大阪維新の会が大阪府知事選挙と市長選挙で勝利した。この意味を考えていたのだが、大阪が良くなるか悪くなるかに余り興味がないせいか「よく分からない」というのが感想だった。
考えを巡らせて行くと、これは自民党にとってかなり深刻な事態なのではないかという結論になった。さらに、来年の参議院選で自民党が勝てば取り返しのつかないダメージをあたえるのではないかと思う。
憲法改正を睨んで、安倍執行部が大阪維新の会とのつながりを深めていたという話がある。もし、そうだとしたら、それは執行部が大阪自民党がアテにならないと判断したということになる。執行部は政治の最前線にあり「改革」を熱望している。にも関わらず国民の協力が得られない。だから、より大きな権力を手中に収め改革を推進しようとしており、そのためには憲法改正が必要なのである。
にも関わらず大阪自民党には改革の意欲はない。「今のままでええやろ」くらいにしか思っていないように見える。彼らの家業(政治家)が守られるためには、地元の支持者たちだけを見ていればよいからだ。自民党は地方組織の寄せ集めだ。つまり、地方組織の衰退はそのまま自民党の衰退を意味する。
そこで表れたのが大阪維新の会だ。大阪維新の会の執行部は様々なものを利用して「バーゲニングパワー」を得ようとしている。お金を出してでもいいから政治家になりたがる人たち、「改革」を熱望する有権者たち、そして地方組織の退廃に直面する自民党の執行部である。
大阪維新の会の執行部は、自民党の議員団に入って「雑巾がけ」するよりも、外からいろいろと注文を付けた方が「儲かる」と判断したのだろう。創業者に至っては、政治家をやるより外から操作したほうが「おいしい」と考えているのではないかと思う。裏を返せば「政治家は旨味がない」ということだ。政治家になると公人として扱われるので説明責任が生じる。首長となれば各種の訴訟リスクに晒されるのである。
自民党は今や「絶好調」だ。この好調さが危機を作り出している。地方組織は緩んでいるに違いない。勝っているのだから、リスクを取ってまで身を切る改革などしなくてもいいのだ。
好調の裏側で、経済政策は行き詰っている。アベノミクスには敵対する政策がない。しかし、それはアベノミクスがベストな政策であるということを意味しているのではない。先日「お家元」のクルーグマンが自説を見直したばかりだ。クルーグマンはアベノミクスではデフレを脱出する初速は得られないだろうと言っている。これの意味するところは近い将来の財政破綻だ。
にも関わらず野党も経済政策を出せていない。もし野党の経済政策が良ければ、自民党はそれを「パクる」だろう。しかし、代替案が出ないということは「そんなものはない」ということを意味する。それほどまでに状況が絶望的なのか、それとも改善策を考える意欲がないだけなのかは良くわからない。
危機感を煽れば、無党派層を刺激し、野党勢力に有利になる。そこで「今の政策はうまく行っている」と宣伝する。すると地方組織や国民は安心してしまい「今のままで良いではないか」と思い始める。いざとなったら助けて貰えるだろうというわけだ。
ここから、参議院選挙の勝利は自民党を内部から崩壊させてしまうだろうという結論が得られる。野党勢力の分断に成功し「何もしなくても勝てた」という成功体験は、自民党内の改革意欲を減衰させるだろう。これは民主党が2009年に経験した状況と似ている。彼らは今でも「風さえ起せばまた勝てるかもしれない」と思っており、自分たちを改革してゆこうという意欲を持てないでいる。で、あれば野党にはこのまま内部分裂を繰り返してもらった方がよいのかもしれない。
もっともこれで自民党が崩壊したとしても、それに取って代わる政党がまともなものである可能性は高くないかもしれない。もっともひどいシナリオは、憲法改正で国家が大きな権力を握ったまま、もっとひどい簒奪者に奪われてしまうというものだろう。