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「マイナカードプロジェクトは戦前の日本と同じ」との指摘も。待たれる「玉音放送」と「終戦宣言」。

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国民の間に「マイナカードを押しつけられて紙の健康保険証が取り上げられる」との懸念が広がっているそうだ。共同通信が「来秋移行、高年層の78%が反対 保険証廃止に広がる懸念」という記事を出している。少し違和感を感じる記事だ。周りで「懸念している」という話を聞かない。そもそもあのプラスティクのカードを普及させるためになぜ国民の大多数が「懸念」しなければならないのか。

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記事の内容は「高齢者を中心に懸念が広がっている」が若年層はそれほど抵抗はないようだというものだ。それでも「30代以下の若年層が計60.5%で最も低かった」そうだ。つまり、デジタル化についてゆけない高齢者ほどマイナンバーカードに不安を感じているということになる。

だがカードは単なるプラスティックの板なので「デジタル化」とはあまり関係がない。

Quoraでも時々この話題は出てくる。だが「私はいいけどどうせ政府は廃止などできないのではないか」という人が多い。これがなかなか厄介である。「私が心配している」ならば「何が不安なのか」を聞き出せばいい、しかし「私はいいけど」といわれると阻害要因が聞き出せなくなる。だが賛成か反対かと問われればやはり「反対」なのだ。理由は「んとなく不安だから使う気になれない」である。

変化を拒む傾向が強い日本人は「他人事の体裁」で語ることによって他人から説得されることを防ごうとしている。ただ、マイナンバーカードの拡大に対して「気が進まないなあ」とか「なんとなく嫌だなあ」と考えているのは間違いがないだろう。つまり問題は合理的なものではなく感覚的・感情的なものである。

いずれんせよマイナンバーカードにはなんとなくネガティブには印象がついてしまった。おそらく政府はなんらかの形で紙のカードの廃止はしませんと撤回を余儀なくされるのだろうなあと感じた。

問題はそれを誰がいつ発表するかである。岸田総理がいつこれを決断できるのかが次の注目点である。意思決定の遅い岸田総理のことだから、おそらくギリギリのタイミングになるのではないかと思う。

そのようなことを考えていたところ、サイボウズの青野社長が「マイナンバーカードプロジェクトは戦前の日本とにている」と主張しているのをを見つけた。デイリー新調の記事だ。

「戦前の日本と同じ」 サイボウズ青野慶久社長が語る「現在のマイナカードは社会に不要です」

「なぜ日本は戦争を止められなかったのか。戦略的撤退ができないという点で、いまのマイナカードプロジェクトは戦前の日本と同じ組織的な誤謬(ごびゅう)に陥っているように思います。失敗自体は仕方ありません。ただ、その損失が拡大する前に事業撤退すべきでした。マイナンバー自体は社会を効率化できると思う一方、現在のマイナカードは社会に不要です」

戦前の日本とは大袈裟なとは思うのだが、青野さんの記事を読むと「これは政府も撤退はできないのだろう」と感じる。既に「プラスティックカード普及戦争」にコミットしてしまっているために「たかがマイナンバーカードの推進」が聖戦化しているからである。

ただ青野さんはこのことに2年以上前から気がついていたようだ。このままでは日本の未来は暗いがさすがにだれか気がつくだろうと考えていたようだが結局誰も何も学ばないまま今になって不具合が続出している。

つまり政治批判のための後付け批判ではないという点にある種の凄みがある。専門家は気がついており、そうでない人は全く気がついていない。

日本人にDXができないわけではない。実際にサイボウズが提供する製品はオフィスにデジタル化に貢献している。おそらく問題なのは政府のデジタル化を取り仕切る人材が意思決定のレイヤーに登用されないことなのだろう。登用されないどころか何を言っているのか理解すらしてもらえない。民間では当たり前の検証して反省点を探しながら進むという方式が官僚機構には採用されていない。

組織票のない専門家はせいぜい参議院の比例代表に象徴的に置かれる程度であって政党や政府の意思決定には携わることができない。本気で再成長を目指すのなら参議院を政党から専門性のある人たちに解放した上で強制力のある審査機関として改組するくらいの人はやった方が良さそうだ。下院が発議をし上院が審査するというやり方をとっている先進国は多い。ある種の裁判官的な役割を担い政党政治の暴走を食い止めるというやり方は、議会性民主主義が長い歴史の中で編み出した知恵である。両方が政党政治に支配される日本ではオフサイドのないサッカーになりかねない。政権政党ばかりがゴールポストを揺らすが試合としては面白くないので誰も見なくなる。

仮に誰も玉音放送が出せないとすると、国民の漠然とした掴みどころのない「不安」を解消するためにリソース(戦力)の逐次投入が行われ、日本の行政は徐々に衰退してゆくだろう。最終的な破綻が何になるのかはわからないが人々は口々に「やっぱりこの戦いはうまくいかないと思っていた」とか「我々も実は気が進まなかった」などと告白しあうことになりそうである。

そもそもなぜあのくだらないプラスティックのカードを普及させなければならないのかがよくわからないのでさまざまな「陰謀論」が出ている。マイナカード1兆円利権というキーワードで検索するとさまざまな憶測混じりの指摘が出てくる。

東京新聞も次のような記事を書いている。

マイナ保険証の資格確認はNTTの光回線で独占状態…反発されても政府が推進をやめないことと関係は?

マイナカードの普及の合理的な意味づけは難しい。単に政府に失敗を認めることができないからデスマーチが続いているだけなのかもしれないが、プラスティックの板を国民に押し付けるのはおそらく官僚に旨味があるからだろうという説明がなされることがある。陰謀論でも導入しないことにはこの「意地」がよくわからない。

マイナカードの失敗は民主党の政権交代の失敗にも似ている。あの時も漠然と政権交代が行われた結果トラブルが続出した。国民は総括しないままに「日本では政権交代などできるはずはない」と諦めるようになった。内閣支持率の調査で「他に適当な政権がないから」と考える人が最多なのは国民が諦めているからだろう。

すると次の展開も大体予想がつく。

今の政府の事務処理の仕組みはアナログで耐え難い。だが下手にデジタル化などをやろうとすると大混乱するのだから「アナログでも仕方がない」ということになるだろう。「どうせ日本には無理なのだ」として人々は現状に慣れてゆくことになるのかもしれない。つまり「諦めてしまう」のだ。

本当にそれでいいのかをもう一度よく考えてみる必要がある。よく考えてみるとそれはデジタル化でもなんでもない。単なるプラスティックの板の話しかしていないのだ。

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