先日、五ノ井里奈さんの事件を取り上げて「これは性被害ではないのではないか?」と書いた。女性運動家の人に言わせると「男性側からの矮小化」だ。
だが、文章の趣旨は
おそらく自衛隊の中に何らかの不安定さが存在するのであれば、男性の言い分も聞いた上で、問題を精査する必要があるのではないか
というものだった。
そんな事を考えているうちにまた別の事件が発覚した。今回は男性の男性に対する「性被害」である。これを読んで「自衛隊で起きている問題は性の乱れではなく支配欲の暴走なのではないか」と感じた。Quoraでもこの件についてぶつけて見たのだが「そもそも自衛隊で何かが壊れているのではないか」という前提そのものが受け入れてもらえなかった。
在宅起訴されたのは35歳の男性陸上自衛官である。江尻宏輔という名前は出ているが階級は不明だ。35歳という年齢から「任期制自衛官」ではないものと思われる。被害を受けた男性の氏名、年齢、階級、待遇などについては報道はない。したがって江尻被告との関係はわからない。
NHKによると「性被害」と思える内容はある。無理やり下半身を露出させて「暴行」している。ただこの暴行の中身が不明だ。性的に被害を加える事を確かにやんわりと「暴行」と表現することはある。だが、複数回つねり胸や腕に怪我をさせたと書かれている。プレイとすれば「かなりハードな」プレイである。共同通信にも暴行の様子が出てくる。両乳首をつねり、パンツを脱がせ、両手を拘束し、耳の付け根を爪で擦ったそうだ。
そもそも「性行為」とは何なのかという疑問が湧く。
普通に考える性行為とは局部などを刺激して性的興奮を得る事を指す。だが、NHKと共同通信の報道を読む限りどうもそうではなさそうである。代わりに感じられるのが自分より下位にあるものの自由を奪うことでなんらかの興奮を得ているという可能性だ。つまり支配欲を満たすことで刺激を得て興奮していることになる。
自衛隊は服従組織だ。だがQuoraでこれを持ち出したのはよくなかった。自衛隊の服従にはこのような「異常な支配は含まれない」という反論が複数あった。つまり「異常な支配欲」の関係がある程度常態化しているのではないかと仄めかすと「それを肯定している」と自動的に受け取られてしまいそれ以上議論にならない。
同じような構造は五ノ井里奈さんの問題に関しても起きている。女性への性的暴行ではなく別の原理によるものでは?と仄めかすと「女性の性被害を矮小化している」と批判されかねないのだ。
女性活動家の立場からは「ホモソーシャル(男性同士が過剰に庇い合う社会)」の問題が提起されている。女性が被害を受けていたにも関わらず、その場にいた加害者・目撃者が「そんなものは見ていない」と証言した事を問題視しこうしたことは普通の社会でも起こり得るとして一般社会に問題を拡大しようとしている。
だが、今回の「プレイ」を見る限りどうも問題の本質はそこにはないようである。
序列感情を満たすために過剰なマウンティングが行われている。五ノ井里奈さんの場合は「性的役割分担」が押し付けられ「男性は女性より優位にある」という事が顕示されて問題になった。だが今回は男性の男性に対する加害行為だ。「女性蔑視」では説明ができない。
前回の考察では任期制自衛官という背景を導入し「待遇の不安定さが序列の不安定さを作っているのではないか」と仮説した。だがおそらく今回の加害者は任期制自衛官ではなさそうである。つまり任期制という不安定な境遇が事件を起こしているのではない可能性がある。あるいは任期なしと任期制の間にある不安定さが問題の根幹なのかもしれないのだが、被害者の状況がわからないためこの辺りは分析のしようがない。
確たる証拠がなく社会も問題視していないのだから「別にそんなことは気にする必要はないのではないかと考える人も多いだろう。それはその通りだ。世の中には気にしなければならない問題がいくらでもあるのだから全ての人がこの件について関心を持つべきだとまでは思わない。
それでも気になるのはやはり岐阜の射場で起きた発砲事件が念頭にあるからだ。こちらは支配権への反発によって生まれた事件である可能性が高い。だが、やはり「個別例外事例」として処理されようとしている。
菊松一曹に対しては「体格が大きく動かれると困るので念のために2発目を撃った」と言っている。弾薬を奪いたいのに妨害されると困るという「合理的な」理由である。一方で「手を上げたり伏せたりせずにそのままでいたからかかってこいと挑発されたのではないかと思った」とも言っている。こちらは支配に対する抵抗だ。服従が要求される自衛隊員には相応しくない心理的反応である。
自衛隊は軍事組織なので服従体制が徹底されている必要がある。だがこの候補生は元々適性がなく「武器さえとってしまえば形成は逆転する」と考えていた可能性がある。銃を持っている方が強いのは当たり前である。だが中期的な見通しはなかった。つまり銃を取って逃げ出した後に何をどうするのかということは全く考えていない。
逆に江尻被告の件で感じたのは「支配が当たり前の環境において支配欲を暴走させる人も出てくるのだろう」という可能性だ。
軍事組織において服従は絶対条件なのだが、それが自明に管理されるという保証はない。誰かが管理し別の誰かが監査する必要がある。
今回、江尻宏輔被告の事件についてぶつけて見てわかったことがある。人は「組織は健全に機能しているはずだ」という前提で議論したがる。おそらく今回のケースも「個別の案件」として扱われ自衛隊が抱えているかもしれない構造的な問題については議論されないだろう。「自衛隊はそうあってはならない」という抑制が働く。
マイナンバーカードの問題も「何が構造的に問題なのだろう」という点に関心を向ける人は少なくひたすら表面に出てきた問題ばかりが議論されている。国が行う事務はマニュアルに沿って間違いなく行われなければならないという心理的制約が働くからである。このため問題が沸点に達すると「単なる混乱」にしか見えなくなる。「実際にそうなっていない」ということが無視されてしまうので「あるべき姿に戻すためにはどうすべきか」という議論ができない。
一般国民レベルではそれでも構わないかもしれないのだが、官僚や政治家も「マニュアルを作って周知徹底させます」といっている。病化した組織に対して対処できない社会なのだ。病相を指摘視した人が「責任」を問われる社会だからなのかもしれない。
自衛隊の場合、他にもいくつか小さな個別のケースが報告されており、その都度個別の事案として報道・処理されている。男性と女性の問題もあれば男性同士の問題もある。
- 海自男性隊員に男性上司がセクハラ 股間やお尻を触り処分(海上自衛隊舞鶴地方総監部男性3等海佐)
- セクハラで自衛隊員停職 女性部下触る、空自・千歳(航空救難団千歳救難隊40代の男性隊員)
繰り返しになるが、これらが「個別独立した事情を列挙したにすぎない」ことを願っている。おそらく背景に病化した組織の問題があったとしても防衛省はこれを処理できないだろう。さらに「誰が組織を病化させたのか」などといってみても仕方がない。社会は粛々と問題を対処し組織を管理し続けなければならない。
コメントを残す