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YCC運用柔軟化で植田日銀総裁が静かに砂時計をひっくり返す

植田日銀総裁がYCC(イールドカーブ・コントロール)の運用柔軟化を決めた。マーケットを意識した発表手法のおかげで動揺を最低限に食い止めることができたようだ。つまりミッションクリアということになる。ただし、債権安と株安が進行しており「タイマーのスイッチが入った」ような状態になっている。「時限爆弾のスイッチを入れた」とか「砂時計をひっくり返す」と言う表現が思い浮かぶが、ここでは穏便に砂時計ということにしておこう。植田総裁が政府に与えたのはおそらくは「時間」である。

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投資をやっている人は既にご存知のことだと思うので「何を今更」と感じられるかもしれないのだが、話の流れとして必要なので再確認しておく。黒田日銀では「現状維持」か「事実上の撤退」の二択だったため市場の動向を数日見ていればよかった。植田日銀では様相が違っている。経過を見ながら「これは何を意味しているのか?」と考えなければならない。脊髄反射型から思考型に変わったのだ。

28日の未明に日経新聞が「日銀、金利操作を柔軟運用 上限0.5%超え容認案」と言う記事を出した。旧Twitterなどはかなり動揺していたが、日本では時間外になる。メディアを使って事前予告をしたことになる。

その後長期金利の変動幅の運用を柔軟化すると言う発表が出た。この時もTwitterでは「現状維持なのか政策変更なのか」と戸惑う声があった。実はこのわかりにくさが狙いだったのだろう。ドル円相場は上下動を繰り返す。

このときに金利がやや上昇するのだが日銀は力で抑えるようなことはしなかった。市場をある程度信任しますとのメッセージが出たために落ち着くところに落ち着いた。これが黒田総裁との明確な違いである。黒田総裁は市場と対話せず力で抑えようとする傾向があった。このため反発されてしまう。植田総裁は大人の余裕を見せて最初のミッションをクリアした。その後で「今政策を変えることはないが将来のために予備的な枠を作った」と説明したため、直ちに政策の急激な変更はないようだと市場は判断しひとまず安心した。パニックはこなかった。


同日、日銀の決定内容が伝わると債券市場では売りが強まり、10年金利は一時0.575%まで上昇して2014年9月以来の水準を付けた。日銀は金利の上昇を止めに行くことはせず、「日銀は意外と金利上昇を容認している」(三菱UFJモルガン・スタンレー証券の鶴田啓介シニア債券ストラテジスト)との指摘が聞かれた。

植田総裁は会見で、YCCの運用柔軟化で「金利の水準は市場に委ねるということか」との質問に「程度の問題はあるがイエス」と回答した。

指し値オペ1%への引き上げ、将来の物価高リスクへの備え=日銀総裁


もちろん何もなかったわけでない。

事実上の金利上昇容認に舵を切ったことで「近いうちに」金利が正常化すると見られている。つまり「最後の重石」となっていた日本でも金利上昇=債権価格低下が起こる可能性が高い。

世界債券利回りの最後の重し外れる、日銀YCC柔軟化-日本国債急落

識者の声も割れている。正常化に向かうだろうと明言する人もいれば、今後の経済指標を見て決めるのだから直ちに大きな変化はないという人もいる。だが「これまで通りだ、何も変わっていない」という人は誰もいないという状態だ。

日銀がYCCの運用を柔軟化:識者はこうみる

日銀に対して果敢に挑んできたブルーベイアセットは「所詮中央銀行との戦いに負けてしまうのではないか」と言われてきた。だが今回は「実を結びつつある」と評価されつつあるそうだ。ブルーベイが予想する利回りは1.25%である。もう無尽蔵に国債に頼ることはできなくなりそうだ。事実上の財政ファイナンスの時代は終わった。あるいはいずれ終わる。

日本国債を最大限ショートに、実を結びつつあるブルーベイの戦略

ここまでの話を整理する。植田総裁のミッションは「時限爆弾のスイッチを押す」とか「砂時計をひっくり返す」ことだった。つまりタイマーのカウントダウンが始まった。ただこの行為そのものが市場にある悲観論に火をつける可能性があった。市場には「明日ハイパーインフレがやってきて地球が滅亡する」という人もいる。そこで静かにスイッチを押すことにした。もう今まで通りというわけにはいかない。かと言って明日地球の終わりが来るわけではない。

だから、この読み込みが正しければ植田総裁が政府に与えたのは時間だったことになる。

おそらく財務省はこれを事前に知っていたのではないか。政府税調を通じて「このままでは歳出削減か増税の二択ですよ」と警告を出している。しかし分かり易すぎる例示のおかげで「サラリーマンを狙い撃ちにされたいじめである」と理解されている。土居丈朗氏は議論を本筋に戻そうと「サラリーマン増税ではない」と説明しているが、おそらくこの記事はそれほど浸透していない。土居氏は「どの税の増税ならまだ甘受できるか」を選別せよと言っている。つまり政治側で議論を進めるべきだというのである。

なぜこのようなことになるのか。レポートを受け取った岸田総理はそれを読み込み理解した上で国民に意味するところを説明しなければならない。つまり「サラリーマン増税ではない」と説明すべきなのは土居氏ではなく総理大臣である。

岸田総理には聞く力はあるがそれは単に聞き流しているだけである。だからわかりやすい例えだけが一人歩きしてしまったのだろう。宮沢自民党税制調査会会長にも説明スキルはない。このため「私は考えていないからサラリーマン増税ではない」と説得力が全くない説明をしただけだった。この説明は「サラリーマンだけでなく全世帯から搾り取るのか」と反発されている。説明を尽くしたとはとても評価できない。

マイナンバー健康保険証の問題では、当初の目論見はいいがそれを実行するためにスキルがないことがわかっている。政府のデジタル化を通じて行政を効率化するという大目標はいい。だが隠しておくべき電子キーと普段使いする写真付き証明書という2つの矛盾する機能が混在している。キーの使い方にも憲法上の制約がある。さらにデジタル庁は「プログラムは作ったらそのまま運用できる」と根拠なく信じ込んでいる。結果として「テスト抜きでの本番導入」という民間では考えられないような社会実験を始めてしまった。

植田総裁はとりあえず目の前の課題はこなした。それはパニックを起こさず砂時計をひっくり返すことだったのではないだろうか。政府税調の答申を見る限りおそらく日銀と財務省の間には話がついているのだろう。6月末に税調の答申が出て7月終わりに柔軟化方針が出た。確証はないが合理的な時間設定ではある。

ただ、国会議員の側はこれを理解していない。現在自民党は「NTT株を売却すればひとまず増税は回避できるのではないか」との検討をしている。仮に彼らがごまかしではなく本気でこれを議論しているとすれば「自民党には全く話が伝わっていない」ことになる。

自民 政府保有NTT株売却 来月にも検討へ 防衛費増の財源賄う

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