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最低時給1,000円について考える

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「最低時給を1,000円にする」と安倍首相がぶち上げたというのがニュースになっている。よく聞くと2020年代の中盤までに1,000円を目指すということらしいので、たいしたニュースではなさそうなのだが、それなりにインパクトがあった様だ。
自称経済学者の池田信夫氏は「そんなことをすれば製造業は日本を出て行くだろう」と歌舞伎役者のように見栄を切ってみせた。この人は、現在経済の中枢にいる「変わりたくない」経営者層をお客にしているのだろうなあと思った。一方で電波利権を叩いたり、反原発の人たちを「立憲主義を無視している」などと批判している。さしずめ、居酒屋の扇動者といったところかもしれないが、確実に今の空気を反映している。変わりたくないのだろう。
一方、本物の経済学者は、賃金の抑制が消費の低迷に影響をあたえているのだと指摘する。野口悠紀雄氏の観察によると、人件費の抑制が企業の収益の源泉になってしまっているだそうだ。ただし、野口先生は「政府が介入して給与を上げろ」とは主張していない。企業が新陳代謝すれば、高付加価値の産業が出てくるだろうと信じているようだ。
「ブラックバイト」の項目で見たように、最低賃金依存が顕在化しているのはサービス業だ。例え最低賃金が上がっても、サービス業が日本を出て行く事はない。もっとも、サービス産業の経営者が一律に最低賃金の引き上げに反対しているというわけでもない。参議院議員の松田公太氏は引き上げに賛成のようだ。コーヒー屋が付加価値型の産業だということもあるだろうが、よく考えてみると「自分のところの賃金が上がると、競合社の賃金も上がる」わけだから、競走条件は変わらない。却って付加価値勝負になることが予想される。経営や扱っているサービスに自信がある人ほど、人件費の高騰は怖くないのかもしれない。
確かに、人件費が高騰すれば、製造業は日本を出て行くかもしれない。しかし、出て行くとしたら原因は市場が縮小してゆくからだろう。需要のない市場でモノを作っても仕方がないからだ。例え出て行ったとしても、効率が悪い企業は淘汰されてしまうだろう。
効率の悪さはITに対する取り組みに顕著に表れている。今でも10年以上前のプログラムを使い(例えばグループウェアの代わりに、メールでやり取りをしている)、手書きのFaxがコミュニケーションツールになっているが、西洋諸国からは驚かれる事も多いそうだ。しかしながら、日本にいるとこうしたことは「当たり前」に感じられる。競争に強くなるという意味では、積極的に海外に出て行くのはよいことなのかもしれない。ただし、グループウェアの導入に消極的な人たちが英語を学習して海外に出て行きたがるという理論には信ぴょう性がない。
ただし、一部の人が考えているように、最低賃金の引き上げがすべての問題を魔法のように解決するということはなさそうだ。
第一に、人件費が高騰すれば、人件費をかけない方向で競争が進む可能性がある。小売業の現場では、品数を減らしコンテナのままで陳列することで従業員数を減らしたスーパーマーケットというものが登場している。加工食品ばかりで生鮮品が少ないのだが、遠くに行けない高齢者や安い食品を買いたい人たちが利用している。新型ディスカウントストアとかハードディスカウンターなどと呼ばれるようだ。これが消費者にとって必ずしも好ましい様態かどうかは分からないが、人件費が上がれば、企業はそれなりに対応するだろう。
次に、最低賃金の引き上げは貧困対策にはならないらしい。ある研究による、最低賃金の引き上げは、新規就労者(若年層)や主婦パートなどの就労機会を奪う効果があるのだという。たしかに、最低賃金のモデルとされるヨーロッパでは若年層の失業率が高い。だから、最低賃金引き上げを「政府支出のない福祉政策だ」と考えるのは正しくない。もし池田先生が本気で最低賃金について勉強していれば、この線で引き上げに反対すべきだったかもしれない。(と書いたら本当にこの線で反対を始めた。お前らのシゴトがなくなるぞという書きぶりだ。そもそも、実行する気がないお偉いさんの発言で振り回されるのは下々なのだということを痛感する。)
最低賃金の引き上げは、低賃金労働に依存する生産性の低い産業や経営者を淘汰する政策だと考えるべきだろう。低い生産性に張り付いていた人的資本がより生産性の高い分野に移動する可能性があるからだ。問題はそれが自然に起こらず、政府が強制しなければならないという点かもしれない。
この件で一番割を食ったのは民主党かもしれない。自民党に政策を「パクられ」て、集票に有効なカードをまた一つ失ってしまったからだ。かといって、民主党がかわいそうだとも思えない。もともとは2009年のマニフェストに掲載されていたのだそうだ。政権についている期間が3年もあったのだから「やる気がなかった」わけである。
自民党、民主党ともに「最低賃金で働くような貧乏人で情報リテラシーも低いだろうから、言うだけ言っておけば、ほいほい投票してくれるだろう」という姿勢が透けて見える。