河野太郎大臣が給与返納を申し出た。閣僚給与3ヶ月分の自主返納だった。ご本人は反省のつもりだったのだろうがヤフコメには多数の投稿が寄せられ、一時はコメントランキングでトップになっていた。炎上とは言わないまでも否定的なコメントが多かったようだ。なぜ反発されたのかについて考える。
ただこれを書いてから新しい問題が見つかった。今後は既に「問題は解決していないのに閣僚給与カットで逃げるのか」という批判も高まるのかもしれない。問題を共有できない組織文化を作ったツケはあまりにも大きかった。組織のリーダーの落とし前の付け方の難しさを感じる。
反発される原因は主に二つ
「普通にちゃんとしていればきちんとなるはずなのにそうならないのは誰かがちゃんとしていないから」という素朴な思い込み
庶民感情とは不思議なものである。今回のマイナカード問題を見ていると「ちゃんとした人がちゃんとすればきちんとできるはず」という前提で物事を見ている人が多いような印象だ。裏返せば「きちんとなってないのはちゃんとしていない人がいるからだ」という信念がある。一方で「システムなのだからエラーが出て当然」と思う人はあまりいない。
これが「これは河野さんがちゃんとしていないのが悪いのではないか」という疑念につながっている。しかしながら河野大臣はなぜ自分が反発されたのかよくわかっていないようである。閣僚給与返納でこの疑念に応えようとした。
このことから、今回のヤフコメをみると「免罪符」とか「誤魔化している」というようなフレーズを使って批判している人が見受けられる。
こうした庶民感情に根ざした怒りを合理的な説明で払拭することはできない。つまり落とし所がないのだ。
上級国民の河野さんは「報酬を返上しても生活が成り立つんですね」と言う反発
ところが今回はなぜかそれだけでは終わらなかった。「河野さんは閣僚給与をもらわなくても生活ができるんですね」と指摘する人がいる。なぜ「国会議員の報酬を返納しないのだ」と指摘する声もあれば「議員辞職をしろ」という指摘もあがる。言いがかりと言えば言いがかりである。
日本人の持っている複雑な感情を感じる。自分達の境遇と直接比べているのだろう。自分達は嫌なことがあっても会社から逃げられない。「格好をつければ」たちまち食べてゆけなくなる。上司に「だったら給料なんかいらない」と言いたい人もいるだろし耳標を叩きつけたい人もいるだろう。だが庶民にはそんな自由はない。
河野太郎大臣は「上級国民」なので、閣僚給与を返納しても痛くも痒くもないと思われてしまった。これが反発のもう一つの核になっているようだ。
「庶民」に鬱積する苛立ち
日本人は政府批判を好まない。自分達は権威と一体であると思いたい人が多いのだ。例えば「日米同盟を基軸にした防衛政策」とか「政府の円安放置」などの問題にはさほど注目が集まらない。こうした問題を扱う人は「どこかちゃんとしていない、きちんとしていない人」と思われる。
だがそれには例外がある。「政権のサラリーマン世帯いじめ」だ。
安倍政権はこの庶民の一体化願望をうまく利用し「権威と同一化したい」庶民達を感情的に抱き込んでいた。だが岸田政権にはその余裕がない。
それではなぜ「普通のサラリーマン」が狙い撃ちされるのだろうか。納税額から見てみよう。国税局が統計を出している。
貧困化が進みこれまで税金を免除されてきた階層の給与所得者が増えている。だからこの人たちから取り立てるしかないのである。これまでは税金を払い家庭を作って子供を育てられる家庭が「普通の家庭」だった。だが現在の庶民階層はそうではない。
日本の課税システムの元では給与が300万円程度の人たちからはあまり税金を取っていない。月給で言えばで25万円程度である。この階層の人たちが現在4割を占めるまでになっている。
一方で政府は年収1000万円から1500万円の人たちからの税収に頼っている。人口としてはごく少数だが税収に占める割合は大きい。これより上の給与をもらっている人もいるが人口が少ないため納税額としては1000-1500万円という人が最も多く貢献している。
普通は「だったら税金を払ってもらえる階層を増やそう」となるはずだが岸田政権は「だったらたくさんいる階層からもっと取り立てよう」と発想している。庶民階層は薄々はこれに気がついているのだが問題を明確化して反発することはできない。その怒りが「プロジェクトをきちんと官僚できていない人」に向かうのだろう。
また問題が見つかった
ここまではテレビ朝日の独自取材によって新たな問題が見つかる前に書いた。つまり問題はいうズレ終わる前提だった。だがその後でまた「新しい問題」が見つかった。今度は「大多数のひも付けは終わるだろうが、目処が立たない例外もある」という問題に発展しつつある。つまり全数をマイナ保険証に移行した上で保険証を廃止するというそもそもの方針が根底から揺らいでしまうのだ。
根拠のない無理な目標を掲げることで「現状突破」を図ろうとしてきた河野氏の戦略は破綻しつつあるように思える。
2016年からのひも付け問題が原因になっていることから、おそらくこれは関係者(厚生労働省と健保)の間ではよく知られていた問題のはずだ。にもかかわらずこうした問題や懸念を俎上に上げてリーダーとメンバーの間で共有するような問題解決型の組織文化を作るのに失敗したのではないかと思う。つくづく政府全体が巻き込まれなくてよかったと思える。河野氏は総理大臣ではなく単なる閣僚の一人だ。
こうなると「問題は解決していないにの閣僚給与3ヶ月だけで全て終わらせるつもりなのか」などと指摘されかねない。おそらくここで辞任しても単に逃げたと言われるだけだろう。
トップの落とし前の付け方とは難しいものだと感じる。
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