寝たきりになっている妻を海に投げ入れた藤原宏被告が懲役3年の実刑判決を受けた。今回はこれが長いのか短いのか、あるいは本当に懲役刑に処すべきだったのかを考える。夫の介護は40年に渡ったそうだ。
藤原被告は罪を認めておりどのような判断を受けても判決を受け入れるとしていた。このため弁護人は執行猶予を求めていた。一方で検察の求刑は7年だった。結局裁判所の判断は「被告が1人で見ることにこだわった」ことが原因であるとして執行猶予なし懲役3年という判決を出した。つまり藤原被告に落ち度があると認めたのである。
「社会に迷惑をかけたくない」という気持ちは日本では美風だとされていた。「美風」を守ったために懲役刑になるのかと複雑な感情を抱く人もいるだろう。
介護のうち6割は老老介護だと言われている。このため藤原被告には十分な助けが得られなかったのではないか?という気持ちになる。だが実際にはそれは正しくなかった。藤原被告には長男がおり状況を心配していたケアマネージャーもいた。長男は母親を殺されたことになるが「罪を償ったら帰ってきて欲しい」と言っている。父親が介護に苦労していることを普段から知っていて「40年の介護は、なかなかできることではない。夫婦仲は良かった」と評価している。
では藤原被告の置かれた状態は「仕方のないこと」だったのか。藤原被告が一人での介護にこだわった理由をTBSが丁寧に取材している。
大手スーパーマーケットのバイヤーだった藤原被告は出張で全国を飛び回っていた。結局妻の異変に気が付かず妻は30代で脳梗塞を発症した。
医師:「脳梗塞です。ここまで悪化しているのに気づかなかったのか?」 藤原被告:「仕事が忙しく、脳梗塞の兆候に気づかなかった」 医師:「兆候があったはずだ。あなたにも責任がある」
この医師の詰問に対して意地になってしまったようだ。自分は頑固親父であると認識しており息子に迷惑をかけたくないし「社会のお荷物にもなりたくない」という気持ちもあった。ケアマネージャーの介入も当初は拒んでいたようである。
「社会のお荷物になるくらいなら自分でなんとかする」というのは昭和の感覚では美風とされる。特に昭和世代には「福祉=社会のお荷物」という恥の感覚がある。そのうち誰にも何も相談しなくなり「自分でなんとかしなければ」と思い込んでしまう。
もう一つ「妻は夫に意見すべきではない」というジェンダーの問題も隠れている。ジェンダーとは社会的に与えられた「あるべき男性とあるべき女性」の姿である。
東洋経済の「貧困に喘ぐ「単身女性」が助けを求められない訳」という記事に次のような記述がある。女性は自分の考えを持つべきではないとされているためにそもそも「相談ができない」というのだ。
「女は自己主張するな」「譲って当たり前」と育てられたせいか、自分さえ我慢すればとギリギリまで助けを求めない。
相談に来た人にこの先どうしたいのか尋ねると「どうするのが正解ですか?」と聞いてくる人がいる。いつも周り優先で自分がどうしたいか考えたことがないというのです。
この「社会に迷惑をかけるべきではない」という固定概念と「夫の方針に意見すべきではない」という固定概念が組み合わされると夫婦はブラックボックスになる。息子ですら介入ができないのだからケアマネージャーにも手出しができないという強固なブラックボックスである。
日本の憲法は婚姻を次のように規定している。つまり、男性と女性の組み合わせである「夫婦」という単位が全てを決めるという規定なので、夫婦が「助けがいらない」となると外から容易に手が出せない仕組みになっている。
- 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
- 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。
今回の裁判は裁判員裁判だった。裁判員たちは評決の内容については話さないという前提で記者会見を行なっている。制度の問題について口にする人もいるが「助けを求めることの大切さを実感した」という人もいる。TBSの映像では裁判員たちは顔出しで会見に応じている。結局のところ刑期に長さが重要なのではなく、そこに至る前になんとならなかったのかということを社会に訴えたかったのだろう。
「固定概念」に囚われて自らを縛り付けているという意味で社会にも問題はあったとは言えるだろう。だが形式的には夫は裁かれなければならなかった。そしてそれが今回は3年ということになった。日本人の複雑な心情に配慮した制度設計をやらない限りこの手の「犯罪」は無くならないだろう。必要な人たちに「権限」を与えただけでは問題は解決しない。
体が不自由にも関わらず海に突き落とされた妻は突き落とされた瞬間に「いやだ」と大きな声で叫んだという。おそらくもっと早く誰かに助けてもらいたかったのではないかと思う。夫婦のことは夫婦が話し合って決めるという考え方がある以上、妻の助けを求める声も最後の「いやだ」という叫びも聞き入れられることはなかった。