというスタイルである。これがアプリ化したのがLyftやUberだった。今でもこの仕組みは「ライドシェアサービス」と言われるがUberドライバーという専業のドライバーも生まれ「ギグエコノミー」というエコシステムを作っている。

ただしQuoraの提案者たちは「乗合・助け合い」と言った地味な仕組みにはあまり魅力を感じないようで「車のイノベーションを通じて数年先の未来を変える」というような「大きくて壮大な」アイディアに夢中になる傾向があるようだ。昭和型の製造業主導の発想からはなかなか抜け出せないのだろうが、おそらくこれは実現しないだろう。誰もイノベーションが満載で高価な車には乗りたがらない。どちらかと言えば「中古車や軽自動車で」と考えるはずだ。

日本人は「税金を取るのをやめたら劇的にガソリン価格が下がる」というような劇的な変化には潜在的な警戒心を持つようである。これまでの仕組みでうまくいっていたのに下手に変えて悪い影響が出たらどうしようと考えるのだ。

代わりに、長期的には行き詰まることがわかっていたとしても「これまでうまくいっていたことを続ければいいではないか」と考える人が多いようだ。おそらく一度出し始めた補助金は止めるのは極めて難しいだろう。これを恐れて政府は段階的に補助を減らしたのだがそれでもやはり「なぜ今のままではダメなんだ」という批判が生まれている。変化そのものが支持率の低下につながる。

ただ、さらにそれでもうまくいかなくなると「文句を言っている人は工夫が足りないのだ」と指摘する人が増え「我慢すればいいじゃないか」ということになるようである。

多くの人が大胆な改革を望みながらいざ変化に直面すると踏み切れないという傾向がよくわかる。

ただこうした我慢から「ギグエコノミー」のような新しい業態が出てくるのも確かなことである。出前文化がある日本ではUber Eatsはそれなりに受け入れられたがライドシェアは「他人と車を共有して何かあったら大変だ」と警戒された。

だが、今後ガソリン価格が高止まりすれば、いよいよ日本でもUberが普及する時代が来るのかもしれない。昭和には一般的だった「ガソリンを自分で扱うなどとんでもない」という声が消えセルフのガソリンスタンドが普及したのと同じことである。

2017年の記事では日本で普及しなかった理由を東洋経済が次のように分析している。新しいサービスを疑ってかかる上に他人にも警戒心を抱いてしまうのだ。

そもそも日本では、ライドシェアサービスは求められているのだろうか。去年、総務省がまとめた調査では、日本人のライドシェア利用意向は2~4割と諸外国に比べて低く、特に20~30代の抵抗感が顕著だ。タクシーを割高な料金を払って使うサービスととらえる人の中には、「他人が乗ってくるのは気が重い」と考える人もいる。

ただし経済的に困窮すればこんなことは言っていられなくなる。「必要は発明の母」という言葉通り、困窮が新しい経済を作るわけだ。

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