もともとはアメリカのリクエストだった。9.11のあと、アメリカは日本にもアメリカを防衛する義務を負わせ、日本との同盟をNATO並の集団的自衛の枠組みに変えようとしたのだ。こうした構想は過去にもあったが、オーストラリアや韓国などの周辺国が反対していた。韓国は未だに懸念があるようだが、オーストラリアは賛成に転じている。
これは日本政府にとっては名誉なことだった。ようやく、一人前の国として認められたのだ。これは名誉な事だから普通の国になろう、と国民に説明すれば良かったのだ。
ところが、国民に説明する段階になって、安倍首相はひるんだ。アメリカのリクエストに応えるには憲法改正が欠かせないが、それが受け入れられないと見ると、現行憲法下で運用可能だと言い出した。そして「アメリカを守るため」ではなく「日本の専守防衛のため」なのだと国民に説明した。そして表向きは国の名前を挙げずに中国と北朝鮮の脅威を煽った。
こうした制約のもと、内閣官房で大急ぎで「理論構築」したうえで法律の改訂作業に入った。関係する法律が10本もあった。少人数で急いで作ったので完成度の低い法律群ができた。問題だったのはアメリカのリクエストがよく分からない点だ。そのため、自由度を増す必要があり「内閣の裁量で如何様にも解釈できる」体系になった。
時間が短かったせいもあり、防衛省には根回しをしなかったのだろう。防衛省はこれに反発したようだ。外務省の得点稼ぎのために隊員の命を危険に晒す事になる。その上、アメリカ軍との一体化意識が強い。自衛隊のトップは防衛大臣の頭越しに軍関係者と直接やりとりしており、反発する者は機密書類を共産党に流したりした。政府のコントロールが利いていないらしいことが露呈した。
このように色々な欠陥があるので野党は反発したが、数で押し切られるのは最初から分かっていた。そこで憲法の問題を取り出した。しかし、国民はこの件について「違憲」を申し立てることができないことも明らかになった。さらには、憲法を厳密に解釈すると自衛隊も違憲になってしまうということが明白になった。共産党は自衛隊を廃止すべきだと考えており、社会民主党は日米同盟の役割は終ったと考えている。
国民の総意というものがあるとすれば、それは現状維持だ。だから矛盾していても構わないと考えるのだ。憲法改正して第九条をなくすのも不安だし、かといって自衛隊や日米安保がなくなるのも困る。
手詰まりになった野党は「戦争法案」という名前をつけて法案に悪い印象を持たせることにした。民主党は徴兵制度が復活するかもしれないと煽った。主婦向けの雑誌がそれを取り上げたりした。
もともと中国と北朝鮮の脅威論はあった。背景には中国経済の急速な台頭がある。中国が経済的に成長していることを認めたくないので、それを軍事的な脅威にすり替えるようになった。それがネット右翼と呼ばれる下層に広がった。
一方「戦争法案」というレッテルも想像以上に響いた。もともとの憲法九条擁護派(共産主義が失敗した左翼にとって最後の拠り所になっていた)に加わったのは、先行きに不安を持つ若年層だった。現在はそこそこ幸せだが将来に漠然とした不安を抱えているものもいれば、実際に経済的に困窮している人たちもいる。彼らの不安(というより国民全体の不安なのだが)を解決するには、まず問題を知る必要がある。
つまり、この争いの根柢にあるのは、経済的な先行きに対する漠然とした(あるいははっきりとした)不安なのだ。それを「戦争」に投影しているに過ぎない。だから、根本にある不安を見つめないと、いつまで経っても安定した気分を得られないだろう。
本来ならば政党は国民の不安を払拭する必要があるが、それぞれの物語に引きこもってしまい出てこなくなった。