マスコミが伝えることで問題が大きく報じられる問題がある一方でマスコミが伝えないことがニュースバリューになってしまうという事例もある。今回は埼玉県南部(川口市・蕨市)のクルド人問題について考える。産経新聞が川口のクルド人問題ついて取り上げている。マスコミが人権を気にしてこれを伝えないのは不当だというのである。日本のメディアはリベラルに偏り過ぎており人権侵害につながりかねない報道を故意に抑制しているという話は良く聞く。このケースもそれにあたるのか。考えて見た。
産経新聞が川口市議会がクルド人をターゲットにした意見書を可決したと伝えている。川口市議会は一部外国人に対する犯罪の取り締まりを強化してほしいと国や県に要望を出している。クルド人とは明記していないのだがターゲットになっているのは明らかにクルド人なのだそうだ。
産経新聞が問題にしているのが記者たちの消極的な姿勢である。外国人と人権という難しい問題であるために市役所の記者室にいる記者たちは取り扱いに消極的なのだと言っている。産経新聞はマスコミではないのか?という疑問はあるがタイトルは「マスコミ報じず」となっている。
この煮え切らない対応に産経新聞は反発したようだ。そこで彼らが目をつけたのが今月の初めに起きたある事件である。クルド人らが100人病院周辺に殺到し県の機動隊が出動する騒ぎになった。結果として救急の受け入れが5時間半ストップした。つまり外国人のために普通の日本人が被害を受ける可能性があったと言っている。
この記事は重要なことを書いていない。つまり当事者たちに取材をしていないのだ。
実はこの件はWebでは取り上げられていたようだ。つまりよくある「ワイドショーに乗らないために忘れられた」事件だった。産経新聞と違いAbemaは当事者に話を聞いている。実際には「喧嘩を止めようとした」人が大勢いたそうだ。さらに当事者はトルコ人とクルド人の喧嘩であるという説も否定し「普通の若者同士の喧嘩である」と言っている。つまり産経新聞のいう「クルド人だけが100人」というヘッドラインも「要確認」ということになる。
ミニコミの産経新聞が暗に批判した「マスコミ」の記者たちはおそらく「市役所の公式見解を聞くのが仕事だ」と考えており社会部的なネタに関して自分達の足で稼ごうという気持ちは持っていないのだろう。あるいは本社から人員が削られて忙しいのかもしれない。仮に事情を知っている人がいれば「実は若者同士のいざこざだった」と説明できた人がいたはずだ。
確かにトルコでは普通のことなのかもしれない。だが日本でこんなことをやってもらっては困る。彼らを受け入れるためにも地域全体の安全を守るためにも日本式の生活様式を理解してもらうべきだ。
この地域(川口・蕨)がワラビスタンと呼ばれるようになったきっかけはそもそも「お世話係のような人」がいたからなのだそうだ。近隣で祖国のお祭りを開催するなど組織化が進んでいる。だが行政との組織的な連携はあまり進んでいないのだろう。彼らには地方選挙権もなく外国人を行政に取り込む法的枠組みもない。だから市の側が「日本では集団で騒ぐな」と伝達する手段がない。
実は地方選挙権を与えることには意味がある。クルド系・トルコ系の議員が生まれれば市と外国人の間にコミュニケーションの通路ができる。つまり地方選挙権は外国人を地域に組み込むために有効だ。だが日本には「外国人に特権を与えるとは何事だ」と騒ぐ人が多く地方参政権はなかなか実現しない。
では「日本で大人しくできない外国人は問答無用で退去してもらう」ということは可能だろうか。入管法が改正(政治的立場によっては改悪)された結果「スリーアウト制」が導入された。このため3回目の申請で強制送還の対応になるかもしれないというクルド人たちは不安を訴えている。
ただ、日本の移民・難民政策はどこか場当たり的である。海外労働者の受け入れは拡大政策が採用されているが入管施設の増強は進んでいない。外国人を受け入れれば一定数不法滞在者は出る。だがその処理をどうするのかは決まっていない。人手不足が深刻でその後のことまで考えていられないという事情があるのだろう。
このため「望んだ技能を持った人たちが来てくれない」という問題と「不法滞在者を追い出すために収容しておく施設が足りない」という問題が併存することになる。
- 入管収容 人権は守られているか(NHK)
これらを全て国で解決することはできない。だから国は地方に丸投げしようとする。だが川口の事例からわかるように地方議会が自発的に問題を解決することはない。「国が裁量を持っているのだから国が全て面倒を見てください」と考えてしまうのだ。
彼らは労働力としては期待されている。今では解体現場ではなくてはならない存在になっているのだそうだ。皮肉なことにクルド人は自律的に川口・蕨に集まってきたためにクルド人の経営者のもとでクルド人労働者が働くという組織ができているそうだ。
一方で日本人に外国人の管理をやらせると人権問題が多発する。外国人労働者をモノとして見てしまうからである。
産経新聞が指摘するように川口・蕨のクルド人について伝えないことには問題がある。ただその中身は産経新聞の指摘とは異なっている。「日本が依存している外国人労働者の問題をどう解決するのですか?」という問題が全く語られておらず単に「面倒で厄介な問題」とみなされているのだ。つまり政府が受け入れる選択をしたのに社会が持て余しているということになる。
実はこの問題を日本より先に経験していた国がある。それがドイツである。
ドイツの外国人労働者は「ガストアルバイター」と呼ばれていた。主にイタリア人とトルコ人だったそうだ。EUで域内移動が自由になるとイタリア人労働者の問題は解決された。問題は定住資格が中途半端なままでドイツの中に残ってしまったトルコ人である。定住のための同化教育をやらなかったためにドイツの中では浮いた存在になり社会不安の要因になっている。
川口の事例を見ると日本もドイツと同じ状況の陥りつつある。国は面倒な問題を地方自治体に押し付けようとし地方自治体はそれをそのまま国につきかえすという構図だ。これはどこかマイナンバーカード問題の後始末に似ている。
一時が万事そんな感じなのだろう。