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経済学という名前のカーゴカルト

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高橋さんは、経済状況は好転しつつあり、日本人の給与はそのうち上がり始めるだろうと言っている。すべてはアベノミクスのおかげだ。これを批判する民主党は自らの経済音痴ぶりを披瀝しているだけなのだそうだ。
アベノミクスは物価を上げる。物価が上がると実質賃金が下がる。すると人件費が安くなる。需給曲線の示すところによると、人件費が下がると需要が上がるので、雇用が生まれる。現在、失業率は低く押さえられているので、そのうち人手不足に陥り、今度は賃金が上がって行くだろうと言っている。
wageさて、実際はどうだろうか。日本人の給与総額は2000年頃をピークに下がり始めている。バブル崩壊後も終身雇用体制が残ったために給与調整が進まなかったのだが、その後労働市場の「規制緩和」が起こり、非正規労働へのシフトが起こった。給与所得者の数はそれほ変化しなかったので一人当たりの給与は下がった。つまり、労働市場には構造変化が起きていたということになる。この構造変化はアベノミクスとは全く関係がない。
また、実感としても給与が上がる気配はない。終身雇用の一翼を担っていた家電産業は総崩れ状態で、テレビ・パソコンなどの事業を切り離して、ブランドだけの会社になりつつある。一方で家電に変わる新しい経済の担い手は出現していない。日本の産業は資産の付加価値化に失敗しつつあるように見える。投資資金は潤沢にあるが、それを活かせる経営者がいないのだ。
また、多くの業種で多重請け負い化が見られる。もともと建設業界で見られたものだが、ITやコンテンツ産業(特にテレビなど)では、末端の従業員は「個人請け負い業者」であり、労働者として保護されることはない。価格競争力が低いので賃金は底辺に張り付いたままだ。時間辺りの賃金で見ると「コンビニで働いた方がマシ」という人たちに「あなたの賃金はじきに上がりますよ」と説得してみると良い。嘲笑されるか袋だたきにあうだろう。
確かに、需給曲線理論は教科書的には正しそうだが、理論が成り立つためには前提が必要だ。需給曲線は自由交換に基づいた理論だ。労働者は労働市場を自由に移動でき、需要に見合った給与が得られるというのがその前提であろうと思われる。
しかし、実態は終身雇用制と非正規雇用の二重構造が見られる。いったん終身雇用から滑り落ちてしまうと、低い賃金しか期待できないので、移動が抑制される。非正規から正規への移転はない。さらに、給与は労働力への需要で決まるわけではない。同一労働に正規・非正規という二重の賃金体系ができているからである。
もっとも、高橋理論は「自由な市場」であるパート労働の世界では実現するかもしれない。そこには自由な移動があり、時給を上げなければ人が集らない。つまり、正規から非正規への移転が完了してしまえば、理論が成就する可能性がある。多くの労働者が生産性の低いサービス産業に貼付けられており、製造業も中進国と競争するという世界だ。
多分、介護や福祉などの現場ではこうした現象が起き、人が集らなくなるだろう。外国人研修生は「情報」を利用して賃金の高い現場に脱走する。いずれにせよこの場合、2000年以前の給与水準グラフは「なかったこと」にしなければならない。故に「高橋理論」は、民主党政権時代と安倍政権時代だけを切り取っている。
この世界では、中進国と価格競争するために、給与を下げる必要がある。そこで国民を貧しくしてしまえば、価格競争力が増し製造業が誘致できるというわけだ。この考え方は宗主国が植民地に対して抱いている願望に似ている。
いわゆるリフレ派の理論は既に破綻している。お家元のクルーグマンが「実質的に」失敗を認めているからである。(クルーグマンは、ものすごく思い切った財政政策を取れば回復するかもしれないが、政治的には無理なんだろうなあというようなことを言っており、全面的に間違っていたと認めた訳ではない。)原油価格がさらに下落する(アメリカが原油輸出を解禁するのだという)ことが予想されるので、物価が下がることも予想されるが、これも財政政策とは関係がない。高橋理論に従えば、物価が下落すれば失業率が上がるだろう。
もっともこの件で経済学を糾弾するのは間違っているのかもしれない。クルーグマンは実態を見た上で「自分の理論のどこがまちがっていたのか」を考察している。日本の経済学はそれを輸入して自説に合わせて料理する。その意味ではカーゴカルトの一種なのだろう。もしくは自分のフィールドである財政学に合わせて理論を構築し「すべては財政を中心に回っている」と考えているわけで、これは天動説の一種だ。
つまり、日本には経済学などないのだ。


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