アメリカの銀行は便利だ。オンラインで簡単に海外送金ができる。最近ではe-mailで個人間送金ができるようになった。アメリカではもともと個人間の支払いが頻繁だ。かつては、ベビーシッター、家主、家庭教師などに小切手を切るのが当たり前だったのだが、最近ではそれが電子メール(携帯電話も使える)に変わりつつあるようだ。
それに比べると日本の銀行は不便だ。そもそも個人間のやり取りは「紙幣による手渡し」が多く、ネットでできる事は少ない。海外送金に至っては絶望的だ。みずほ銀行ではテレホン・バンキングが海外送金に対応しているようだが、直接口座を持っている支店に出向いて申し込みをする必要があるという。郵貯銀行は全く対応しておらず、窓口からしか送金できない。10万円を越えると書類の提出を求められる。「マネーロンダリングの疑いがある」と言われて半ば犯罪者扱いされてしまうのだ。
アメリカではソーシャルセキュリティ番号は聞かれるがカードを見せる必要はない。見せびらかすと危なっかしいからだ。
ところが日本では取引のたびにマイナンバーカードを見せる必要があるのだという。番号だけではダメなのだ。見せびらかすのは危なっかしいと思うが、誰も気に留めない。本人確認だというのだが、通知カードには写真があるわけではないから本人確認なんかできるはずはない。ペラペラのカードなのだから偽造も簡単にできるだろう。
アメリカにはデビットカードという仕組みがある。クレジットカードが使える所であればどこでも使える。おまけにお金を引き出すこともできる。ATMに行かなくてもよいのだ。最近、アメリカは現金や小切手を受け付けない店が出てきているという。クレジットカードやデビットカード払いが決済の過半数を越えたという統計もあるそうだ。キャッシュレス社会といえる。
日本にもデビットカードはあるがクレジットカードとは別立てになっており、対応店舗は少ない。もちろん現金の引き出しもできない。政府の規制があるからだそうだ。だから、ATMには長い列ができることがある。長い列が好きな人はいないが、誰も文句は言わない。
もちろんアメリカの銀行にも不便はあるようだ。一定期間(6か月程度)口座に入出金がないと口座が「凍結」されてしまう。いろいろな種類の口座が選べるのだが、口座手数料がかかるものが多い。口座手数料がかからないe-bankingというものがあったのだが、ある日突然「e-bankingは廃止する」と宣言して大騒ぎになった銀行がある。一方でe-bankingを継続できた人もいる。判断基準がよく分からない。銀行が儲からないと判断すると、とっととやめてしまうのだ。
日本の銀行には口座維持手数料はない。預金の種類も一つで余計な手間がかからない。時間外にATMを使うと手数料を取られるが100円程度だ。口座を忘れていても10年は何も言われない。もちろん突然サービスを停止するなどという暴挙はあり得ない。多分、日本では大騒ぎになるだろう。
アメリカの銀行に口座を作るためにはソーシャルセキュリティナンバーが必要だ。昔は学生でも取れたのだが、今は難しいそうだ。不法移民対策だという。ただし、一度口座を作る事ができれば、外国に住んでいても口座は維持できるし、郵送物も問題なく送ってもらえる。
一方、外国人が日本の銀行に口座を作るのは難しいらしい。原則日本に住所がないとダメなようである。海外には郵送してもらえないので、日本の家族や知り合いに郵便物の取り次ぎを頼む必要がある。
アメリカの銀行は窓口に行く機会が最低限になるように設計されている。口座によっては銀行員と話すと料金が発生することがある。合理化のためにオンラインバンキングが発展しているのだ。銀行員の給与は高いので人件費抑制のためには合理的な判断だと言えるだろう。
裏返すと高齢者でもスマホやパソコンを使いこなす必要があるということになる。アメリカでは銀行口座保有率が減少しつつあるそうだ。政府がデビットカードの手数料を引き下げたために、銀行側が口座管理手数料や口座振替料金を引き上げたのだそうだ。
政府の金融改革や中央銀行の政策がすぐに銀行の手数料や利子に反映する仕組みになっている。だからアメリカの財政政策は景気に影響を与えやすいのだ。
一方、日本の銀行は親切丁寧だ。良い事のように思えるが、窓口はいつも混雑している。銀行員の給与は高いのだから、生産性が低くなるのは当然の事である。日本の隠れた特徴は「政府が発行したもの」への信頼かもしれない。紙幣やマイナンバーカードなど「実物:の信頼が高いのだ。これを対面で受け渡すことが重要視されており、メールやネットでやり取りなど「危なくて信頼できない」のかもしれない。
政府や中央銀行が金融緩和政策を実施しても、もともと口座手数料がなく利子も抑えられている日本では、その影響が及びにくい。株式が反応する程度である。こういったところにも日米の違いがあるようである。