岸田文雄さんが総裁選に出馬した時に新しいノートを買った。そのノートには「新しい資本主義」とういうタイトルがつけられた。おそらく岸田さんはこのタイトルが気に入っている。だが肝心の一行目が決まらない。おそらく「最初の一行さえ書き始めることができれば大作になるぞ」と意気込んでいるはずだ。この最新の構想が「終身雇用制度の破壊」だ。だが、おそらく岸田文雄氏が破壊するのは終身雇用制度ではなく日本だろう。
背景にあるのは日本に存在する二つの価値観である。
岸田文雄さんは「作家になりたいが作家になれない人」である。立派な小説家になりたいので立派なタイトルを思いついた。あとはそれにふさわしい一行目を書き出すだけだ。最初は所得倍増と言っていたがそのうちに「投資によって所得を増やす」と変わった。さらに企業にお願いして給料を増やしてもらうと言い出した。その最新作が収集がつかなくなったデジタル政府構想と終身雇用制度の改革である。
デジタル政府構想は単に手際が悪いだけなのだが、終身雇用制度の破壊はそれだけでは終わりそうにない。
6月6日に発表された対策は「現在の労働者は終身雇用制度のもとで甘えている」という前提のもとに組み立てられている。転職しやすい労働市場をつくれば優秀な人が自ずから転職しベンチャー企業に人が流れるはずだというのである。すると自ずと成長産業が見つかり日本は再び成長を始めるという。
ただ「だったらまずは官僚から非正規化を始めてみては」と思う。自分達は終身雇用にこだわりつつ他人にだけ制度を押し付けるのは問題だろう。
では岸田総理はなぜ「大作」が書けないのか。これを考えるためには日本の民主主義が抱えるある矛盾について確認する必要がある。
もともと日本には「イエ」という単位があった。この制度ではメンバーはイエの元に団結すべきだ。イエには家長がいて夫婦は次世代の子供を産み育てるための「イエ」の装置である。政治家の世襲もこの「イエ制度」が元になっている。
一方で戦後の民主主義はアメリカ型である。アメリカの子供は早くから独立する。そして「両性の合意」の元で新しい家族を作る。いわば「核家族型」である。現在では「両性には同性も含まれる」ということになっているが基本構造は変わらない。世代ごとにつくられる「所帯」が基礎なのだ。
立憲民主党は「憲法を遵守する」と言っておりアメリカ型の核家族を理想にしている。そしてその政策にはどういうわけかあまり人気がない。
一方で自民党は党内に二つの異なる意見を抱える。リベラルな日米同盟推進派はアメリカの価値観に寄り添うことが日本の国益にかなうと考えている。宏池会はこの流れだ。一方で清和会には「日本は家父長主義に戻るべきだ」と考える人たちが浸潤してきた。主に安倍晋三が連れてきた人たちで「保守・ネット保守」などと言われる。
だが「ネット保守」にもためらいがある。家父長制は戦後憲法で封建的だと断罪されている。このため家父長主義を強く押し出すとアメリカに睨まれるのではないかと思っている。さらに安倍晋三氏がなくなったことで存在感の低下に悩んでおり「保守をつなぎとめておかなければならないのではないか」という気持ちも持っている。
彼らの心情は非常に複雑である。
例えばLGBTQの問題に関して言えば夫婦の一番の目的は「次につながる世代の産み育て」でなければならない。だから夫婦は男女のペアでなければ「生産性がない」ことになる。このため彼らは同性婚や同性愛者の存在は認めたくない。だが「認めたくない」とは言えないので「男性が女性のふりをしてトイレに入ってくる」などと言っている。
では、岸田総理の終身雇用制度の見直しはそのどちらなのだろうか。つまり、岸田総理は家父長制度推進論者なのかあるいは核家族推進論者なのか。
終身雇用制の基本は「家父長・世帯主」として稼ぐお父さんがいてそのお父さんが家を養うというものである。主婦パートは補助労働者に過ぎず「扶養されている」存在だ。つまり終身雇用制度の破壊は「核家族型」を推進することになる。またそもそも終身雇用型の企業は日本に伝統的にあったイエを企業の形に移入したものである。だから「社員は家族同然」などと言われる。高度経済成長期には運動会をやったり遠足を実施して家族を巻き込んだ付き合いをしていた。
では岸田総理は終身雇用性を否定する脱伝統的であって現行憲法の価値観の擁護者なのか。どうもそうではないようだ。
あまり注目されていないのだが「130万円を超えてもそれが一時的なものであれば例外扱いする」という対策が準備されている。これは日本に残る「家父長主義的な」労働環境を考慮した政策である。
日本人は立憲民主党のような「明白な核家族政策」を支持しない。ただ、多世代が同居するイエ制度は崩れており「家長がいる核家族」という実に中途半端な家族間を維持している。この核家族型家父長主義も共働きによって崩れつつある。実に入り混じった中途半端な状況だ。
家族に注目すると、岸田文雄さんがなぜ「大作」の最初の文章を書き出せないのかがわかる。つまり彼の頭の中には「何を基層モデルに採用するのか」という大きな絵がない。単にそれぞれの主張をする人たちの集まりが「選挙の票」に見えている。どちらにも「ウケる」作品を作りたいのだろう。
こういう人はまず作家にはなれない。どっちつかずでどちらの気持ちも掴めないからだ。
岸田政権の政策にいちいち「デスマーチ感」が漂うのはそのためである。基本を決めずに場当たり的な政策を繰り広げるため結果が生まれず徒労間だけが溜まる。小説で言えばどれも中途半端で読んでいても疲れるだけなのである。
さらにここに日本人の温和な性格の影響が加わる。アメリカやフランスではそれぞれの理想を持っている人たちがぶつかり合い「文化戦争」と呼べるような闘争を繰り広げている。だが日本人は対立を避けたがる。価値観の狭間で疲れ果ててしまい選ぶのをやめてしまう。
現在「結婚できない若者」について実に様々な議論が行われている。だが「議論などどうでもいいから正解を教えてほしい」と考える人も多いのではないだろうか。そしてそれが示されるまでは動かないと決めている。
このためおそらく日本はアメリカやフランスのような動的な壊れ方はしないだろう。だが「どうしていいかわからない」とフリーズしてしまった人たちによって徐々に動きが止まってゆくはずだ。
この文章では一貫して「核家族」と「家制度」の例えを出して状況を説明してきたのだが「どちらが正しいのか」については言及していない。そもそも「そんなことは考えたことがなかった」という人が多いのではないかと思う。まずは両方を並べて自分がどうしたいのかを考えるところから始めなければならない。決めるのはそれからなのではないかと思う。現在の政治状況の中途半端さは、そもそも国民の中に具体的なイメージが備わっていないからなのかもしれない。
Comments
“なぜ岸田総理の「終身雇用見直し」は日本を破壊するのか?” への1件のコメント
終身雇用じゃないなら、愛社精神はなくなる。技術の継承も無くなる。社員の教育も無くなる。生涯設計もできなくなる。益々貧困化するだけ。