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長期独裁批判に晒される志位委員長は結局何に負けたのか

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日本共産党がいよいよ「終わりの時」を迎えているようだ。長すぎる委員長職独占に批判が集まると「これは外務から持ち込まれた議論である」という陰謀論を展開している。支配勢力が共産党を攻撃しているのだという。志位委員長はまだ戦うつもりのようだがおそらくこの戦いは志位氏の負けで終わるだろう。問題は支配勢力ではなく日本人が伝統的に持っている「政治に対する感覚」である。志位氏は20年の間それが理解できなかった。

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日本共産党が存亡の危機を迎えている。産経新聞が「「『長すぎる』批判は共産攻撃」 委員長20年超の志位氏」という記事を出している。

東西冷戦構造が崩れたのが1989年ごろだと考えると「よく30年以降ももったものだ」と感じる。しかし高齢化の波には逆らえず「しんぶん赤旗」は購読者数が低迷してきた。産経新聞によると昭和55年の355万部がピークで近年は100万部を割っているという。日本共産党は政党助成金を受け取っておらず赤旗の基盤縮小は死活問題だ。

「反乱」は京都で起きた。大阪は既に維新の飲み込まれており、奈良や京都にも影響が及び始めている。京都1区では自民党の次が共産党だったが現在では維新が躍進している。奈良県でも維新系の知事が誕生した。維新の躍進を背景に京都共産党の重鎮たちが「新しい党首のもとで起死回生を図るべきである」と訴えていたが、志位委員長はこれを「反乱」と切って捨てた。除名されたのは京都府委員会職員の鈴木元氏(78才)と元党本文職員の松竹伸之氏(67才)だ。いずれも志位委員長の独裁と党員による選挙を要求し、これが「内部反乱」とみなされた。また兵庫県南あわじ市議の蛭子智彦氏も除籍処分を受けている。

志位委員長は長期政権批判は反共攻撃の一環であると指摘。内紛ではなく外から持ち込まれた議論であると言っている。

だがこの戦いはおそらく志位氏の側の負けで終わるだろう。ではそれは「志位氏がいけないのか」と言うことになる。志位委員長の「私が何かを間違えたわけではない」という指摘は正しいのではないかと思う。

では間違っていないのになぜ負けてしまうのだろうか。負けるとしたら一体何に負けようとしているのか。

志位委員長は「反響攻撃を仕掛けたのはこの国の支配勢力である」と言っている。日本は国民主権なのでつまり「国民が共産党を潰そうとしている」ことになる。つまり志位氏は日本の政治風土を理解できなかった。

共産主義の発祥地はイギリスであり創始者はドイツ人だ。だが実際に支持されたのはロシアと中国である。エマニュエル・トッドによればこの地域は「父親の強い権威のもとに兄弟が平等である」という地域だ。つまり権威主義と平等が併立するという地域になる。日本には元々権威主義的な政治体制は根づきにくい。家族観がロシアや中国とは異なる。

志位氏の主張する民主集中制は「民主主義は単なる方便であって最終的には共産党の指導部に従ってもらいます」と言う制度である。強い権力の下での平等を望む人たちには受け入れられやすいが日本人は細かな村の集まりであり外からの干渉を嫌う。このため中央に強い権力を置きたがらない。古くから指摘されているように日本の中心は「空洞」でなければならない。その象徴が天皇であり皇居であるというのはもはやよく知られた話である。中心には政治権力は何もなく単に静かな空間がある。つまり権力を中央に集中させたい中国やロシアとは真逆なのだ。

次に日本人は政治を身分制度として理解している。「弱者の味方」をするリベラルな社会主義者たちの「身分が低い」と誤解される。そして生活苦を全面に押し出せば押し出すほど身分制の理解が進んでしまう。仮に共産党が自分達だけで闘争をしていればこうした「身分的な誤解」は進まなかったかもしれない。問題はおそらく「政権を目指す」と言ってしまったことだ。共産党と組むと「身分が低く見られてしまう」という封建主義的な価値観を日本共産党も日本のリベラルも打破できなかった。現行憲法は封建制度からの脱却をうたっているが戦後70年以上経ってもそのくびきから完全に自由になれない。

ただ、今回の「共産党の乱」は関西から広がっている。別の事情もありそうだ。

日本には中産階級を代表する政治勢力も出てこないのだが、この唯一の例外が維新である。維新が大阪で躍進しているのはあるいは江戸時代の大坂が「商人の街」だったからなのかもしれない。つまり関西には支配階層がおらず市民社会的な政党が理解される土壌があるということになる。「維新」というの政党名は今はこの運動には参加していない大前研一氏の直感的なネーミングだ。「立憲民主党」よりは直感的に理解しやすい。

その意味では志位委員長の「何かに邪魔されて前に進めない」という感覚は極めて正しいのかもしれない。志位さんは「何か」を「支配階層の陰謀」だと考えてしまったわけだが、おそらく日本に根ざす政治風土に負けつつあるのだろう。もちろんこれは共産党だけでなく多くの政党が共通に抱える悩みだ。日本は幕藩体制を支えてきた封建的な価値観からはまだ脱却できていないのではないかと思う。

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