NHKで18歳の若者に対して「選挙に行こう」と訴えかける番組をやっていた。これをみて、なぜ無党派層が選挙に行かないのかという理由が分かったように思えた。
若者は選挙にゆくモチベーションがない。モチベーションには様々なものがある。一票を投じてもフィードバックがあるわけでもないし、誰からも褒めてもらえない。
- 自分になんらかのトクがある。
- 政治に参加するとかっこいいと周囲から思われる。
- 選挙に勝つことよって所属欲求が満たされる。
モチベーションがないにも関わらず上から「選挙には行くべき」だという価値観を押しつけられていると感じている。上から価値観を押しつけられると反発する。番組の中では「黒川君」がかなり反発していた。
別の人たちは周囲から「かっこいい人」と思われたがっているように思えた。これは女子が多い。しかしながら、彼女たちはどうしたら「かっこいい」と思われるか分からない。そこで下手に意見を言えば「バカに見える」というリスクがある。そこで彼女たちは「選挙に行く理由がない」と拒絶することになる。彼女たちはスイス人のイケメン18歳が「政治的意見を言うのがあたりまえ」というのを聞いて興味を覚えていた。
さらに、生徒たちは「自発的に意見を言ったり、話しあったり」することを禁止されている。代わりに「正解を覚える」ことがよいとされている。そのような教育を受けると正解を覚えることを肯定的に捉えるようになるようだ。「分かりやすく政治について教えて欲しい」と言う人が多かった。つまり、どこに投票するといいのかという正解が知りたいのだろうと思われる。
まとめると次のようになる。有権者は正解を押しつけられることに反発しているが、自分で考えて正解を探索することはない。誰かが作った正解を「自分で考えたものだ」と語りたがっているのである。そして、その行動によって「勝った」という感覚を得たいのだ。
番組の中では何回も「勝ち負け」という言葉が出てきた。勝った側が「正解」で、多様な意見が共存するという考え方は大人にも子供にもないようだ。
政治学は「多様な意見をすりあわせて、できるだけ多くの人が幸福になるような意思決定したい」という暗黙の前提のもとに組み上げられている。より多くの意見が集れば、そのアイディアの精度が増し、成功する確率も高くなるだろう。これは、いわば「探索型の世界観」だ。みんなで決めて行くというのが民主主義なのだ。
しかし、日本人の世界観はこれとは大きく異なるようだ。「あらかじめ正解があり、それに自発的に参加したい」という欲求を持っているようだ。今ある正解を肯定した人たちにとっては日本は民主主義国家だが、そうでない人たちにとってはこれは民主主義ではないのだろう。
日本人にとって、民主主義とは御神輿のようなものなのだ。訳が分からずに担いでも、一体感が得られればそれで満足なのだろう。ただ、神輿を担ぐ伝統のない人たちにとっては所詮「他人の祭り」に過ぎないのだ。かといって、新しい神輿を作ってもこっけいなだけだ、と感じるのだろう。