デザイナーの佐野研二郎氏がデザイン撤回に追いこまれてからしばらく経った。パクリの常習犯だから追いつめられたのは当然だという意見もあれば、ネットのいじめは執拗過ぎたという批判もある。どうしてこのようなことが起きたのだろうか。人間には「人をいじめたくなる遺伝子」のようなものが備わっているのだろうか。
手始めに「いじめが快感を生み出すのか」について調べてみた。一般に人は他人の苦痛を自分の苦痛として感じる能力がある、とされる。「いじめ常習犯の中には、他人の苦痛に快感を感じる人がいる」という研究もあるにはあるのだが、ごく一部に限られているようだ。サイコパスという気質があり、他人と共感関係を結び回路が壊れている人もいるようだが、これも一部に限られる。どうやら、いじめが快感を生み出すという仮説は証明できそうにない。
脳に快感をもたらす活動は多岐に渡る。その中でも特に複雑なのが学習に関する活動だ。人間は、不安定な状況で新しい技術を獲得し、状況をコントロールすることに快感を感じる。また、情報の一部が隠されるとそれを埋めて知識を完成させたくなる。これを形式化したのがゲームである。
研究によると、ゲームをしている人の脳では複雑な活動が起きている。側坐核や扁桃体といった快感に結びつく領域とともに、作戦を考える前頭前皮質のような領域が活発に活動するのだという。快感に結びつく回路を報酬系というのだが、報酬系は欲求が満たされた時だけではなく、報酬を得ることができると期待しただけで活性化される。
思い返してみると、騒動の最初のきっかけは「たまたま似ている」デザインがテレビで公表されたことだった。佐野氏がこれを「パクリではない」と主張したために、ネットでは佐野氏が「パクっている」証拠を掴もうとやっきになった。過去の作品から似たデザインがいくつも見つかると「似たデザインを探し、嘘を暴く」というゲームが生まれた。似たデザインを探して公表すると、ネット上では反響があり社会的報酬が得られた。ゲームが拡大するとテレビでも取り上げられる。報酬が増え、さらに参加者が増えた。これを助長したのは組織委員会側だった。状況が過熱したところで、デザインが修正される経緯を発表したのだが、これはゲームに参加する人たちに新しいパズルを提供することになった。
つまり、これは巨大なソーシャルゲームであり、社会協力を通じた学習活動が遊戯化されたものだったのだと言えるだろう。そして、最終的にデザインが撤回されることでコンプリートした。「ラスボス攻略」だ。
ゲームに夢中になっている人は、相手がどのように苦しむのかを考慮していないという点は忘れてはならない。シューティングゲームで人を殺しても罪悪感を案じないのと同じ事だ。実際のいじめを防ぐ為には「できるだけ報酬を与えず」「行われている行為はゲームではないと認識させる」ことが重要だろう。
いずれにせよ、社会協力を通じた学習活動は脳の働きを活発化させる働きがあるようだ。ネットの活用でかつてのようなコストをかけずに、こうした活動ができるようになった。これを社会改革やイノベーションのために活かす事ができれば、世の中を良くする為に役立てることができるだろう。
もともと日本人は社会協力を通じた学習活動に熱心に取り組む国民だ。かつては製造業の現場では「改善活動」という品質管理の取り組みが行われていた。チームで協力して状況を改善すると金銭的報酬の他に社会的な報酬が得られたのだ。これはKAIZENという英語になり、各国に輸出されたほどだった。
ネットを使った社会協力が現状破壊にしか向かわないのは残念なことだ。裏を返せば、企業の生産活動や社会改善では報酬が得られにくくなっているという現状があるのだろう。