最近、バラエティ番組やCMで「やす子」というお笑いタレントを見ることが増えた。自衛隊の出身であることが「ウリ」になっているようでCMでは見事な匍匐前進を披露している。
女性お笑いタレントが3名で出演している「ボクらの時代」をみたのだが、やす子の告白に一瞬共演するタレントたちの顔がこわばる場面があった。「これは本当にテレビで言っていいことなのか」と思ったのだろう。おそらく彼女たちの感じる違和感は正しい。我々は次第にやす子を笑えなくなるだろう。
なぜこれが政治問題なのかと思う人もいるかもしれない。広がる貧困と国土防衛という大問題を包含している。
やす子は山口県の出身でソニー・ミュージックアーティスツ所属のお笑いタレントだ。本名を安井かのんさんという。高校では柔道部に所属し黒帯も持っている。つまり体力に非常に恵まれていた。
彼女には二つのウリがある。一つは極端な貧困でありもう一つは自衛隊出身という異色の経歴だ。
安井かのんさんは「生物学上の父」を知らずテレビも食事もないという家庭に育った。学校では友達に馴染めずにトイレで食事をとったりしていたという。一方で柔道の黒帯だという情報もあり高校では柔道部に所属していたようだ。
高校を卒業し「宿舎が提供され食事が満足に食べられる就職先は山口では自衛隊とパチンコしかない」という理由でパチンコ屋の面接を受けるが失敗してしまう。結局彼女が見つけた就職先は自衛隊だった。
彼女の言語能力には問題がある。おそらく「三食と宿舎がある就職先として私が思いついた(あるいは先生に勧められた)のはパチンコ屋と自衛隊だけだった」と言いたいのだろう。だが「泊まるところ」という表現が「テレビのある場所」になっている。また今の日本に寮がある就職先が「パチンコと自衛隊しかない」はずはない。
「誰も助けてくれなかった」ともいっている。アドバイスをくれる大人がいなかったこともわかる。高校の先生が職場を斡旋する際に「パチンコと自衛隊しか推薦できないな」と考えた可能性もあるかもしれない。社会性に問題はあるがそれは訓練でなんとかなりそうだし体力には問題がない。
自衛隊時代について書かれている記事もいくつか読んだ。役割はきちんと果たせていたようだ。特殊技能を習得したという話もあるようだ。だが社会的に馴染めなかった。このため「ふと私は辞めるな」と思い本当に辞めてしまった。おそらく彼女は周囲と気持ちを折り合わせることができず、その時の気持ちを言語的に整理して他人に説明できていない。
やす子が笑いになるのはどうしてなのだろう。
理由は三つある。
最初の理由はやす子の発言を真剣に捉える人がいなくなっているからだろう。つまり他人に対する想像力が欠如している。「ボクらの時代」に出ていた二人の共演者はなんとなく気がついていたのではないかと思うし、見ていると「これはテレビでは流してはいけないのではないか?」とも思えるのだがそのような違和感を持つ人はもう地上波は見ないだろう。
もう一つの理由はおそらくやす子のいう「食事とテレビがない家庭」が身近になくリアリティがないからだ。つまり貧困は特殊なのである。
さらに「お笑い」という特殊な環境がある。笑わせても笑われてもいい。とにかく作家の期待通りにその放送時間を「埋めることさえできれば」ニーズがあるという世界だ。
ただ「貧困は特殊事情」ではなく単に隠されているだけである。それを見ないのは「当事者たちがそれを見せない」ようにしているからである。コロナの自粛で給食がなくなると食事が食べられなくなる子供がいるというニュースがあった。17才以下の子供のうち7人に1人が貧困状態の家庭で育っている。人口にすると280万人になるのだという。所得が一定以下の家庭は給食費が免除されているのだが。その対象者は全国で143万人にのぼる。
テレビに関しては異なる事情がある。テレビ受像機そのものはかなり安価に手に入る。おそらく支払えないのは月々のNHKの受信料だろう。テレビを持たない理由の第一位は「テレビを置くとNHK受信料の支払い義務が発生するから」である。その割合はテレビを持たない人の22%が理由としてあげている。堂々の第一位だ。受信料が払いたくないからという理由でテレビをみなくなると、そもそもテレビを見る習慣がなくなる。受信料くらい大したことがないと感じる家庭もあれば「もう払えない」とか「払えるが他に回したい」という家庭も増えている。
やす子はおそらく自分が置かれた環境を言語化できていないしなぜ笑いが取れているのかも理解できていない。自分で気持ちを整理することができるスキルを身につけることができず、周りにアドバイスしてくれる大人もいなかった。これが「貧困」の本当の恐ろしさだ。普通の家庭にある普通のアドバイスが受けられない。社会性というのは周りの大人が育てるものなのである。
こうした「社会性の砂漠」は当事者にとっては唯一のリアリティであり周りからは全く認識されない。
「こういう人が最後に行き着くのが自衛隊だ」などと書けば「決めつけている」と感じる人も多いのではないかと思う。
今回指導担当の自衛官2名を射殺した特定少年某は家庭環境に問題があった。親は教育には関心がなく、家も散らかり放題だったようだ。不登校気味でゲームに熱中し兵器や戦争に興味を持つようになっていったようだ。また「大人に注意されるとカッとなる性格」でもあったようである。そんな彼にとって夢が叶う瞬間が来た。いよいよ本物の銃が撃てるのだ。
ゲームを通じて社会協力の大切さを身につけることはおそらく可能なのだろうが、全ての人がそうなるわけでもない。現在ワイドショーでは「こういう特殊な子」をどうやったら排除できるのかというような議論をやっている。だがおそらくそれは「それほど特殊な子」ではない。
さらに、自衛官募集において任期がない「一般曹候補生」は採用計画が充足する見込みだが、全体の充足率は落ちている。つまり多少問題があっても引き取って自衛官として訓練しなければならないというのが現在の自衛隊だ。
確かにやす子のケースは「一つの特殊事情」に過ぎない。特定少年某のケースも「また別の特殊事情」に過ぎないのだろう。だが、本当にそれは単なる例外なのかはもう一度落ち着いて考えたほうがいい。
仮に政府の言う通りに台湾有事が起きるとしたら2027年ごろにはこうした彼らが南西諸島に展開することになる。これまでのように訓練場で隔離された存在ではなくなるということだ。
今回のやす子のケースは日本が当たり前のように享受してきた二つの前提が崩れていることがわかる。それが「総中流社会」と「戦争と無縁の平和国家」だ。どちらも安全保障上は大きな課題と言って良い。
いずれにせよ今は「特殊なケースだから」ということで笑い飛ばしていられる。いつまでもそんな世の中が続けばいいなと感じるが社会性の砂漠化は徐々に見えない形で進行しているのではないかと思える。緑が失われて初めて「実はもっと早く対策をしていれば」と思うようになるのかもしれない。
Comments
“日本が「やす子」を笑えなくなる日” への1件のコメント
やすこが売れてる理由を勘違いして無理やりこじつけてるわ。
笑いを知らないあほで、自分の理論を押し付けるのは、読む側が不愉快になるのでやめとけ。
天然のずれ以外何もない。