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おせちと国体原理主義

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小田嶋隆さんというエッセイストが「おせちには興味がない」と呟いていた。もともと上流階級のものだったのを「下々が真似している」にすぎないというのだ。
これを聞いて「でっち上げられた正解」を学ぶ事こそが、社会を健全に保つために重要なのではないかと思った。特に近年台頭する「国体原理主義」から身を守るためには、実践こそが重要だ。
確かに小田嶋さんのいう事は当たっている。「古来からの日本の伝統」とされているおせち料理だが、実際に今の形が成立したのは最近のことだ。いわゆる「おせち料理」を重箱に詰めて売ったのは戦後のデパートだと考えられている。おせち料理の源流には「食積(くいつみ)や蓬莱飾り」「行楽弁当」「ゴマメ(田作り)・黒豆・カズノコ」の3点セット(関西ではゴマメの代わりにたたきごぼうが入る)など複数の要素がある。
デパートが模倣している重箱は庶民階層が食べていた江戸時代あたりの行楽弁当などではないかと思われる。だから「上流階級のものを庶民が真似た」というのは、いささか単純すぎる分析かもしれない。また「庶民」といっても最初から庶民だった家ばかりではない。特に注目すべきなのが地方から都市に流れてきた階層だ。
都市に流入してきた人たちは、その街で新しい基盤を再構築する必要があった。特に重要だったのが、祭祀を再構築する(菩提寺を持つ)ことと、四季折々の行事を「正しく」行うことである。故に、旧来からの住人たちよりも意識的にその土地の風習を模倣したかもしれない。
ところが、戦後世代はこの正解を継承できなかった可能性がある。戦中戦後の混乱期に育った嫁が伝統を受け継げなかったからだ。作るべきおせち料理がないということは、その嫁が「良い家で育っていない」というスティグマになりかねない。そこで嫁世代は改めて「正しいおせち料理」を勉強する。
教材になるのはNHKの「今日の料理」などのテレビ番組だろう。テレビ番組で出てくる料理人には良識があり、古来からの風習などを紹介しているはずだ。ただし、その出自が伝統的な正月料理ではない可能性はある。もともとは町人相手の行楽料理などが前身になっている可能性は否定できない。また、地味な料理ばかり紹介していても「正月らしいめでたさ」が感じられないという理由で「派手な料理」が入っている可能性もあるだろう。
現在ではこれにインターネットが加わる。手作りのおせち料理をFacebookなどに写り込ませることで「良い嫁」アピールをする女性たちがいる。また、姑世代が作る手作りのおせち料理に密かな脅威を感じている人もいるのではないかと思う。決して言葉にはならないが「正解を巡る静かな戦争」が繰り広げられているのだ。
確かに、おせち料理は「デパートの商業主義」や「テレビのショー文化」が影響してできた「捏造された」伝統である可能性が高い。とはいえ、単なるデタラメとも言い切れない。その時々に「正解」を模索した人たち一人一人の積み重ねでもあるからだ。
おせち料理が日本の伝統であると主張する人は、一度家族の歴史を聞いてみると良いと思う。その歴史はしっかりした実体があるようで、どこか健忘症にかかったように曖昧だ。誰も知っている正解は祖先から受け継がれたものではないかもしれない。
ここ何年か、日本人に主権があるのはおかしい。主権を持っているのは日本の歴史そのものであると主張する国体原理主義者が跋扈している。彼らが主張する「美しい伝統」は明治維新後や戦後にでっち上げられたものであることが多いが、それをネットで検索することは難しい。表立って語られないからだ。
そこで、正月に家族が集った時に「我が家のおせちの歴史」をリサーチしてみるのもよいかもしれない。日本の歴史というものは、決して自明のものではなく、その時々の人たちが模索してきた「正解」の積み重ねであることが分かるのではないかと思う。
こうした一つ一つの出来事を掘り起こして共有することこそが「日本には国体という神様があり、一人一人の国民はその僕(しもべ)に過ぎない」という狂った考え方から私達を守ってくれるのではないかと思う。