日経新聞の国会議員は3割減らせる 大阪知事が唱える国政改革を読んだ。吉村大阪府知事・維新共同代表のインタビューだ。
吉村府知事の戦略には学ぶところが多い。
- まず徹底して権威に対する批判は避ける。日本人が権威が大好きだと知っている。
- その上で権威の下にある構造を切り離す。官僚や族議員などがこれに含まれる。
- 弱者擁護というポジションも取らない。
- 責任ある立場に立つことに対しては言及しない。
- 具体的なアイディアは小出しにする。あるいは絶対に実現しそうもないことを提示する。
日本のマジョリティが今何を考えているのかがよくわかる。失われた数十年の政治がたどり着いた一種の答えというか到達点のようなものなのだろう。出口なき日本の最終結論という気がする。
特に4番目の「総理大臣になりたくない」には色々考えさせられる点がある。仮にこれが本当だとすると日本はおそらく3すくみで何も決められない国になるだろう。誰も国家方針に責任を取らなくなるからだ。
今の日本は少子高齢化によってシルバー民主主義圧力を受けている。高齢者は将来の福祉給付が削られることを恐れていて、消費増税などの積極的な増税をやれと政府に圧力をかけている。このターゲットになっているの終身雇用の恩恵を受けている正社員層だ。岸田総理がこの層を狙い撃ちにしていることに国民は気がつき始めているが、現役世代には抵抗手段がなかった。
狙い撃ちにされている正社員層は立憲民主党などの野党にも期待できない。「少数者」に自分達の稼ぎを盗まれるのではないかと警戒している。要するに普通に働いている人たちは「老人に取られるか」「少数者に盗まれるか」という二つの選択肢しか与えられていないと感じているということになる。
維新の戦略はこの隙間を埋めることなのだろう。
維新はまず大阪府議会の定数を3割削減したと主張する。自民党が代表する政治を「既得権」と位置付けて有権者との間に分断を作り出した。この方法は大阪では一定の成果が出ている。
次に成長戦略が全く進まなかったことを批判している。ただ権威批判は巧みに避けている。現在のメインストリームが「権威批判」を嫌い多数派でいたいと考えていることをよく知っているのだ。
安倍総理は改革を進めようとしたが族議員と省庁が自分達の権益を守ろうとしたと総括している。安倍総理への期待を自分達の元に取り込もうとしていることがわかる。だが岸田総理の批判もしていない。岸田総理は官僚の描いた絵の範囲でしか動いていないとして、権力批判は巧みに避けている。
そして「自分は総理大臣になりたくない」と言っている。
理由は三つ考えられる。一つは「総理大臣を目指す」というと「なんだ総理になりたいから色々文句を言っているだけか」と言われかねない。いわば「まんじゅうこわい」の類である。また「大阪府知事は総理大事に色々とお願いする立場」である以上は直接対決は避けたい。これが二つ目の理由だ。
だが三つ目の可能性には色々と考えさせられるものがある。吉村知事の発言を素直に読むと「議院内閣制のもとでは総理大臣は本質的に改革などできない」と言っている。つまりポジション自体に魅力がないと言っている。
魅力がない理由は明白だ。それは総理大臣が利益分配者から不利益分配者に変わってしまったからである。
総理大臣には国家ファイナンスという責任がつきまとう。つまり国家財政をどう支えるのかという議論をしなければならない。高齢者は増税を求め現役世代はこれ以上負担できないと言っている。シルバー民主主義の元では総理大臣は不利益配分のための悪者にならなければならない。もう配れるものがないのなら総理の仕事にはなんらメリットはない。
地方自治の本旨という曖昧な現在の体制において、地方自治体の長は国家ファイナンスについて考えなくていい。吉村府知事はおそらくそのことをよくわかっている。裏を返せば「今の日本で改革をやれば必ず負担増になる」ということを知っている。だからこそこれを国会議員の定数削減という別の問題に置き換えている。これは「使い道」の問題だ。逆にいうと吉村さんのインタビューから日本が「どう稼いでゆくか」という議論が完全に行き詰まっていることがわかる。
仮に維新が本当に政権を目指さないと考えると、おそらく日本の国会は三すくみの状態に置かれるだろう。自民党は地方で高齢者の支持を維持し政権政党として存続する。一方で立憲民主党がなくなることもない。立憲民主党は組合に支えられている。つまり労働者の既得権益を代表する政党なのだ。
そう考えると、自民党・公明党政権は少数与党になり、立憲民主党と維新という2つの野党勢力のうち「どちらかと協力しないと何も通せない」状態に陥る可能性がある。
実は今タイの政治がそのような状態にある。タイには豊かな中央部と貧しい地方に対立がある。このほかに既得権を守りたい軍部がいる。軍部は上院を指名制度にしており選挙で過半数をとった政党も軍部に気に入られなければ政権が取れなくなった。
選挙では王政改革や徴兵制の見直しなどを主張する改革派の政党(前進党)が勝ったのだが上院議員たちから拒否されている。おそらく選挙をやり直しても情勢はさほど変わらないだろう。前進党はライバル政党に首相の座を譲っても連立を維持したいようだがこれはタイで少数与党が誕生することを意味している。何かあればタイの内閣はたちまち瓦解する。どちらも責任を取らず相手を罵り合っているという世界だ。
決定底な対立を嫌う日本はここまでのことにはならないのだろうが、LGBT法案のように土壇場で与党が維新案を丸呑みしたようなことは将来度々起こるようになるのかもしれない。
例えばマイナカードを使った電子健康保険証提案は高齢者の反発を受けている。逆に増税提案は現役世代が反発している。三すくみの状態になると与党はこのどちらも通すことができなくなる。これまで「決められない政治」として嫌われていたねじれ国会だが、三すくみのもとでは「国民がやりたくない改革を拒否する」という体制が生まれる。利益分配は受けたいが不利益分配や変化は極力避けたいというのが現在の政治だ。
おそらくこれが「政治不信」と「失われた数十年」が生み出したこの国の新しい形になるのだろいうという気がする。簡単にいうと「決められない政治」から「決めさせない政治」に変質してしまうのだ。