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大阪維新の会の国政政党化と橋下徹市長

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橋下徹大阪市長が、大阪維新の会を国政政党化すると発表し、巷ではちょっとした騒ぎが起きた。特に維新系の人たちに魅力を感じたりはしないのだが、この動きは「正解」だろう。政界再編のきっかけになるという期待もあるようだが、今回の動きは期待に沿ったものにはならないのではないかと思う。
前回、小泉劇場から始まる政権交代の歴史を見た。ここで見つけた成功の秘訣は簡単なものだった。「誰か悪者を見つけて叩けばよい」のである。まず「霞ヶ関官僚と郵政族議員」がターゲットになり、次は「霞ヶ関官僚」が狙われた。さらに最近では「民主党」がその役割を果たしている。
橋下徹市長は「今度は大阪という名前を付ける」と言っている。だから悪者は「東京」だろうと思われる。具体的には霞ヶ関と永田町だろう。つまり、官僚も国会議員も全部ダメだと言っているのだ。自民党も民主党もダメなのだ。さらに、東京に行って堕落してしまった維新の党のメンバーもダメなのだろう。永田町と距離を置きたがっているのだとすれば、政界再編の原動力にはならないだろう。
「永田町離れ」の兆候は既に現れている。
8月30日の国会前にどの程度の人がいたのかは分からないが、彼らが成功したのは既存の政党との結びつきを否定(あるいは隠蔽)したからだろう。表向き彼らが反対しているのは安保法案だが、それ意外の不安もあるのではないかと思われる。
加えて、既存政党が自民党を叩いても支持率は上がっていない。民主党はいったん政権運営に失敗した「悪者」であり、説得力がないのだろう。維新の党も対案を出したが支持は集らなかった。
もっとも、劇場型の政治を再現するためには、もう一つの成功要因が欠けている。多くの国民が動くためには、国民が「何かを失う」と思うことが大切なのだ。消費税が増税されるかもしれないという不安や年金システムが揺らぐかもしれないと思うと国民は危機意識を持つ。自分たちが損をして、相手が損しないという状態になると「相手を罰してやりたい」という気持ちが働くのだ。
ところが現在は事実上の財政ファイナンスが行われており、国民は「税金を払わなくても今まで通りの生活が維持できる」ものと安心している。政府は成長率を高めに見積もっており、財政削減しなくても大丈夫だというのが公式見解になっているのだ。来年「消費税増税凍結」を旗頭にすれば、自民党は大勝できるという観測結果がある。
この状態が持続可能だと思えば権力側にいた方がいい。しかし、そうでないと考えるならば、できるだけ関わらないのが正解だろう。仮に危機が顕在化して民主党が政権を取ったとしても状況を改善させることはできないはずだ。で、あれば外にいた人だけが「東京がこんな危機を招いた」とか「東京が独り占めしているせいで地方が潤わない」と非難できるのだ。
残念ながら民主党は絶望的だ。党勢を拡大するためには、右の勢力を拾うか左を拾うかという議論をしているのだが、ほとんどの国民はイデオロギーには興味がない。「生活が第一」であり、その意味ではとても「利己的」である。また「戦争法案」叩きに熱心だが、自分たちが政権を取ったら、どう財政を健全化させるのかという議論は全く聞かれない。
こうした劇場型の政権交代はどのような効果を生むのだろうか。過去の事例から言えることは、劇場型政治は衰退のいらだちに対するスケープゴートにしか過ぎなかったということだ。バブル崩壊をきっかけに資本の移動が起きていれば、新しい企業が日本を成長させていたかもしれない。しかし、資本は古い企業に張り付いたままで、結果的に賃金労働者は貧しくなった。
国民の「変わりたくない」という気持ちが劇場型の政治を生む。結局のところ、それが自分たちの首を絞めているように見える。