玉城デニー沖縄県知事が中国を訪問した。格式にこだわる中国は地方自治体の長に過ぎない玉城知事を李強首相が迎えるなど歓待ムードだった。中国の厚遇の裏にはもちろん日本政府に対する揺さぶりの意図がある。だが、おそらくそれは当事者たちが考えるよりずっと深刻な意味を持っている。ここではまず冷静に時系列で関連記事を読んでゆきたい。中国がなぜ一地方の長を「国家代表並み」に扱ったのかがわかる。背景には「沖縄の主権」という戦後の積み残し課題がある。
前史
沖縄で普天間基地問題が持ち上がったのは1995年だった。安倍政権に入り仲井眞知事は辺野古移転を求めた。しかし沖縄の民意は反基地派の翁長氏を選ぶ。法廷闘争を繰り広げたが翁長氏は途中で亡くなってしまった。その後継が玉城デニー知事という流れなのだそうだ。
普天間基地の返還を求める玉城知事の訴えは通らなかった。鳩山総理の「最低でも県外」から始まった日本政府の対応は迷走し辺野古の埋め立てが始まってしまう。玉城デニー知事やオール沖縄はこれに抵抗した。
安倍総理は「寄り添う」発言を繰り返すが実際には沖縄の民意を無視し続けた。ただし、この時には菅義偉官房長官が沖縄問題を担当しており、一応パイプはあった。
玉城知事はチーム沖縄を結成し住民投票を行うこととした。
県民投票は2019年2月24日に行われた。辺野古反対は72.15%に達したが安倍政権は投票結果を受け入れないと表明した。沖縄県は規定通り結果を安倍晋三首相とドナルド・トランプ大統領に伝えた。つまり形式上地域住民の意向を無視したという形が作られた。
時代は岸田政権に
この前史を踏まえた上で2023年の状況を見てゆく。まずオール沖縄はかなり苦しい状況に置かれている。派内に保守と革新が混在し支持も落ちているそうだ。だが苦しくなれば今までの主張は先鋭化する。それが少数派になっても消え去るわけではない。
バイデン政権は世界情勢を整理し「対中国」で国内を固めようとしていた。バイデン政権にとって誤算だったのはアフガニスタンの撤退が大失敗したこととウクライナで騒乱が起きたことだった。だが、対中デカップリングは現在も進行中だ。高齢のバイデン大統領は中国に対して必要以上に挑発的な言動を繰り返すようになった。これまでの「あいまい戦略」がうまく機能しなくなり始めている。
日本では「中国が台湾に侵攻するのでは?」と考える人が多い。だが同じ設問を中国で聞くとアメリカと日本が攻めてくると考える人が多いそうだ。実はお互いに不安を募らせているという状況である。
沖縄は「対中国防衛の最前線」として不安を募らせ始める。菅総理が退陣しカウンターパートを失った沖縄県は不安を募らせてゆく。オール沖縄に対する支持も落ちている。ついに直接アメリカと交渉しなければと思い詰めるようになってゆくがアメリカ合衆国は玉城知事を冷遇した。
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平和の祭典になるはずだったG7広島サミットは「専制主義への挑発」の舞台として利用された。日本が世界の安全保障に関してなんら発言権を持っていないのは明白だ。当然中国は反発を募らせてゆく。そんななか「沖縄の独立」を中国軍の元幹部が仄めかすなど不穏な動きが出始めた。それでも岸田総理は傍観者としてG7広島サミットが挑発の舞台として利用されるのを見ていただけだった。
産経新聞も見逃す、実は不安定な沖縄・琉球の国際的な地位
そんな中で注目されたのが習近平氏の「琉球発言」だ。
沖縄は元々は独立した王国で中国に冊封していた。いわば中華帝国の勢力範囲だったと言って良い。北京の共産党政権が正当な後継者であるかという疑念はあるものの、共産党政権は「中華帝国の正当な後継者である自分達」が沖縄に関与できる可能性について仄めかしたのである。これは明らかな「挑発」だ。日本の新聞はこぞって「対日カード」「揺さぶりだ」と書いている。
- 沖縄も「対日カード」か 習近平氏の「琉球」発言が波紋 人民日報1面
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このように皆が一斉に同じことを言う場合には別のことを言っている人を探したほうがいい。興味深いことを書いている人がいる。沖縄の主権が日本に返還されているかどうかは実は曖昧だと言うのだ。
もともとアメリカ合衆国は沖縄県を日本の領域とは認めていなかった。とはいえ住民統治にも興味がなく軍政を敷いた。最終的に住民統治に行き詰まり日本に「施政権」を返還した。「基地だけを利用したい」と考えるようになったのだろう。
サンフランシスコ平和条約では日本は南西諸島を手放したことになっている。その後アメリカは南西諸島を信託統治するオプションがあった。
ここで問題が出てくる。「沖縄の主権はどうなったのか?」という問題だ。
信託統治オプションはこの地域の主権が未確定であると言うことを意味している。つまり一旦は日本から切り離された。
では、なぜ信託統治ではダメだったのか。当時の国連は植民地解放主義をとっていた。だが現実問題として「自分たちで政治が行えない地域」があるのだから中間措置として信託統治という制度が設けられた。中間措置なので信託統治領はやがて独立か統合を選ぶ必要がある。アメリカはこれが許容できなかったのだろう。自分達の領域とは切り離しつつも基地利権だけは確保したかった。とはいえ主権を返してしまうと将来日本が沖縄の基地を除去できるオプションが生じる。だから施政権だけが日本に戻ってきた。
アメリカ合衆国は太平洋地域において主権と軍事基地利権の問題にかなり苦労している。アメリカの信託統治領だった太平洋島嶼は「コンパクト」という契約を結びアメリカに経済援助をもらいながら軍事基地を提供するという構成になっている。この例外がグアムだ。政治的な地位は「準州」なのだが事実上の軍事的な植民地と言っても良い。これをやらなかった地域の中には中国と接近するところが出てきておりアメリカ合衆国を慌てさせている。
実は台湾も同じような状況にある。「主権」の存在が極めて曖昧だ。
ベトナム戦争の終結のために共産党政権の協力が必要だったアメリカ合衆国は台湾にあった中華民国政府を切り捨てて共産党政府を唯一の政府として認めた。だが中国の1つの中国政策については「中国側がそういう主張を知っていることは認める」とした上でアメリカの態度は示さないという「あいまい戦略」を取ることにした。中華民国政府が当事者能力を失ったため米華の安全保障条約は失効したが、アメリカの大統領は「いつでも台湾情勢に介入できる」という権利を保持している。
アメリカは主権のあいまいな台湾に介入できるオプションを残しておくことで「中国情勢に介入できる」選択肢を法的に残している。
バイデン大統領は「あいまいさ」が持つ意味を軽視しており度々台湾介入を仄めかす。その度にホワイトハウスが発言を否定されるのだが、中国はかなり苛立っている。そもそも「中国には意見があることは認めるがそれをアメリカが承認するかどうかはわからない」というような態度はかなり嫌われているようである。
前史から見ると玉城デニー知事は単に自分たちを軽視する日本政府と訪米を冷遇したアメリカ政府を牽制しているだけなのかもしれない。だが、玉城知事の目標が「米中対立の外交的緩和」だとするとそれは実は逆効果なのだ。
中国としては「一地方の長」に過ぎない玉城知事を厚遇することによってこう言える。つまり意趣返しができてしまうのだ。
日本が沖縄を自分たちの一地域だと考えていることは承知しているが、その主権の帰属は極めて曖昧であり、中国がこれを認めるかどうかはよくわからない。
だが、アメリカ合衆国はこれに文句が言えない。第一に当初アメリカは「沖縄は日本によって武力制圧された別の政治単位」だと考えていた。さらに住民投票が実施されているにもかかわらず日米両政府がそれを黙殺したという事情もある。アメリカの政治において民意の持つ意味は極めて大きい。オール沖縄は知らず知らずのうちにこうした実績を積み上げている。
産経新聞の社説は「尖閣諸島問題について毅然とした対応をしなかった玉城知事」を責めており台湾有事で日本の世論を分断しようとしているのでは?などと言っている。裏を返せば沖縄の主権は確かなもので「分離などあり得ない」と考えているのだろう。
普通の日本人が持っている歴史観は明治維新の後に作られた帝国的な歴史観が基礎になっている。「宗主権」が決まっていると言う世界だ。だが中国の冊封体制は極めて曖昧である。特に戦争に勝って宗主権を確定する必要はない。単に経済的結びつきを強めてゆき、地域代表を「元首格」として待遇すればいい。今回の玉城デニー知事の訪中において「このままでは中国領になるぞと嘲笑している人がいた。実は日本に主権がある状態で結びつきを強めたほうが「嫌がらせ」としての効果は高い。
極めて重要なのは日本政府に何らの決定権もないところである。沖縄の民間交流は止められないし沖縄県知事が厚遇されて文句は言えない。また在沖米軍基地についての自己決定権もない。日本全体の防衛とのバーター取引になってしまう。沖縄の民意には揺れがある。今はオール沖縄は停滞しているが「中国との民間交流を強めるべきだ」と言う人たちが出てきた場合にこの声を弾圧することはできない。さらにいえば今誰が沖縄と政権の間を取り持っているかもよくわからない。
ここで問題なのは玉城デニー知事が戦略的に訪中を利用しているかどうかだ。仮に「落とし所」があり動いているのならそれはそれで住民の自己決定と言える。だがそうでないとしたら、沖縄をかなり危険な状態に導いていると言える。米中の駆け引きの道具として自分達の首を差し出していることになる。
具体的にオール沖縄がどう言う状況にあるのかはよくわからないが、今後については一回よく仲間内で話し合ったほうがいいのではないかと思う。