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スターウォーズと日米のコンテンツ産業

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もともと大陸間弾道ミサイルを開発したのはヒトラーだった。敗戦でその技術がソ連とアメリカに移り、ミサイル技術は核爆弾と結びつく。と、同時に同じ技術を応用して人を宇宙に送る計画が米ソで立ち上がる。最初に人を送り込んだのはソビエトだったので、アメリカ人は大いに自尊心を傷つけられた。そこで、登場したのがアポロ計画である。月に人を送り届けようというのである。
アポロ計画は1960年代初頭に始まり1969年に最初の宇宙飛行士が月に立った。この様子はテレビ中継され、いよいよ宇宙旅行というものが現実味を帯びるようになった。
ジョージ・ルーカスはもともと戦前の宇宙活劇『フラッシュゴードン』を制作したかった。しかし、権利が買えなかったために映画化を断念し、代わりにオリジナル脚本を書いた。これが『スターウォーズ』の前進になるプロットだ。当初のプロットは『フラッシュゴードン』のような勧善懲悪のストーリーだったと言われる。
ルーカスはやがて、エンターティンメントの基礎として、神話や古典などの要素と、好きだったウェスタンや黒澤映画などを混ぜ合わせて、3話分のストーリーを作り上げた。しかし、予算や時間上の制約から3話分を盛り込むことができず、さわりとなる一部だけを映画化することにした。同年(1977年)に公開された『未知との遭遇』の予算が2000万ドルだった一方で、『スターウォーズ』の予算は1300万ドルと比較的低予算だった。
基本的に勧善懲悪の分かりやすいストーリーで、狭い世界にいる若者が広い世界を探検するという親しみやすい要素も盛り込まれている。それに加えて、神話の要素を加えたので、スターウォーズには子供が良い父親と悪い父親像を統合するという心理学的な要素がある。ユングによると、長く語り継がれる神話や伝説にはこうした基本的な構造が見られるとされる。こうした要素は「元型」と呼ばれている。
SFは単に子供向けのエンターティンメントと見なされるか、芸術性で難解なものが多かった。スターウォーズはこの両方を統合して興行的にも成功した。このため、テレビドラマだったスタートレックなども映画化されることになった。しかし、スターウォーズの成功がもたらしたの影響はそれだけではなかった。
スターウォーズで培った映像制作技術はコンピュータを使った特撮技術の発展に一役買った。ルーカスフィルムのアニメ部門だったピクサーは1979年に独立し、アップルを退社していたスティーブ・ジョブズに買い取られた。ジョブズはもともとピクサーをハードウェアの会社にしたかったようだが、後にソフトウェアとコンテンツ制作の会社になった。
デジタルビデオ技術の発展はコンピュータの需要を作り、技術革新に貢献した。今ではパーソナルコンピュータレベルで、かつてのワークステーションレベルの仕事をこなすまでになっている。
ピクサーは顧客獲得に苦労するが、アニメーションの制作コストを削減したかったディズニーとの関係を構築する事に成功した。その後、ディズニーはピクサーを子会社化し、最近ではルーカスフィルム本体を買収した。ルーカスは『スターウォーズ』の最後の3部作を制作するつもりはなかったようだが、ディズニーによって制作が継続されることになった。
スターウォーズは、物語に元型の要素を加えて普遍化を図った。文化依存性が低いので、世界各地で興行的な成功を収めた。その資本で高度な演算能力が必要なコンピュータグラフィックス技術を発展させた。つまり、コンピュータ技術の発展にも一役買っている。ディズニーも労働集約的な産業構造から脱却するためにコンピュータグラフィックス技術を積極的に採用した。
ハリウッドやベイエリアには世界各地からハリウッド映画に憧れた才能が集ってくる。こうした移民の多様な才能が映画産業やコンピュータ産業を支えている。最近のハイテク業界ではインド人のCEOが「トレンド」である。また、ハード、ソフト、コンテンツのような異なった文化を統合することに成功している。文化統合はアメリカの得意分野なのだ。
一方、日本の映画界はどうだったのだろうか。
戦後、映画は唯一の娯楽であり、1950年代には1000万人の動員数を誇っていた。日活が映画業界に参入するのを防ぎたかった映画会社五社は1953年に「五社協定」を結び、監督や俳優を囲い込んだ。その後、テレビが登場すると映画産業は斜陽の時代を迎える。1000万人いた動員数は、1965年頃には400万人にまで落ち込み、1970年代には200万人頃まで下落した。
結局、斜陽に陥った映画産業は所属俳優を雇いきれなくなり、1971年に協定は崩壊した。新規参入組だった日活はロマンポルノに活路を見いだし、大映や東映もテレビコンテンツを作る会社になった。
映画を救ったのはテレビだった。21世紀に入り興行収入の面では映画黄金期を上回っている。また、テレビで露出の高い俳優やコンテンツが人気を集める一方で、俳優になじみのない洋画は敬遠される傾向がある。このため、テレビで人気のある俳優を声優として起用する「日本語版」が人気を集めている。
スターウォーズが公開された1977年には、日本の映画業界はすでに斜陽化していた。スターウォーズがすばらしい興行収入を納めたというニュースが伝わると、便乗しようという話が出た。しかし「どうせ、子供相手の宇宙チャンバラだろう」とされ、スタッフはやる気を見せなかった。1978年に作られたのが『宇宙からのメッセージ』だ。やる気のなさが反映された駄作となった。後にテレビシリーズも作られたが、視聴率は芳しくなかった。
とはいえ、日本人にコンテンツ作りの才能がないというわけではない。確かに、SFやアニメは子供向けのコンテンツだと見なされていたのだが、社会性を織り込んだものも多かった。例えば、ゴジラには原子力への不安が反映されており、ウルトラマンには、アメリカに頼らなければ存立ができない日本の不安定な心情が織り込まれていると言われている。アニメの分野では手塚治虫が少ない予算でできるだけ質の高い作品を作ろうと腐心した。作り手はエンターティンメントと社会性のバランスを取りながら、コンテンツ制作をして来たのだ。
しかし、日本の産業はこうした才能や資産を活かしきれているとはいえない。異なった文化を統合できないために、映像コンテンツのような複雑な産業に対応できないのかもしれない。
1989年、資産バブルで儲けていたソニーは、コカコーラから独立していたコロンビア映画などを買い取り、ソニーピクチャーズを作った。1993年にはソニーコンピュータを設立しており「総合エンターティンメント企業」への移行を目指したものと思われる。
ソニーは2005年にハワード・ストリンガーを会長兼CEOにした。その頃から企業文化が怪しくなり、本流であった日本人のエンジニアたちの離反を招いた。また、各種の資産を活かしきれているとはいえず、ゲーム事業は当初赤字が続き、2014年にはVAIO事業も売却した。映像コンテンツやゲームコンテンツとハードウェアの統合ができず、日米の文化差も吸収できなかったものと思われる。
日本のアニメは海外から高い評価を受けているが、アニメ産業はかなり悲惨な道を歩んでいる。
初期には手塚治虫のような偉人が出たが、アメリカのような技術革新が起こらず「手書きこそが芸術的である」という認識が強かった。面倒な職人技が尊ばれる文化があるのだろう。ヒット作を生み出す監督への依存も大きく、世代交代が進まなかった。このため、労働集約的な企業文化が温存された。
アニメ産業はITや建設と同じような多重請け負い構造になっている。権利関係は出版者やテレビ局が押さえているので、制作者に金が回らない仕組みになっているのだ。結果的にアニメ産業に携わる人たちの年収は上がらず「若者の夢を食いつぶす」構造になっている。
動画担当者の平均年収は100万円を少し越える程度で、個人事業主が多いという。個人事業主には労働基準法が適用されない。最近では安い労働力であるアジアへの受注なども広がる。アメリカが移民を競争力の源泉にしているのと比べて、日本は移民を安い使い捨ての労働力だと捉えていることが分かる。
庵野監督は「アニメ業界はもってあと数年」と発言している。潰れることはないかもしれないが、不安定な状況が温存されているのが問題だと考えているようだ。一方で、日本政府は搾取労働に依存する産業を「クールジャパン」として売り込もうとしている。
御存知のようにジョブズはAppleに戻り、ハードウェアとコンテンツの統合を果たした。Appleから出ていたときの人脈や経験がiPhoneの成功につながっている事は疑いがない。ルーカスは制作会社を手放すことによってスターウォーズに新しい可能性を加えた。アメリカではこのように経営者が循環することで、文化統合が図られている。これが複雑な産業への対応を可能にする。
一方、日本の経営者は技術や利権を囲い込む傾向がある。このことは5社協定の時代から変わっていない。日本の経営者は、技術的に優位性で先進的な市場を持っていたモバイルフォンを「ガラパゴス化」してしまった。ガラパゴス化の背景には、一つの事業や会社から離れない経営者の存在があるものと思われる。安い賃金で夢を食いつぶし、持て余すとリストラしてしまうのだ。