アメリカの最高裁判所が2つの重大な判断を下した。アファーマティブアクションが違憲だという判断はすでに報道されているが、今朝のニュースではバイデン政権の「ローン減免」も違憲だとされたようだ。終身の最高裁判所判事が民主主義的に決められた大統領の判断を覆すという異例の事態だ。
現在問題になっている点は2つある。
1つは「学業競争」だとアジア系が有利になり過ぎてしまうという問題である。アジア系は親が教育に熱心な家が多くその他の人種と差が広がりやすい。い黒人やヒスパニック系に不利というニュースから「白人の復権運動だろう」と考えたのだが、ニュースを見るとアジア系が歓迎しているとするものが多い。アジア系もマイノリティであり教育は差別を跳ね除けるための武器になる。
「アジア系米国人にとっての歴史的勝利であり、全ての米国人の勝利でもある」。NPO「アジア系米国人教育連合」のユーコン・マイク・ザオ代表は最高裁前でこう歓喜の声を上げた。
もう1つは現在の最高裁判所の構成だ、最高裁判所の判事は歴代の政権が任命するのだが一度決まると終身採用になる。高齢な人ほど早く脱落する可能性が高いのだから結果的に偏ってしまうのだ。現在は保守側に偏っているので民主党に不利な判断が連発される。BBCはこの問題について指摘している。民主主義国家において政策判断はその時々の選挙によって行われるべきだ。だが、アメリカでは最高裁判所の偏った構成により「今までの政策は全部間違っていた」という判断が天から降ってくる。1960年代や1970年代に「すったもんだ」で決まったものが一夜にして「あれは全部間違いでした」となってしまうのだ。
アファーマティブアクションの問題だけを見ると「人種間の問題」ばかりに着目したくなるが、最高裁判所はバイデン政権の目玉政策だった学費ローン問題にもノーを突きつけた。この政策はバイデン政権にとって人気政策だ。こうなると最高裁判所が「司法判断を武器化している」と批判されても仕方がない。
今アメリカで何が起きているのだろうか。個別の事例だけを見ていても状況が複雑すぎて「よくわからない」としか言いようがない。
例えとして適当ではないがここではカジノの例を使って考えてみたい。アメリカ合衆国はもともとイギリスなどから「王様に邪魔されずに商売がしたい」と考えた人たちが作ってきた国である。とにかくどんな人でも移民として受け入れる。そして、入ってきた人たちは自由に「富の追求」ができる。だから「Land of Opportunity」などと言われる。大文字表現でアメリカの合衆国の別名だ。
ところが富の追求のためには元手が必要だ。資本を持っている人は資本が元手になるが、そうでない人は子供に教育をつけさせて競争力を高めようとする。この戦略をとっているのがアジア系である。元手をどれだけ増やせるかは運と才能にかかっている。
建国時にはとにかくアメリカ合衆国に行けば機会が得られる(ただし結果は保証されない)だったのだが。現在は大学を卒業しないと大きなゲームに参加する資格がえられないということになっている。資本主義をカジノに例えたのは「教育もチップ」とみなせるからだ。チップがないとそもそも高額配当が得られるギャンブルに参加できずスロットマシンで我慢するしかない。これは面白くない。
結局「このチップをどうやって分配するのが公平なのか」という話になっていると考えるとわかりやすい。
すでに入国している人たちは世代ごとに「試験」を受け直さなければならないがそれでも受験資格はある。この次世代の資格を求めて大勢の移民が南から北上している。このため共和党の一部の候補(デサンティス氏やトランプ氏)は出生地主義を廃止しろと言っている。つまり「カジノそのものに入場制限をかけようとしている」ことになる。
共和党は「富裕層が今の地位を獲得したのは富裕層が努力したからだ」と言っている。つまりこれはゲームではあるが「ギャンブルではない」ということだ。一方で、バイデン政権は「富裕層は新しく入ってきた人がアメリカというゲームに参加し続けるためにはチップを分けてやるべきだ」と言っている。
最高裁はどちらかと言えば共和党の側に立ち「これまでチップを獲得してきた人たち」の利益を守ろうとしているようだ。一方で数としては分前が少なかったヒスパニック系の人口が伸びておりヨーロッパ系の人たちの数は減ることがわかっている。そのうち彼らは「自分達の都合のいいようにルールを変えたい」と考えるようになるだろう。
そもそも資本主義がカジノでいいのか?という議論はある。だが絶え間ない競争はアメリカが国際的な競争力を維持する上ではもっとも重要な要素である。おそらくこの問題には落とし所がなく、従って問題はこの先も議論が続くことになるのかもしれない。