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LGBT問題より優先度が高い「普通の女性」の困窮問題

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LGBTに関する差別の問題が話題になった。G7サミットで政府が「西洋と価値観を揃えなければならない」と対応を急いだことで社会に不要な波紋が広がっている。ここに既に急進化しているアメリカの過激な運動の情報が流れ込み「日本もこうなるのではないか?」と恐れる人まで出てきた。結果として「差別をなくす」ための法案が逆に差別意識を高めかねない状態になっている。

ryuchellさんに対する苛烈なバッシングなどもある。このため、LGBT問題だけに着目すると「日本人は何て冷たいんだ」と思ってしまう。だが、実は背景にはそもそも普通の女性が優しくしてもらえていないという問題が潜んでいる

コロナ禍で女性の貧困問題が盛んに議論されたが結局結論は出なかった。最近ではさらに現象が進み子供を産んだもののどうしていいかわからず死体を遺棄したり下水に流すケースなども出ている。少子高齢化どころか家族の基本的な機能である次世代を再生産するという機能まで失われかけているのが日本の現状である。

皮肉なことに「優しくしてもらえていない人」は自分らしさを求める人たちの足を引っ張るようになる。ryuchellさんの問題は「公園がゴミだらけになる」のに似ている。つまり周辺の治安の悪化の指標になっている。では何が荒れているのか。

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新型コロナ禍の時、東洋経済が「コロナ禍があぶりだした「女性の貧困」の深刻」という特集をやっていた。正規雇用と終身雇用という受け皿があった男性は救われたが、非正規雇用の女性は救われなかった。日本はもともと家が「家業」を通じて生活と再生産(子供を作って育てること)を支える国だ。戦後はこれが終身雇用という形で企業に引き継がれた。終身雇用は形骸化しつつもまだかろうじて残っている。だが家にも企業にも救われない女性がいる。それが結婚せず「キャリアウーマン」にもなれなかった女性である。男女雇用機会均等第一世代が間もなく定年の時期を迎える。

この問題がなかなか解決しないのは、実は女性が声を上げないからだとされている。他者のことを優先して考え、あまり自己主張しない女性が「いい女性なのだ」というジェンダー的な思い込みがある。これがさまざまな問題を引き起こしている。

自らを家に閉じ込める女性、閉じ込められる女性

今回この問題を考える上で「貧困」という言葉は使わなかった。

次のトピックは家に閉じ込められる女性について考える。つまり家に保護されているから大丈夫ということにはならない。この問題について調べると実にいろいろなケースを拾うことができる。例えば夫の死後に親族と縁を切る「死後離婚」という言葉もある。夫の親族と同じ墓に入りたくないという人がいるのだ。経済的には貧困状態にないのかもしれないがさまざまな意味で社会から切り離された困窮がある。

社会のお荷物になるべきではないという固定観念があり社会に助けを求めることができないという人も多く残っている。女性が閉じ込められたケースと閉じこもってしまったケースを一つずつ列挙したい。おそらく出発点はこの辺りにある。つまり「自己主張」を嫌う文化があるのだ。

藤原宏さん

脳梗塞になった妻を40年介護してきたが介護に疲れたので妻を海に突き落としたという事件があった。このケースは生き残った夫である藤原宏さんの視点で語られることが多い。周囲のサポートを得ようと思えば得られたのだが、妻が脳梗塞になった時に「仕事にかまけて妻の異常に気が付かなかったあなたのせいだ」と言われ意地になっていたそうだ。妻の立場から見れば夫の意地によって殺されたことになるが、妻の視点から「社会に救済されるべきだった」という人はいない。

喜熨斗延子さん

市川猿之助さんの母親は市川段四郎さんの介護をしていた。段四郎さんは意思疎通ができないほどの状態になっていた可能性がある。ここに息子の週刊誌スキャンダルが重なり「もう死ぬしかない」ということになった。こちらは喜熨斗延子さんのほうが「厳しくてしっかり者である」という評判があったようだ。最後まで「社会に迷惑をかけないいい妻」だったが、その内情は今もブラックボックスになっていて何が起きたのかはよくわかっていないが背景に「恥」の概念があったことは明らかだ。

この二つのケースから「社会のお荷物」「恥」という概念に支配された結果日本の家庭がブラックボックス化してしまっているという様子がわかる。ただこれだけを見ていると「それは高齢者世帯だけなのではないか?」と思う人もいるのではないだろうか。

母と娘というブラックボックス

次のケースは母と娘というブラックボックスである。女性はあまり自己主張すべきでないという考え方があり「女性が貧困化しても助けを求められない」というケースは「貧困に喘ぐ「単身女性」が助けを求められない訳」というルポルタージュにまとまっている。

「助けて」と言わない根本にはジェンダー問題があると思っています。女性には自分を優先することに罪悪感を持つ人が多い。DVから逃げるときも「子どものために」と決断する。「私が」ではないんです。「女は自己主張するな」「譲って当たり前」と育てられたせいか、自分さえ我慢すればとギリギリまで助けを求めない。

これが行き過ぎた結果、として母と娘の間の関係さえ言語化して記述できなくなったというケースがある。「母が重い」で検索すると実にさまざまな記事が出てくるのだが、極端なケースもある。最近のケースを2件紹介したい。

米倉千代子さん

45才の次女が73才の母親を刺殺した。事情はよくわかっていないのだが、お母さんを介してでないとしゃべれないという。お母さんはすでに警察に娘とのトラブルを相談していた。だが、母と娘の間に何が起きているのかがよくわからないため周囲は事態に介入できなかった。

新かほりさん

霊媒師になるために母親を殺してバラバラにする必要があったと本人は主張している。この主張だけを聞くと狂っているように思えるがヨガインストラクターとして普通に社会生活を送っていたそうだ。

これらのケースは家族がブラックボックスになっているというケースだ。核にあるのは「気持ちを整理して言語化できない」という母娘の関係である。このため後になって「何が起きたのか」を探ろうとしても全く意味不明の情報しか出てこない。

おそらくこうした状況は息子にも波及している。山上徹也容疑者のケースも自衛隊で乱射事件を起こした特定少年某のケースでも周辺取材が重ねられたが「結局何が起きていたのかがよくわからない」ということになっている。

愛を買うために自分を売る人たち

実は今回女性問題について調べていて最も多かったのがこのケースだった。一つのケースを調べると関連情報が表示される。これをたぐってゆくとあっという間に複数のケースが見つかった。

子供を孕ったもののどうしていいかわからないと人が増えている。子供を虐待で殺してしまう人もいれば、産んだ後にすぐに捨ててしまう人もいる。たいてい「ホスト通い」とか「ホスト狂い」という言葉が出てくる。愛情を満たしたいという気持ちはある。子供を作るという本能もある。だが「家庭」にイメージがない。そのため「産むところまではなんとかなる」のだが育てる環境が作れないのだ。

穂坂沙喜さん

最初のケースは子供を産んで6歳まで育てたというケースだ。児童相談所の権限は強化されているが、結局防げなかったというケースである。現場は「支援すべきか介入すべきか」という二律背反的な状態に置かれているようだが、そもそも支援に結びつかないどころか問題を発見できないケースも多い。

6歳の男の子の遺体がキャリーケースに入っていた。兄弟は母親にも虐待を繰り返していたようだが、母親(穂坂由美子さん)が逃げ出したことで事件が発覚した。一家は生活保護を受けていたということなので行政も問題を把握しようと思えば把握はできたのだろう。

穂坂沙喜さんはホスト遊びにハマっていた可能性があるそうだが、障害も抱えていたようだ。由美子さんの長男は別居しており、次男の大地容疑者が由美子さんへの暴力を姉と妹に支持していた可能性があるという。

だがこのケースはかろうじて6歳までは育ったというケースである。

浅沼かんなさん

生後まもない女児を燃やした。結婚していたが不貞が原因で別居していた。前の夫との間に子供がおり夫が育てている。その後も遊ぶ金に困り家族の財産を盗んでいた。ホスト遊びをしていたようでホストクラブに支払っていないお金が300万円ほどあったようだ。女児は死産でなかったことだけはわかっている。

谷口成美さん

出産したばかりの赤ちゃんの遺体をコインロッカーに遺棄した。見つからないように延長料金域を支払って発見を遅らせた。風俗店で働いていたが大半はホストクラブに使ってしまい、交際したホストにも借金があったようだ。過去に12回出産しており生まれた子供は施設に引き取ってもらい、死んだ子供は病院で処置を受けていた。だが、今回は健康保険証が切れてしまったのでコインロッカーに捨てたようだ。おそらく「福祉に相談して生活を立て直そう」という発想はなかったのだろう。

小関彩乃さん

境界知能で働く場所が風俗しかなかった。妊娠しても何が起きているかわからず周囲に助けも求められない状態だった。妊娠させられたがどうしていいかわからず子供を産んだ上で殺した。周囲には「行政に相談しても門前払いになる」と言われたので「ああそうなんだろう」と思ったそうだ。福祉がかなり遠い存在になっていることがわかる。

皆川琴美さん

実家の庭に子供を埋めたが母親が掘り起こした。母親が警察に通報したところ娘が死体遺棄の疑いで逮捕された。男性地下アイドルにハマり「夜のお店」で働いていたようだ。地下アイドルにお金を注ぎ込み自分の生活は困窮していた。地下アイドルと言っても実際はホストのような存在だったようだ。皆川さんは子供を産んだことを親や家族に話すことができなかった。家で同然で飛び出したために相談すると怒られると思っていたそうである。

西洋型核家族に適応できなかった日本の女性

今回挙げたケースは極端なケースばかりだ。日本の家庭はおそらく最初から閉鎖性が高かったのだろうが複数世代同居が前提となっておりそれなりに問題を解決することができていた。これが戦後核家族化したが「社会」という概念は育たず閉鎖性だけが残った。

もう一つの問題は「ジェンダー」として指摘されている「女性は自己主張すべきではない」という社会圧力だ。このため問題を言語化して外に提示するという能力が育たない。だがこの「女性は自己主張すべきでない」という自己検閲は実は強い同調圧力によって維持されている。自己主張しない人が正解なので自己主張が上手な人や頑張って自己主張をしようとしている人を検閲して潰してしまうのである。

この一つが「ryuchell問題」だった。この問題はLGBT問題として分類されることが多いが、おそらくは「自分らしい生き方」を追求したことによる弊害なのだろう。女性同士でもこのようなことが起きているはずである。公開されないLINEなどでは日常茶飯事なのではないだろうか。

ryuchell問題はたまたまこれが「可視化されたゴミだらけの公園」だっただけだ。おそらく同じような汚れた庭はLINEなどの閉鎖空間を探せばいくらでも見つかるのではないか。

だがいくら彼らを非難したとしてもおそらく問題は解決しないだろう。今回はたまたま女性を取り上げたが「言語化を通じて問題の社会化ができない」男性も増えているはずだ。問題の社会化をどうやって促進するか考えない限り、同じような事態は繰り返されるはずである。助けを求めたり問題を外部に発信するという訓練を体系的に導入する必要がある。

では男性はどうなんだ?

日本の女性は権利意識が低く言語化も苦手だと書いた。ここで「では男性はどうなんだ」という疑問がわく。おそらく言語化ができない男性は少なくないだろう。だが、男性は少なくとも今は「稼ぎ手」として終身雇用・正社員制度の元に守られている。つまり今「財源が欲しいから」「成長産業が作りたいから」という理由で正社員制度を破壊してしまうと、今度は男性の困窮問題が起きるだろう。

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