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アベノミクスという収奪劇

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消費税増税の議論が明後日の方向に向かいつつある。同時に「増税を延期すべきだ」という議論まで出てきた。来年の参議院選挙では「消費税増税を延期する」というアジェンダを設定した政党が躍進する可能性もありそうだ。しかし、諸処の議論は局所だけを見ているようで、全体像がよく分からない。
そこで冷静になって全体を眺めてみたい。
アベノミクスは「トリクルダウンセオリー」という理屈を持ち出して、企業を優遇すれば国民が潤うと約束した。日本経済は輸出主導なので、円安誘導すれば輸出企業の収益が向上し、国内に工場が戻り、給与がアップするというシナリオが描かれた。
その為に、紙幣を増刷して円安に誘導する政策が取られた。すると資金が調達しやすくなった企業が投資し、インフレを招く。インフレになればめでたく不況から脱出できるだろうというわけだ。また、政府としては日銀に国債を引き取らせることができるので一石二鳥だった。
しかし、円安誘導は国民の財産を減らして企業に移転するという政策でもある。円安で国民の預貯金はドルベースで40%も減価した。同時に燃料や食料の価格が高騰し国民の負担になった。一方で企業が持っている海外資産の価値は増し、輸出企業の業績も上がった。企業は手元に300兆円相当の余剰資金を持っており、会計的には正しくないが「内部留保」と呼ばれている。一方で、貿易額は期待していたほどは伸びなかった。
共産党が「内部留保に課税しろ」と言っていたときは「資本主義を知らない」とか「会計の基礎から勉強しろ」と批判されたのだが、最近では財務省が冗談めかして、資産課税を仄めかすようになっているということだ。ただし、世界的に企業の資産に課税している国はない。
経済の「国内部門」にフォーカスすると、海外への資金流出が続いている。原油価格が下落しているのでその規模は縮小しているが、2015年上半期の貿易収支は1.8兆円の赤字だった。一方「国際部門」の収支は上々だ。経常収支は8.6兆円の黒字だった。日本は輸出して稼ぐ国ではなくなりつつあり、海外に持っている資産から稼ぐ国に変わりつつある。
企業は順調に収益をあげているが、安倍政権はさらに海外に資金を「バラまいて」もいる。原資は税金と国債で、間接的に海外に進出した企業に仕事が配分される。仕事を国内で調達すれば、赤字になっている国内部門にはプラスの効果がある。これは良い政策だということになる。しかし、現地で調達すれば国際部門の収支になるので、国内部門は縮小してゆくだけだ。
企業の「内部留保」が300兆円以上あるところから考えると、企業がダムのように海外から流入する資金をせき止めている可能性が高そうだ。企業は正社員を非正規雇用に置き換えて人件費の削減を行っている。内部留保が増えている背景には人件費削減も貢献しているだろう。
「国内部門」が赤字構造なのだから、給与が上がらないのは当然のことなのかもしれない。「就業者数が増えた」と宣伝されているが、一人当たりの給与は減り続けている。全体の給与総額は微増である。また、給与生活者が減り、年金生活者が増えている。年金は基本的に「国内部門」のやりくりだ。結果的に消費者は消費を控えるようになった。そのように考えると、最近の消費税議論というのは、干上がって行く湖の水をどこに引くかという争奪戦なのだ。
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クルーグマンは政府が積極的に支出すればインフレが起きて不況から脱出できるだろうと予測した。しかし、この予測は成就せず、クルーグマンは事実上予測を撤回した。支出は「国内部門」すなわち何らかのモノを買うために使われるべきなのだが、実際には「国際部門」すなわち何らかの資産を買うのに使われてしまう。人々は合理的に国内部門が縮小することを予測している。生産・消費人口が減ってゆくのだからある意味当然の予測といえる。
合理性を越えて行けるのは政府だけなので「健全なインフレ」を起したければ、政府はモノを買う為にお金をバラまくか、資本に課税する(あるいはマイナス金利を課して資産の魅力を下げる)必要があるが、政府は実行しそうにない。
企業が余剰利益を蓄えているということは、儲かっているということだ。しかしながら、税法上大企業は儲けていないことになっている。トヨタ自動車はつい最近まで法人税を納めていなかった。
本来ならば、税金は儲かっているところから取るべきだ。しかし、財務省は「国際部門」からの収益を捕捉できないと考えているのだろう。そこで、収縮しつつある「国内部門」から徴税することを考えた。これが法人税を減らして、消費税を増やす動機になっているものと思われる。しかし、「国内部門」は縮小しているのだから、消費税増税はさらに「国内部門」を冷え込ませることになる。
日銀が国債を買い受けて資金を供給しているのに企業投資が増えないと政府は首を傾げてみせる。しかし、すでに300兆円も持っているのにさらに追加資金を借りる必要はない。実際の目的は日銀に国債を引き受けさせる事なのだろう。
もし、「内部留保」と日銀の当座預金が市中に流出すれば、コントロール不能なインフレが起こるかもしれない。その意味では日銀の当座預金は国債の乱発から市場が混乱するのを防ぐダムのような役割を果たしているのかもしれない。なお図では「日銀」が政府から直接国債を引き受けていることになっているが、こうした行為は禁止されている。また、200兆円を持っているのは日銀ではなく銀行である。
さて、国民の預貯金と政府の負債の総額は「偶然にも」一致している。結果的にこれは同じものである可能性が高そうだ。つまり、自民党と公明党の代議士さんたちは、国民の預貯金をバラまいて票を買ったり、支持者団体に還流したりしているのだ。国会議員は、他人の預貯金をバラまいて給料をもらっていると考えてよいかもしれない。
日本全体を見ると、資金は足りていることが分かる。問題はそれが貯め込まれており、必要な人に回っていないという点である。その流れは一定の方向に向かっている。これが意図的な収奪行為なのか、不作為の結果なのかということはよく分からない。アベノミクスが悪いという訳ではない。全体的な流れの一部にアベノミクスが組み込まれているだけだ。現在の財政議論は、足りないところからいかに取るかという議論だ。やればやるほど苦しくなるのは目に見えている。
冷静に考えると、企業が税金を払いそれを政府が貧困家庭に10,000円給付しても、10,000円分の食料を買えば全体に必要なキャッシュの量は増えない。結局は売上げとして企業に還流するからだ。そもそも給与として配分すれば政府を通す必要すらない。一方、企業が貯め込んでも10,000円は10,000円だ。しかし、この場合、誰のお腹も膨れないし、寒さも凌げない。
しかし、お金をどのように使うべきかというのはイデオロギーの問題である。「他人が飢えて死んでもいい」と言い切るのも、個人の選択の問題だといえる。