2025年に大阪市で開かれる予定の万博の開催が危機に陥っているらしいという。だが、なぜ危機に陥っているのかがよくわからない。様々なニュースが散発的に出てくる上に細かい内容が多い。時間に余裕があるうちに状況をまとめておこうと思った。運営当局の認識の甘さに対して建設業界が焦りを募らせているという状態らしい。キーマンは万博の石下事務総長と日建連の宮本洋一会長(清水建設会長)だ。このうちどっちが「戦犯」になるのかというのがマスコミの関心事のようだ。
だがおそらく「戦犯探し」をいくら繰り返しても万博は成功しないだろう。キーになるのは現場のマネージャーに権限を付与するという従来にはない考え方だ。
万博の海外館は50の国と地域が独自に建設する。だが手続きの申請はまだ1カ国のみなのだそうだ。ゼネコンとの交渉が難航しているのが理由だとされている。このため万博撤退も選択肢なのではと言い出す政治家も現れた。
ただ関連報道や識者の声をみても一体何がいけないのかがよくわからない。それぞれがそれぞれの立場から誰か別の人を非難しているということしか伝わらない。
こうなると日本社会は誰を叩くかを考えるようになる。デイリー新潮が清水建設の会長のインタビューを取っている。日本建設業連合会の会長なのだそうだ。新潮の記事の中で「戦犯は誰なのか」と書いている。まだ建築がはじまってもいないのに「戦犯」探しが開始されているのだ。
非常にわかりにくいのだが構造を整理したい。
デイリー新潮は原因を内部と外部に分けている。読売新聞を加えると原因は3つになる。
- 外部の問題は「建築資材の高騰と人手不足」である。さらにドバイ万博の開幕が1年延期され準備期間が1年短くなった。
- 内部の問題は運営側の認識の甘さだ。情報収集ができておらず、各機関もバラバラに動いている。日本の組織は戦略的な思考に欠けていると言い換えても良いかもしれない。
経済産業省が「このままではうまくゆかないのではないか」と気がついたのが6月ごろだったそうだ。西村大臣が宮本清水建設会長に電話をして「8月までに設計をフィックスさせるからあとはなんとかしてくれ」と清水建設に要請したそうだ。つまり西村さんは宮本さんに泣きついたのだ。
日本建設業連合会の幹部は「このままでは間に合わなくなる」と2022年9月の時点に警告していたそうだが協会は「建設会社と各国の自主性に任せる」との立場を変えなかった。
さらにこの上に舞洲問題が乗ってくる。土壌汚染や地盤沈下の問題があるそうだ。さらにアクセスが悪いため工事がかななれば渋滞が起こる可能性も高いという。
デイリー新潮と読売新聞が指摘している「戦犯」は経産省出身の石毛事務総長である。手腕が疑問視されなおかつ秘密主義で連携しないのが「戦犯認定」の理由である。
現場の事情がよくわからないトップが楽観的すぎる見通しを修正できず炎上するというのはもはや珍しくない構図だ。こうなると岸田総理は「担当者になんとかするように」と指示することしかできない。
さらに二階さんは関西の底力を見せるべきだと言っている。要するに精神論である。
この話を最初に整理した時点では「何で揉めているのだろう」と思った。それぞれの記事を読んでいても「大変だ大変だ」ということしか書いていない。
問題点は戦略のなさだと気がついたのは別件でDARPAについて調べたからだ。アメリカは国土防衛のためにはイノベーションが必要だと考えていてPM(プログラムマネージャー)に具体策(プログラム)を検討させてる。一旦プログラムが承認されると、権限と予算が与えられ3年から5年のプログラムが実行される。
これを念頭に万博の話を読み返すと実務的な知識と権限を兼ね備えたPMが存在しないことがわかる。権限を握っている人たちには全く実務的な権限がなく組織を代表して自分達の要求ばかりを呟き続けている。おそらくアイディアを持った人はいるのだろうが権限がないためそのアイディアは単に埋もれてしまうだけになる。「とにかく問題を起こしてはいけない」という官僚組織特有の事情から中で腐っている人もいるかもしれない。
ただし日本では「現場がわかる人間に権限を与える」という発想がないために、そもそも成功例が作られない。そのためいつまでも「大変だ大変だ」と騒ぎ続けているのだろう。このままでは万博は成功しないのだろうと感じた。ただ、今この時点で「君に権限を全部あげるからなんとかしてくれ」と言われても誰も引き受けないかもしれない。おそらく失敗の責任を押し付けられるだけだろうし本当の権限は渡してもらえないだろうからだ。となると大阪万博は日本の衰退と失敗のレガシーとして語られるためにこのままデスマーチを続けるべきなのかもしれない。