電車の中で暇つぶしにYahoo!ニュースを見ていたところ気になる記事を見つけた。「ポーランドがウクライナの戦争に参戦するかもしれない」という指摘である。もちろんすぐにではなく「可能性」の話でしかないのだから何か対処しなければならないというレベルの話ではない。
ただこうした情報にも徐々に慣れていった方がいいのではないかと思う。
そもそも現在の紛争をどう呼ぶかも決まっていない。つまり決まっていないものが拡大してもそれに対処する枠組みが作れない。徐々に不確実性が増しており既存の枠組みでは説明できないことが増えている。東西冷戦構造で物事を見ている人ほどこうした情報に強い不安を感じ「見て見ぬふり」をしたくなるはずだ。
まず「支援」の正確な記述を書いておく。「戦争に入る」と書かれている。
この発言や記事の内容を評価するには、まずエマニュエル・トッド氏の経歴を説明する必要があるだろう。
フランス人の学者で統計をもとに政治について説明しようとしている。肩書きは「家族人類学者」などと説明される。世界情勢はその国が固有に持っている家族観で説明できるというのが持論だ。必ずしもこれが正解というわけではないが、軍事的な「地政学分析」ではない別の切り口である。
例えば中国は兄弟間は平等で親子関係は権威主義的な外婚制共同体家族という価値体系を持っているとされる。このため中国人は平等さを求めると同時に権威主義的なリーダーを求める。アメリカ合衆国も独自の家族観を持っている。子供が早くに親元を離れるという核家族主義だ。民主主義・自由主義はこうした家族関係の反映である。これを「絶対核家族」という。
現在盛んに民主主義と専制主義が対置される。実は家族に対する見方が違っているからだというのがエマニュエル・トッド氏の考え方である。つまり中国やロシアにもそれなりの言い分があるだろうという立場だ。
トッド氏の出身国であるフランスを含む大陸ヨーロッパもまたこれら2つの地域とは違った家族観を持っている。このためトッド氏の見方はアメリカとは距離がある。
トッド氏だけではないのだがフランスの知識人にはアメリカの政策に批判的な人が多い。今回の記事はトッド氏の新しい本のプロモーションのようだが「ウクライナの衝突で問題なのはロシアではなくアメリカ合衆国である」というのが彼の見立てである。つまりロシアを絶対悪とはみなしていない。そして日本のインテリ層はアメリカの見方とは少し違ったフランス知識人の考えを読みたがる人も多い。日本がプロモーション対象として選ばれるのはそのためだろう。
ロシアの周辺にあるウクライナ、バルト三国、ポーランドは「均衡」を見出すのに失敗したとトッド氏は見ている。つまり「何がポーランドであるのか」がわからなくなっているというのである。
ポーランドはスラブ系のカトリック国である。だからカトリックの伝統が消えてしまうと自分達のアイデンティティがわからなくなる。そこに強力な敵の存在を与えられると、あたかも「自分達のアイデンティティを取り戻すためにロシアと戦わなければならない」と思い込んでしまうというわけだ。
東西冷戦構造が崩壊した後のポーランドはアイデンティティの再構築に非常に苦労している。アイデンティティが揺れると「民族」や「伝統」にこだわるのはどこの国も同じである。
ポーランドでも反ロシア・反ナチスのように「相手に依存した自民族主義」が盛り上がっている。この一環として兵力の倍増やナチスに対する賠償要求などの動きが出ている。まずロシアを念頭にした軍備増強はウクライナ情勢が出る前から盛り上がっていた。
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ポーランドの自民族主義の中心として注目されているのがカチンスキ氏である。一卵性双生児の兄がヤロスアフ・カチンスキ氏で弟がレフ・カチンスキ氏だ。弟のレフ・カチンスキー氏は大統領専用機が墜落して亡くなっている。つまり現在出てくるのは兄のカチンスキー副首相の方である。
カチンスキ氏に代表される現在のポーランド政治はロシアに対する対決姿勢を鮮明にするだけではなく「ナチスドイツの賠償をドイツ政府と交渉する」などと言っている。
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さらに経済的にEUに飲み込まれかねないという焦りもあるようだ。
EUの法律よりもポーランドの国内法を優先するという考え方を採用しEUから制裁金を求められてもいた。ポーランド人とは何かということを考えると「ロシアに対抗し」「ナチスドイツに打ち勝ち」「EUの指図は受けない(ただし利益は享受する)」ということになる。このことからもトッド氏の指摘はある程度正確だと評価できる。
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カチンスキ氏はしばらく表舞台から退いてきたが過去に首相や副首相を務めてきたがこのほど副首相に復帰した。政権を維持するためには民族主義に訴えるのが手っ取り早いということなのだろう。
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ここで話をトッド氏の指摘に戻す。トッド氏の指摘は突拍子も無いように思える。しかし背景的にはそのようなことがあってもおかしくはない。あくまでも可能性と構造の問題である。ただ実際にその可能性が選択されてしまうと色々と厄介なことが起きる。
ロシアのウクライナに対する侵攻はいまだに「戦争」になっていない。侵略戦争は国連憲章で禁止されている。ウクライナはこれを自衛だといい、ロシアはウクライナにいる同胞を助けるだけで侵略ではないと言っている。さらに国連安保理は機能不全に陥っていてこれが戦争であるかそうでないかを認定できる組織はない。つまり現在の紛争の国際的な位置付けは宙ぶらりんだ。
ポーランドがウクライナの支援に入ったとなるとこれは「自衛」でなくなる。国際法の枠組みでは参戦など許されない。だが、そもそも最初にあった侵略行為に法的な枠組みが与えられない。だから、それに対する「支援」をどう解釈するのかという枠組みも見つからない。
にもかかわらずポーランドが当事国になるとポーランドが攻撃される。つまりNATOに防衛の義務が生じる。自動的にアメリカ合衆国、ヨーロッパ、トルコが巻き込まれることになる。ただアメリカ合衆国の世論はポーランドの突出を歓迎しないだろう。民主主義を守るという大義がウクライナに比べて薄いからである。
アメリカはこの行為に対して「経済制裁」や「武器の禁輸」などはできるだろうが法的にポーランドを抑止する権限はない。唯一これが可能なのは国連安保理事会だが「ウクライナでもめているのにポーランドについては協力しましょう」などとは言えないだろう。
このように戦後の戦争抑止の枠組みでカバーできないことが増えている。日本近海で言えば台湾有事もそれに当たる。ベトナム戦争の抑止のためにアメリカは便宜的に共産党中国を認めた。しかし今でもアメリカの大統領は台湾情勢に介入できる「権利」をアメリカ議会に対して持っているという建前になっている。一方で中国はこれを認めていない。
お互いに認識の決定的な相違はあるが軍事衝突までは持ってゆかないというのが現在の知恵だ。だがいつまでも保持される保証はない。そして動機と要因は米中相互が持っている。
だが現実問題としてウクライナの戦争がNATOに飛び火すればアメリカ合衆国はとても二正面作戦には耐えられないだろう。
この場合考えられることが二つある。一つはアメリカ合衆国がNATOとロシアの戦いにかかりきりになり東アジア防衛にまで手が回らなくなる事態だ。日本が中国などの脅威から取り残されるというシナリオだ。
さらに、かつてベトナム戦争でアメリカ合衆国が中国との取引に応じたように、今度もアメリカが中国との取引に応じてしまう可能性がある。台湾とアメリカの間には防衛協定があった。だがアメリカは北京政府の求めに応じて台北政府を見捨ててしまったのである。ベトナム戦争反対の国内世論対応を優先したからだろう。日本でいうと日米同盟がありながら「東京にある日本政府は認めません」と宣言したようなものである。
このように戦後の枠組みは徐々に綻びつつある。更に言えばベトナム戦争から一つの中国原則が生まれそれが台湾有事に繋がっているというように相互連関している。
おそらく「普通の日本人」はこのようなエントリー(ブログ)には興味を持たないだろうが、東西冷戦を元にした世界観から離れたところで「構図」を見つめ直す練習は徐々に始めた方がいいと思う。
冷戦構造を民主主義対専制主義に置き換えただけでは説明ができないことが増えているので、いきなり氾濫する情報にさらされると「何が何だかわからず不安だ」ということになってしまうからだ。
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