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県という呪縛と憲法違反問題

自民党の礒崎陽輔先生が、こう呟いている。


要するに「県という呪縛は外せないから、憲法違反するしかない」と言いたいらしい。
確かに県単位で割ると無理が生じる。だから、区割りを大きくすればよい。いわゆる道州単位で配分すればいいのだ。約43万人に1名の代議士が割り振れるらしいので人口の少ない鳥取県でも1名以上の代議士が割り振れるので、地域から代表がいなくなるということはない。区割りが面倒なら地域比例区にすればよいと思うが、1人区のほうが有利な自民党は比例には反対なのではないかと思う。
この構想の最大の障害は党の組織だろう。大きな党は県別の組織を持っているはずだ。中央の代議士は地方議員と系列関係があり「持ちつ持たれつ」の関係性を構築している。代議士組織だけをそこから切り離すことはできそうもない。
だから、これは区割りの問題というより党の統治機構の問題なのだ。あるいは、コミュニケーション技術の問題かもしれない。県域を越えてしまうと情報共有ができないのではないかと思う。
県という行政単位は見直しの時期を迎えているかもしれない。神奈川、静岡、大阪、福岡のように複数の政令市を抱える大都市圏では二重行政が問題になる。一方で都府県単位では解決のできない問題もある。災害対応などがその典型例かもしれない。最も大きな問題は人口の偏りだ。人口60万人を切る鳥取県から、1200万人を越える東京都までが1つの自治単位と見なされているのだ。
歴史的な一体感を保持したいと考える人たちもいるかもしれない。確かに高知や徳島など県域と地域的なまとまりが一致している区域もある。一方、福岡県、兵庫県、福島県のように県の中に違う文化と方言を抱えている県があるのも事実だ。さらに、沖縄県(沖縄と宮古)や長崎県(壱岐と対馬)などのように地域的な一体性を持たない県もある。その区割りは意外と恣意的なのである。
自民党は70年経った憲法は経年劣化していると主張する。ではなぜ、それより前に決まった県の区割りを変えることができないのだろうか。
だが、この呟きに感じた違和感は別のところにある。磯崎先生が、気にしても仕方がないことを気にしているように見えるからだ。
衆議院選挙の区割りは憲法違反のようだが、最高裁判所は決して選挙そのものを無効にすることはないはずだ。最高裁判所は責任を取りたくないのだろう。評論家のように「これはいけませんねえ」と言えば自分たちの役割を果たしたと思っているのではないかと思う。
そもそも、自民党は安保法制の問題ですでにルビコン川を渡っている。例えは悪いが、人を一人殺しているみたいなものだ。あとは何人殺しても罪が減る訳ではない。最高裁判所は安保法制でも無効判決を出すことはないだろう。罪は国会議員で背負うしかない。
国民は経済が順調に見える間は、多少の憲法違反は気にしないはずだ。ただし、経済が傾けばバッシングの空気が一気に広がるはずである。その場合、どんなに遵法的な態度を取っても無駄だ。警察がいないからやりたい放題だとも言えるのだが、警察がいない恐ろしさというのもあるのではないかと思う。


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